番外編 次世代 ~天詠花譚~

番外編 次世代 ~天詠花譚~





「――大吾だいご。この杖は代々柳瀬家に伝わるものだ。大事に扱え。戦国時代に柳瀬家の当主だった蒼威様の杖だ」


 父は俺に燃えるような赤い杖を差し出す。

 手に取ると、初めから俺のものだと言うように、しっくりと馴染む。



「そしてこれは、蒼威様の妻だった澄様というお方が作ったアサナトの魔導書のページの模写だ」



 差し出された何の変哲もない紙を、じっと眺める。


「おわっ、すご……」


 俺の斜め後ろにいた男がこの紙を覗き込んで声を上げる。



日嗣ひつぎにはこの模写の素晴らしさがわかるのだな」



 父は満足そうに日嗣に向かって頷く。


「は、はい。魔力が溢れ出ています。こんな魔導書のページ、初めて見ました」


 日嗣は俺の解読者だ。

 同じ鷹無家の一族の楯岡家の出。俺とは魔法の相性がよくて、幼い頃から詠唱者と解読者として組まされている。



「澄様は模写に長けていたと伝え聞く。澄様が作った模写は威力が倍増するらしい。これは日嗣にやるぞ」


「えっ! い、いいんですか? こんな貴重なものを――」



「構わない。澄様はとても多くの模写を我が柳瀬家に残してくれた。その中の一枚だ。大事に使え」



 日嗣は深々と頭を下げ、懐中時計の蓋を開ける。

 その紙はみるみるうちに小さくなり、懐中時計の中に納まった。


 あれが、解読者である日嗣の【箱】。



「大吾。もともと柳瀬家は本家である鷹無家の筆頭家臣だった。数百年前の戦国時代、蒼威様と澄様の時代にお家騒動が起こり、あろうことか分家が本家に成り代わろうとした。それ以来、本家は分家に不可侵、分家同士も不可侵の密約を保って本日まで脈々と続いてきた」



 鷹無家とその一族は帝の守護者として、魔法を扱い時代を駆け抜けてきた。

 戦国時代は乱世も相まって歴史上一番魔法文化が花開いたと言われている。

 その後江戸時代に入り、日本が平和になり鎖国が開始されると、魔法も世を乱す危険なものとみなされ、大々的に規制された。


 ただ鷹無家とその一族だけは、日本で唯一魔法を使うことを許された。


 それがこの明治の世でも続いている。



「本家である鷹無家の次期当主である宗一郎そういちろうは、一族のお役目を放棄している。このままでは次代は一体どうなるかわからない。本家が倒れたら、やむを得ず分家が本家たることもありえる。その心づもりだけは、常日頃しておけ、大吾」


「――はい」



 父に向かって深く頭を下げる。


 宗一郎は、鷹無家の役目を果たそうとしていない。

 あいつがやるべきことは、全部俺が代わりに引き受けている。



「大吾が本家の当主になるのを、皆願ってますよ! オレも解読者として大吾を支えます」



 弾んだ声を上げた日嗣に、父は満足そうに頷いた。



「それは心強いな。日嗣、頼むぞ。今、鷹無家の分家は、我が柳瀬家、そして日嗣の楯岡家、鬼更来きさらぎ家、火裏ひうら家、黒秋くろあき家の五家。戦国の世より何度か再編はあったが、柳瀬家と楯岡家は最古参の家だ。その事実に誇りを持て」



 はい、と頷く。




 分家は皆平等、か。


 反吐が出る。


 その言葉の裏で皆、虎視眈々と足を引っ張り合って、本家から取り潰されるように仕向け合い、分家から蹴落とそうとしている。



 この関係は数百年の間にずくずくと膿んで、知らぬ間に病巣を広げている。



 俺たちの世代になって、本家の次期当主まで物足りない存在になってきているせいで、いつどこで爆発するかわからなくなっている。



 分家同士、一触即発の状況。


 それを諫める力が本家にはもうない。


 もし骨肉の争いが勃発すれば、どの家が生き残るかもわからない。

 でも宗一郎がどれだけ能無しの次期当主だとしても、容易く蹴落とせない理由もある。




 嘘か本当かわからないが、

 宗一郎は、国一つ一瞬で破壊できるほどの強烈な魔法式が書かれた、【アサナトの魔導書の表紙】を持っている、と言われているから。




「――どうだ。先ほどの魔導書のページ、試しに唱えてみろ」


 父は思いついたように、俺たちを促す。

 先代の赤い杖。そして、澄様の模写。


 日嗣は俺の肩に手を置き、空いた方の手で懐中時計の蓋を外す。

 すでにその時には解読を完了している。

 日嗣ほどの優秀な解読者に、俺は会ったことがない。




「ウダリアス!」




 庭に向けて赤い杖を振った瞬間――。


 轟音とともに水が放たれ、龍のように部屋の中を暴れまわる。

 そしてひとしきり暴れまわったあと、龍は割れて開いたガラス窓から飛び出し、庭で一気に崩壊する。

 呆然とそれを目で追っていた。



「……すごっ! 大吾、この魔導書のページすごすぎる! その杖もすげえっ!」


 日嗣の弾んだ声で、我に返る。



「あ、ああ。そうだな……、驚い……」



 目を向けると、父がびしょ濡れで、無言で座っていた。


 無論、自分も日嗣もびしょ濡れだった。

 部屋の中もまるで一度水中に沈んだかのよう。



「――……修復の魔法をかけておけよ」




 父は濡れたまま退出する。

 怒られるかと思ったが、何も言わなかった。



「ははっ。水の魔法かあ。これから使えそうだな」


「ああ」



 短く返事をして、手の中の赤い杖を眺める。


 ――宗一郎は、黒い杖だったな。あの杖は……。


 ふとそんなこと思って、小さく首を振る。



「修復の魔法をかけるぞ」


「わかった!」


 日嗣はすぐに懐中時計の蓋を外す。それを横目で見ながら、俺は赤い杖を握り直した。






「ご苦労。ここまでで結構」


 上野精養軒の前に停まった馬車に、恰幅のいい男が乗り込む。

 帝の命令で、今日はこの男の護衛をしていた。


「お気をつけてください」


「ああ、またよろしく頼む」


 馬車は頭を下げた俺たちの前から走り去っていく。

 俺は後ろに控えていた者たちに目配せする。するとすぐに馬車を追っていった。

 たとえここまでと言われても、自宅に到着するまで護衛するのが俺たちの任務。

 念のため部下たちに馬車を尾行させる。


 その姿を見送ったあとに振り返ると、十五名ほどの人間が俺を見ていた。



「――今日の任務はこれで終了だ。ここで解散とする」



 はっ! と声を上げ、俺に向かって敬礼し、ちりぢりに歩き出す。

 なぜか日嗣が満面の笑みを湛えて俺に向かって駆け寄ってきた。



「大吾、聞けよ。さっきめちゃくちゃ美人な女に会った!」


「そうか」


「興味ないのはわかるけど、もっと食いつけよ!」


 赤髪に狐顔の日嗣は、そばかすが浮いた顔を紅潮させている。

 任務に支障がなければ、日嗣が女を追いかけてもどうでもいい。


 正直、興味もない話――。




「――実はその女、宗一郎さんと一緒だったんだ」




 その言葉に、二、三度目を瞬く。



「宗一郎と?」


「うん。否定されたけど、絶対逢引きだよ」



 日嗣の頬がにやにや上がっている。


 宗一郎が、逢引き?

 珍しい。


 明日、東京に雹が降ってもおかしくない。

 いや、雹ではなく、菓子が降っても驚かない。


 あいつが逢引きしようがどうしようが関係ないが、念のためその女のことを把握しておくか。



 宗一郎は鷹無家の次期当主。



 それに宗一郎の父親の孝仁たかひと様は、一代で莫大な富を築いた豪商だ。


 宗一郎に近づく女の狙いなんて、鷹無家の財力としか考えられん。

 とにかく、宗一郎に近づくやつは全員監視下に置く。


 もう少し日嗣に詳しく聞くか。



「日嗣、その女は――」


「大吾様、よろしいですか?」



 さっき護衛で馬車につかせた男が、息を切らして戻ってきていた。



「なんだ。何かあったか」


「馬車は特に何もありません。大通りを見張っていたところ、なんと宗一郎様が……自転車に女性を乗せて、公衆の面前でスピードを上げる魔法を使って爆走していました」



 告げられた言葉に、目を瞬く。

 まったく腑に落ちない。


 宗一郎が?


 見間違えていないだろうか。



「宗一郎さん、やる時はやるんですねえ。さすが鷹無家の次期当主様!」



 日嗣が楽し気に声を弾ませる。

 ぎろりと睨みつけると、途端に日嗣は口を噤んだ。



「宗一郎たちはどこに行った」


「はい、形代に追わせています。神保町じんぼうちょうのほうですね」



 部下に案内させて、日嗣とともに神保町に向かう。


 人の恋路を邪魔するつもりはないが、これは任務の一環だ。

 恋路? 自分で考えておいて何だか、全くしっくりこない。


 宗一郎は、人当たりはいいほうだと思うが、誰にも心を許さないようなやつだ。


 結局俺にもあの時の真相も、あいつが今どうなっているのかも、正直よくわからない。

 何一つ、教えてもらっていない。



「――こちらです」


「ここは尾倉おぐらの店じゃないか。鍵は――」


「オレ持ってるよ。よく買いにくるし」



 完全紹介制のアサナトの魔導書のページの売買店。

 店主に認められると、このドアを開けるための【鍵】をもらうことができる。

 明らかに違法な店だが、手に入れにくい魔導書のページを、金を積めば手に入るのは正直重宝している。そのため、非合法だと知りつつ見逃しているのが現状。


 俺は詠唱者だから、見ただけではどれが魔導書のページなのかもわからない。

 だからこの店にはあまり世話になったことはなく、鍵などもっていないが、日嗣は常連のようだ。持っていてよかった。


 日嗣が取っ手に向かって自分の箱である懐中時計をかざし、「リベアス!」と開錠の呪文を唱える。

 するとガチャリと音を立ててドアが開いた。



「よし、入る――」



 その時、野菊の刺繍が施された振袖を着た女が、魔導書のページを呼び出しているのが見えた。



 二枚のページに手をかざし、解読しようとしている?


 半分以上開けたドアを気づかれないように閉め、ほんの少しだけ開けて中を覗く。



「あれは……!」



 弾んだ声を上げようとした日嗣の頭を軽くはたく。


 日嗣は我に返ったのか、すぐに口を噤んでドアの隙間から中を覗き込んだ。



「――詠唱してください」



 女の声が、聞こえてきた。

 やはりあれは、魔法を使おうとしている。


 だが、二枚以上の魔導書のページを重ね合わせて解読し、一つの魔法として詠唱するのは、上級魔法になる。


 上級魔法は、日本では使ってはいけないことになっているが――。


 女は左手を差し出す。


 その先にいた男が、躊躇いつつもその手を取り、女が耳打ちした言葉を、詠唱する。




「シェルカドル・サレバ!」




 その瞬間、黒い杖から青白い光が放たれ、その光が部屋の中を読み取っていく。



「大吾。あれは上級魔法だ」


「わかってる。だな」


 日本では上級魔法を使うと取り調べを受けることになる。状況によっては罰を受けることになると法律で決まっている。


 鷹無家とその一族には、帝の護衛とともに魔法取締官という任務がある。魔法を取り締まり、日本の治安を安定させることが目的だ。



「す、すみません。しばらく外国にいたものですから、すっかり忘れていました」



 踏み込もうとした時、女が戸惑ったように、声を揺らす。


 しばらく外国に?


 今は明治二十四年。鎖国が終わって三十年以上経つが、外国に行くことも外国から訪れることも、まだまだ珍しい。


 優秀であれば、女でも留学するということもあるから一概には怪しいとは言えないが、調べておく価値はある。



「日嗣、行くぞ」



 ドアに手をかけ、一気に開く。


 するとその音に気づいたのか、部屋の中にいた人間が一斉に振り返る。

 その瞳が、俺に向かって見開かれる。



 ――なるほど、日嗣が騒ぐのも納得した。



 これは目を見張るほどの女だ。


 宗一郎が、俺を見て何かを呟き、丸眼鏡を押し上げて小さく溜息を零していた。



椿つばきさん! また会えたなんて、これは最早運命――」


「日嗣、黙れ。――宗一郎。お前さっき大通りで、魔法を使って自転車で爆走していたそうだな」



 宗一郎は、戸惑ったようにぼさぼさの鳥の巣頭を掻く。


 丸眼鏡に鳥の巣頭。しわの多いコートによれたシャツ。俺から見ても、宗一郎は群を抜く美男子ではない。


 どちらかというと内向的で、争いを好まない物静かなやつだ。


 昔はもっと違ったんだが……――。



「え、ええっと……、そうですね。すみません……」


「駄目ですよ、宗一郎さん。街中で魔法を使うのは人心を乱すからやめると決まっているじゃないですか」



 日嗣が俺の影から顔を出して、宗一郎に文句を言う。



「すみません。完全に僕の不注意です」



 俺たちが宗一郎に詰め寄っている間、女は俺たちが着ている魔法取締官の制服や、俺や日嗣の姿を、さりげなく視線を移動させて確認している。


 それはまるで、短時間で相手を把握するような動き。


 こいつ――。



「お前が椿、か? 日嗣が騒いでうるさかった。宗一郎とはどんな関係だ」



 わざと威圧的な態度で女を見下ろすと、女はすぐに俺の目を見る。



「はい。月守つきもり椿と申します。宗一郎さんとの関係……、ですか。……お友達、です」



「は? 宗一郎の友達?」



 思わずぽかんと口を開ける。


 友達、だと?


 何を馬鹿なことを言っている。


 宗一郎に女友達はいないはず。

 いや、幼馴染で懇意にしているあの女がいたが、こいつではない。



 あの宗一郎に、女友達、か。



 考えれば考えるほどあり得なくて、笑い出しそうになる。

 そんな俺の反応に、女は少し不服そうだった。


 でも依然、俺たちの反応に視線を配っている。




 ――こいつは一体誰だ?





 なぜ、よりにもよって、宗一郎に近づいた?


 もしや、美芳国めいふぁんこく


 表紙のことを思い出して、ふとその国のことが頭をよぎる。

 この女の見た目も、俺たちと何ら変わりない。

 話す言葉に不自然さはまったくない。

 だからと言って、不審さはぬぐえない。


 美芳国は東アジアの魔法大国。容姿は日本人と大きく変わることはない。

 魔法で他国の言葉を一気に覚えることができると噂だが聞いたこともある。


 心が、ざわざわする。苛立ちが、隠し切れずに表に出る。

 理由はわからないが、この女は怪しいと俺の本能が訴えている。



「――で、その《友達》とやらが、二人で何をしていたんだ?」




 月守椿。


 俺は自分の立場も、柳瀬家に生まれたことも、誰よりも誇りを持っている。


 邪魔をするなら、容赦はしない。

 お前の正体を全て暴いてやる。

 その赤い唇が、花が咲くように物憂げに開かれる。



「――……」




 まっすぐに向けられるその瞳を見ながら、俺はそう誓っていた。




【終】


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