第二話 急襲
「連れ出してくださって、ありがとうございました。おかげで素晴らしいものを拝見できました」
帰る道中、蒼威様に深々と頭を下げる。
「いや、気にするな。俺も琵琶湖が見たかった。お堂がある付近でも見られるが、遮るものが何もない場所に行きたかった」
怖かったけれど、世界の全てが琵琶湖になった瞬間は、感動的だった。
「戦が終わったら、また見にくるぞ」
その言葉に、嬉しさが湧き上がる。
「はい、よろしくお願いします」
また、とおっしゃってくださったことに、走り出したくなるほど喜びが溢れる。
戦が終わっても、一緒にいていいとおっしゃってくれているのかしら。
それはとても――。
「――おや、こんなところで会うとはな」
聞き覚えのある声に、ぞっと背筋が凍る。
蒼威様は瞬時に私の腕を掴んで荒々しく引き寄せ、赤い杖を構えた。
「貴様――。どういうつもりだ」
杖の先にいたその人に、蒼威様は敵意をむき出しにする。
どういうこと?
疑問ばかりが浮かんで、頭の中を埋め尽くす。
私たちの前には、織田様が一人佇んでいた。
「一人か? 貴様の行動は本当に、想像よりもはるか上をいく」
「はは、少し離れたところに供の者がいる。柳瀬殿と澄の姿を見かけて声をかけただけだ。実は急に思い立ち、琵琶湖が見たいと思ってな。それで足を運んだが、まさかここで会えるとは思わなかった」
「何をそんな戯言を。俺たちを追ってきたのではないか」
「追って? あくまで偶然だよ。なぜ自分がそのようなことをしなければならない? ただ琵琶湖を見に来ただけだ。そなたたちと同じようにな」
織田様はのらりくらりとかわす。
――そなたたちと同じように。
その言葉に違和感を覚える。
私たちは琵琶湖を見に来たなんて織田様に言っていない。
恐らく、すでに織田様に監視されていた。
偶然というあからさまな嘘に、底知れない不安が押し寄せてくる。
「何が目的だ! 貴様と水早緒が手を組んで、兎波家と冠城家を巻き込み、鷹無家への謀反を企んでいるのは知っている!」
蒼威様が怒鳴っても、織田様は一切動揺しない。
眉一つ動かさず、ただ微笑んで私たちを見ている。
「そんなこと、していないぞ。濡れ衣を着せるのはよせ」
「嘘だ! 貴様はただの人間。我ら魔法使いに勝てると思うのか!」
その言葉に、織田様はようやく眉を振る。
「……やれやれ、相変わらず魔法使いは傲慢だな。本当に邪魔だ」
邪魔だ、の言葉に、全身が粟立つ。
気づけば息を止め、織田様の一挙手一投足に全身の神経が向く。
あまりに冷たくて、恐ろしい言葉だった。
まるであれが織田様の本質だと言わんばかりの――。
「でもまあ、偶然会えたのなら、そなたたちにもう一度話したいことがある」
蒼威様はその言葉に警戒を強める。
「鷹無家を見限れ」
その言葉に、ぐらりと大きく眩暈がする。
「そして自分の傘下に降れ。柳瀬蒼威。貴様は使える男だ。このような状況なのに今も静観している和冴殿のもとにいるなんて、宝の持ち腐れだぞ。その才能、織田のもとで存分に発揮しろ」
再度の引き抜き。
織田様から発せられる極度の威圧感に、膝が笑い出す。
このお方は、恐ろしすぎる。
刀を振るわなくても、ただ立っているだけでひれ伏したくなる。
「――何度聞かれても同じだ。拒否する」
蒼威様は、きっぱりと断った。
「柳瀬家は鷹無家の分家。俺はそれを誰よりも誇りに思っている」
「ほう。見上げた忠誠心だ。泥船と気づいても、そのまま鷹無家とともに沈むと?」
「無論だ。俺に鷹無家を裏切るつもりは微塵もない」
言い切った蒼威様に、織田様はやれやれと首を横に振る。
「……それなら仕方がない。柳瀬殿のことは諦めよう。だが、貴様はどうだ? 澄」
突然話を振られて、体が飛び跳ねる。
「澄に戻ってきてほしいと思っているぞ? なあ、――水早緒」
織田様が呼びかけると、木陰から一人の女性が姿を現した。
その瞬間、私の世界を一気にその色で染める。
何もかも、全て奪って、その人一色になる。
全部、水早緒一色に――。
「澄、駄目だ」
ふらりと勝手に前に出た私の足を引き留めるように、耳元で囁かれたその言葉に、踏み止まる。
私を抱き留めているその腕に力が入る。
「会いたかった、澄」
私に向かって笑顔を投げかけ、水早緒はその大きな瞳に涙を浮かべる。
水早緒、私も――。
私、も?
「戻ってきて。また一緒に暮らしましょう? 以前のように、二人で楽しく――」
楽しかった、のかしら。
未鍵家にいた時、私は……。
琵琶湖を見て驚いたり、初めて魔法を唱えたり――。
全部……。
「……い」
「え?」
私に向かって手を伸ばす水早緒に、口を開く。
「行かない。私は――、もう未鍵家には戻らない!」
叫んだ瞬間、水早緒の顔から笑顔が剥がれ落ち、憎悪の表情が露わになる。
「レダト!」
蒼威様が叫んだ途端、赤い杖から金の矢が放たれる。
水早緒と織田様はすんでのところでその矢を避け、私たちから距離を取る。
「交渉は不成立だな。こうなったら仕方がない。――澄を力づくで奪うだけだ」
ザザザっと木の葉が揺れる音が響き、織田様と水早緒の周りに人々が集まる。
多勢に無勢。そんな言葉が頭をよぎる。
「澄のくせにわたしに逆らうなんて、絶対に後悔させてやる!」
その言葉に、私の知っている水早緒はもうどこにもいないことを思い知る。
水早緒は私に憎悪の顔を向けたまま、傍に控えていた男性の手を取る。これは魔法で攻撃……。
「澄、一旦引くぞ。分が悪い」
「は、はい、何か足止めの魔法を――」
「走りながら考える。まずは味方がいる場所まで引くぞ」
そしてそのまま、蒼威様は私の手を引いて駆け出す。
追え!という声がかかるかと思った。でも異様なほど静まり返っている。
蒼威様もそれに気づいたようだが、足を止めることはない。
これは一体――。
「――ケラグ」
低い声が響いた。
何かの魔法を使われた。
振り返ると、水早緒が何かの魔導書に手をかざし、解読したあとだった。
でも、何も起こらない。爆発音も炸裂音もしない。ただ、静か。
蒼威様は戸惑ったように私に何か起こったのではないかと心配そうに目を向けた。
「なんだ? 今確かに……」
「魔法を使いましたよね? 一体……」
困惑していると、突然蒼威様は私を抱えて茂みに向かって勢いよく倒れ込んだ。
その瞬間、私たちの頭上を何かが飛んでいき、近くの大きな木の幹に突き刺さり、木は大きく揺れてめきめきと音を立てて倒れた。
幹には刀が刺さっていた。
これは普通の人間ができるものではない。
魔法? いえ何か変だわ。
わかるのは、恐ろしいほどの破壊力だということ。
当たっていたら確実に真っ二つになって死んでいた。
「……ただの人間が魔法使いに勝てるわけがない、か。愚かだな」
冷え切った声が耳朶を震わせる。
目を向けた先には、織田様が立っていた。
先ほどとは何も変わらない姿――とは言えない。
織田様が纏う鎧は……なぜか、金色に光っていた。
美しく輝いているのは、光を受けてではなく、明らかに鎧から発せられている。
その姿に圧倒されて、ただ見つめることしかできなくなる。
蒼威様は織田様の姿を見て、すぐに私の腕を掴んで走り出す。
蒼威様についていくのに精いっぱいになりながらも、私も山の中を全力で駆けあがっていく。
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