白雪ガ鮮血ニ染マル瞬間-トキ-

三流木青二斎無一門

雪(ゆき)


雪が降っている。

図書室で小説を読んでいた俺は部屋の窓から振り落ちる雪を眺めていた。

時刻は既に四時前だ。この時間帯になると、六時限目の授業を終える生徒がやって来るだろう。

小説を閉ざして、机の上に置いた図書室の鍵を握る。

本棚に小説を戻すと、俺は部屋の電気を消した。

廊下に続く扉を開ける。身震いする程の冷気が漂ってくる。

軽く息を漏らすと息が凍る程だ。俺はリュックを背負い直して図書室の扉に鍵を閉める。


俺、敬基ゆきもと冬児とうじ凍天いてぞら高等学校の卒業生だ。

二月の上旬に卒業式が行われて、三年生は全員自由登校となっている。

大学の為にアパートへ引っ越しする生徒が居れば、仕事先で必要だと言う運転免許を取得しようとする生徒も居る。

俺は就職する気も進学する気も無く、やる事も無いからこうして学校に足を運んでは、適当に図書室で小説などを貪っている毎日を過ごしていた。

まあ、一応は夜中から工事現場のバイトがあるが、生きる為に必要な金を獲得する為にしているに過ぎない。

廊下を歩く、ガヤガヤと賑わう声が聞こえて来る。

ホームルームが終わり、教師が終礼をしたのだろう。

勢い良く廊下を飛び出す体育会系の面々。その後からゆっくりと部活に向かう者や帰宅する者の姿が見える。


「まじ、チョーだるいんですけど」


そんな声が聞こえて来る。

階段を降りて、一階へと降りた時だった。

金髪の、お世辞にも綺麗とは言い難く、化粧で素顔を誤魔化している様な軽薄な女がプリント用紙をヒラヒラとさせていた。


「捨てちゃえば、ゲロ女のなんて」


「あいつん家、遠いんだよ…マジ迷惑だし」


軽薄そうな女たちがそう言って廊下を歩いていた。

俺が廊下を歩き出そうとして、ギャルの一人が此方を見た。


「うわッ…やべぇ…敬基さんじゃん…」


「今の話聞かれなかったよな…」


「最悪だし…あ、でも…」


ギャルの一人が俺に近づいて来る。

その手には一枚のプリントが握られていた。


「こんにちわー、敬基さん」


「おう、誰だよお前」


俺は話し掛けて来た女に威圧する様に言うと表情を引き攣らせながら愛想笑いを浮かべた。


「いや、敬基さんさ、涼川さんと仲良いじゃん?」


「あ?お前に関係あんのか?」


「これ、涼川さんのプリント、私より敬基さんが持って行った方が良いと思うんで」


プリントを俺の胸に押し付けて手を離す。

一枚の紙がヒラヒラと地面に落ちそうになる前にそれを片手で握り締めた。


視線を再び女の方に向けると、既に足早く移動していて、反対方面へと逃げて行った。


「…チッ、面倒なモン押し付けやがって」


悪態を吐いて、俺はプリントを持ったまま玄関へと向かう。

これから向かう先は、涼川すずかわれんと呼ばれる、二歳年下の少女の元だった。



外は曇天だった。

ゆらゆらと揺れて落ちる雪。

蒲公英の種の様にも見えるそれは地面には咲かず同化する。

辺りは白色に染まりつつあった。

この様子だと、雪は完全に地面を覆い、朝になる頃には日の光を反射する銀景色が見えるだろう。

息を吐く。白い吐息が宙に散る。

外気は冷えている。しかし風は驚くほどに無風。

厚めのファーコートを着込んでいるから体温が奪われる事無く体を温めて少し暑い。

このまま、涼川の家に到着する頃には汗を掻いてしまっているだろう。


涼川の家は街から少し離れた未開拓地付近に建てられた屋敷に住んでいる。

氷泉ひずみ市は田舎とも呼べるし、都会とも呼べる、自然と文明の人工物が入り乱れる都市だ。


「…」


涼川邸の前に立つ。

相変わらず豪華な屋敷だ。

豪邸だと思う人間も居るだろう、だが俺から言わせれば屋敷を囲む柵は、まるで屋敷ごと捕らわれた収監所の様に思える。

どれだけ広かろうが、世界の果てまで見渡す事は出来ない狭き檻の中。

尤も、涼川にとってはこの狭さでしか生きられないのかも知れないが。


インターホンを押す。

即座に枯れ果てた木々の様な声が漏れ出す。


『敬基様、どうもこんにちは』


監視カメラが俺の方を見ている。

監視室に座る顔見知りの老獪が監察官の役割をしているのだろう。


「プリント持って来たんで、取りに来て下さい」


『学校のですか、それはどうも…今門を開けますので』


金属製の扉が開かれて、車が一台通れるほどの道が現れる。

夏頃に来た時は、緑が生い茂る芝生や庭木が見えたが、今では雪が積もり生気が感じられなかった。


正面に建てられた建物、涼川邸の前まで向かうと、俺はプリントを握り締めたまま待つ。


数秒も待たずして、玄関の扉が開かれる。

白髪に塗れ、燕尾のスーツを着込んだ執事らしい老人が出て来る。


「どうも、秋雨あきさめさん」


俺はフードを外して軽く会釈をする。


「コートを預かりましょう」


そう秋雨さんが俺の服に手を掛けて来る。


「すぐ帰るんで、プリントだけ渡してください」


「そう仰らずに、きっとお嬢様もお喜びになりますので」


そう言って半ば無理矢理秋雨さんが涼川邸に俺を入れた。

仕方なく、俺はコートを脱いでリュックだけを背負う。


「お茶とか要らないんで、本当にすぐ帰りますから」


プリントを握り締めたまま、俺は二階へと上がっていく。

前に涼川の家にやって来た時と一緒ならば、彼女は二階の部屋が自室だ。


「涼川」


俺が扉の前から声を掛ける。

その声に反応して、涼川は扉の奥から声を出す。


『冬児くん?え、本当に?』


「あぁ、プリント、持って来た」


数秒の間を置いて、彼女の軽やかな声が鳴った。


『入っていいよ、冬児くん』


彼女の許可を得た所で、俺は扉を開ける。


部屋の中は、目が乾く様な錯覚を覚える。

外気に当たり過ぎた為か、暖房によって温度が暖かくなっている。

さっぱりとした夏の終わりを感じた。


部屋の中では、桃色の毛布を被る、ピンク色のルームウェアを装着した涼川恋の姿があった。


涼川すずかわれん

真っ白な髪は肩元に掛かる程の長さ。

体が弱い為か、太陽の視線を浴びていない乳白色の肌。

頬にはほんのりと囲炉裏の熱した炭を添えた様な赤色を帯びている。

顔色は悪いが悪く華奢ではあるが、それでも可憐な少女だと一目見て判断出来るだろう。


「冬児くん、遊びに来てくれたの?」


嬉しそうに、涼川恋は笑った。

屈託のない笑みだ。純粋で無垢で、穢れをしらないその乙女の素顔。

そんな彼女は、社会に踏み潰された花だった。


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