4-6

「……ほうほう、現象としては急にテストの解答を書き始めた、それも全て正解の答えを……。それに体育の時間では、バスケットボールのシュートを遠く離れた場所からリングに入れた、それも精密に。……うんうん、他にも様々な現象があるみたいだね……」


 机に置かれた様々な書類を見ながら、藤島はぶつぶつと呟く。


「やっぱり僕……、危険な超能力に目覚めちゃったのでしょうか……?」


 藤島に助けを求めるように、不安そうに宮西は訊いた。藤島は宮西の心配を取り払うように優しく笑って、


「宮西くんが超能力に目覚めたことは確かだね。でも、そのチカラが危険かどうかって言われたら違うのかもしれない。発見された現象の中には、宮西くん、そして不特定多数の人たちを傷つけたような事例は確認されてないから、だから大丈夫だと思うよ。――そして、僕たち研究者が導き出した結論なんだけど」

「……結論、ですか……」


 ゴクリと、宮西は喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「宮西くんの心の中にはもう一人の人格が宿っている。これが僕たちの導き出した結論」


 不安な様子から一転、ポカンとする宮西。


「『特殊能力研究所ラボロジカリー』には、君の他にも色々な子が足を運んでいることは知ってるよね? 彼らもこの世では有り得ないような、それこそ仮想現実の魔法みたいなチカラが使える。そのチカラを僕たちは『ロジック』と呼ぶことにしている。けどね、宮西くんは彼らとは違うところが明確にあるんだよね」

「……違う、ところ……?」

「そう、ロジックの発現者は自分のある一つの感情を明確に言葉で表せるんだよ?」


 藤島はデスクから一枚の用紙を取り出して宮西に渡し、


「名前は伏せさせてもらうけど、この子の回答を見てごらん。ここの『喜びの感情を、できたら明確に説明してください』の項、すごいでしょ?」


 『エレメント』のお世話になって最初の頃に答えたアンケートだった。それは様々な感情について、自分なりの考えを書くというもの。

 宮西は藤島から渡された用紙を手に取った。悲しみ、怒り、驚きなどの項はどれも二行、多くて三行ほどであるのに対し、喜びの項だけが小さな文字で空欄を埋めるように隙間なく書かれてある。


「この子だけじゃないよ、ロジックの発現者はみんなこの傾向を示している。――宮西くんを除いてね。自分の解答を思い出してごらん?」


 どの項目も、二行ほどしか書いていないことは覚えていた。


「……それじゃあ、僕って……」

「結論を言えば、単なる二重人格者ってこと。……なのに、謎は多く隠されているね」

「その二重人格が生まれつきって訳じゃなく、あの夜以降に芽生えたってところがおかしい」

「そう、事件と呼べる夜の後に芽生えた人格なんだよ。絶対に何か裏があるはずだよ……。今、僕たち研究チームはそれを追っているんだ」


 藤島は宮西に示した数種の資料をデスクの上で整理しながら、


「ほんの些細なことでもいい。何か異変でも、おかしな点に気が付いたら教えてほしい。例えば日常生活とか、知人に何かこれまでにない変化があったとか、あるかな?」


 宮西は顎に手を当て、


「夏姫――僕の姉の様子が何となく変わったことに気が付きました」

「……些細なことでもいいから……教えてくれるかな?」

「僕の姉ってその、よく僕に身体を密着させてきたんですよね……。でもその回数が減ったような……。それに、毎回試験で一位を取っていたのに、前回の中間試験では初めて二位になりました……。あと、苦い食べ物が嫌いだったんですけど、最近平気で口にするようになったんですよね……。それと、僕の心情を見透かすような印象も……。って、ちょっと馬鹿げてますか?」


 言った後で、こんなんでいいのかと思ってしまった宮西。けれども藤島は、


「ははっ、本当にお姉さんが好きみたいだね。あのアンケートに『姉』って項目があったら、もしかしたら宮西くんをロジックの発現者だって断定しちゃったかもっ」

「ぼっ、僕はシスコンなんかじゃありません! 観察したことを言っただけですから!」

「そんなに恥ずかしがることじゃないよ。血の繋がった兄妹を大切にすることはとても大切なことなんだから……」


 最後の言葉は儚げだった。笑みの中に隠れる一種の悲しみ、そんな印象を受けた。


「……何かあったんですか?」


 見たことのない藤島の態度に、思わず心配になる宮西。藤島は思いつめたように下を向いたが、やがて椅子から立ち上がり、


「宮西くん、君に見てほしいものがあるけど、ちょっと時間をくれないかな?」


 藤島によって案内されたのは、『エレメント』の『特殊能力研究所ラボロジカリー』から離れた棟だった。


「…………病院、ですよね?」


 薄グリーンの病衣を羽織る病人、白衣を羽織った医師たちがあちこちを行き交う。そこはどこにでもありそうな病院の光景。ただし、『エレメント』管轄の病院ではあるが。


「ここだよ。ここに、君に見せたい女性ひとがいる」


 そうして藤島によって案内されたのは五階の病室だった。

 一人用の病室で、窓からの淡いオレンジの光が、ベッドに横たわる女性の顔を照らしていた。


(……綺麗な人だ……)


 そんな第一印象を受ける。傷一つない顔で眠る成人女性。ただ、少しばかり痩せ細ってはいたが、それでも美しさを感じ取ることができた。


「この人、僕の姉なんだ。二年前の不慮の事故で意識不明、以来一度も目を覚ましてないよ」藤島は静かに告げ、「僕が『エレメント』でロジックの研究をしてるのはね、この人を救うためでもあるんだよ。現代の科学には有り得ないチカラがロジックには眠っている。それこそ、何でも叶えてくれる魔法みたいにね……」


 夢の詰まったハナシ、けれども藤島の声は重くどんよりとしていた。


「……その成果って、でましたか……?」


 恐る恐る尋ねる宮西。藤島はゆっくりと首を横に振って、


「ううん、ロジックじゃちょっと無理かもしれないな……。だけれど、僕には希望ができたよ、それが宮西くん。ロジックとは違うまた別の能力に出会えた」藤島は静かに宮西を、確かな強い意志を持った目で焦点を合わせ、「だから、僕に協力してほしい。宮西くんのチカラが、ひょっとしたら姉を救ってくれるって。そして僕も全力で君に支援する」


 彼の信念は少年に、十分に届いた。返答は考えるまでもない。


「――僕の方こそ、お願いします。これからも一緒に頑張っていきましょう」


 藤島と約束を交わしてから一か月が経とうとした頃だった。


 藤島真純の狭苦しい研究室、デスクとコンピュータ、棚には数えきれないほどの資料が置かれた部屋。研究室にありがちな、無機質な雰囲気を醸し出す部屋。


「ほーんとにこんなに早く気づかれるとは思わなかったし。『エレメント』も学歴だけの無能揃いだと思ってたけど……、流石に高い金貰ってるだけあるねぇ……」


 資料の詰まった棚はなぎ倒されていた。床に溢れ出たロジックに関する資料たちも、赤く血染めにされている。

 藤島真純は血に塗れながら、壁に背を預けていた。彼のトレードマークとも呼べるメガネのフレームはひしゃげ、半開きの目で視界を収める。


「……どう、……して……、君、は……」


 半殺しの状態で、ボソボソと彼は口を開く。彼への返答は少女の足裏による鈍痛とともに、


「どうして? そりゃあ秘密に迫ったからでしょ? ほらっ、よくあるじゃん? 謎に迫った非力な人間は闇によって葬り去られるって? 当たり前のことでしょ?」


 数個のピンのようなもので刺された藤島の腹部は、ジワリと血で染まる。そんな腹部を執拗に足裏で攻めていく声の主。

 と、声の主は床に落ちていた一枚の写真を見つけ、


「あー、これアンタのお姉ちゃんでしょ? お姉ちゃんを助けたいから京ちゃんの身体をいじくってるんでしょ? ンな気色悪い想いでウチの弟を触るんじゃねぇよ!」


 声の主――宮西夏姫は藤島の腹部から標的を写真に変えた。何度も何度も写真に写る元気な様子の藤島の姉を、藤島真純おとうとの前で踏みつけた。


「…………や、め……」


 ふらふらの身体で、夏姫によって踏みつけられる写真を、身体全体を覆うことで守ろうとする藤島。夏姫は虫ケラを見るような目で睨め付け、藤島の顔をサッカーボールのように蹴り飛ばす。


「ほんっとウゼぇんだよ! シスコンが許されるのはガキのうちだけなんだよっ! あームカツク、どーしてこんなヤツにあたしと魔女の関係がバレるんだよ! あー……分かってるよねぇ? 秘密を洩らしたらテメェのお姉ちゃんを八つ裂きに殺してやるから」


 彼の顔を蹴り倒すことで溜まった怒りを発散することができたのか、夏姫は惨状を背後に、何事もなかったかのような澄まし顔で廊下に出ようとした。――が、


「――――、どうして夏姫が――」


 ドアに隠れるようにしていたのは中学生の少年。

 夏姫は不自然さの欠片もないほどに、柔和な笑みで顔を綻ばせ、


「あれー、京ちゃんだっ。こんなところで会うなんて奇遇だねっ」


 けれども少年は震える指で、姉――夏姫を指差し、


「……なっ、夏姫じゃない……。誰……、誰……?」


 夏姫は前かがみでちょこんと首を捻り、


「誰って、私は夏姫お姉ちゃんだよ? 京ちゃん、どうしたの? ちょっとおかしいよ?」

「でっ、でもっ! 夏姫は藤島さんの信念を折るようなことはしない!」

「ああ、――――全部見てたんだね? 京ちゃんの心が教えてくれるよ」


 夏姫の唇はゆっくりと、ニタリと裂けた。ピクリと身体を反らした弟だが、彼は乱暴に夏姫の肩を掴んで、


「……藤島さんに謝れっ! 藤島さんは今日までお姉さんのために頑張って来たんだ! 何も知らない人間がバカにするなっ!」


 面食らった顔で弟を見た夏姫。


「京ちゃんがここまで怒るなんて珍しいね……」


 夏姫は弟の手を優しく払いのけ、ポンと少年の頭を叩いて、


「じゃあね、京ちゃん。バイバイ」


 ――それ以降、夏姫が自宅に戻ってくることはなかった。そしてこの事件を知った『エレメント』側は、これ以上宮西京を研究対象にすることは危険だと判断し、少年と組織との接触は断たれてしまった。

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