3章 哀苦しく愛狂す DEEP_LOVE_HEART
3-1
宮西と冬森は階段を歩き続ける。いつどこで、誰が危害を加えてくるかを身構えながら、彼らは同じ歩幅で階段を登り続けていく。
もっとも、その二人の顔色には差があるみたいだが。
宮西は経験不足からか、魔法に対して過剰に警戒を抱きながら進んでいく。先ほどの冬森の話も宮西の警戒心を上げているのか、周囲に気を配りながら余裕を見せることなく、所どころ息を切らせ足を動かす。
対照的に冬森の顔色には余裕があった。宮西と同様周囲に気を配りながら進んではいるのだが、豊富な経験からくるものか、その心にはゆとりがあるみたいだ。
「……そこまで気を張らなくてもいいのよ? 筋肉が強張って身体が動かなくなると困るし。まあ、宮西くんは冷静さが取り柄みたいらしいから大丈夫だとは思うけど……」
「……油断大敵ですよ。冬森さんには強力な魔法がありますけど、僕にはそんなのないですから……。それに、張りつめるということはある意味心の準備みたいなものです。だから、とにかく油断は避けないと……」
ほーん、そんなもんかと冬森は思った。
「もう少し
足、そして口をも動かしながら二人は階段を上がっていく。
そして何事もなく十五階に到達しそうだった。途中すれ違う人も特に危害を加えてくることなく通り過ぎていくことに、ある意味恐怖さえも感じたほどに、何事も起きない。
(まさか、敵は私たちが向かっていることに気が付いていない……? いや、監視室は機能しているはずだし、それに電波を相殺したときに気づかれるものだと思うけど……)
電波、すなわち周波数の低い電磁波、冬森は電磁波のエネルギー量を構成するある定数を零にすることで電磁波を打ち消した。垂れ流しのはずの電磁波が何かしらの力によって打ち消されれば、相手も必ず気が付くはずだろう。
どういうことだろうか? 自分だけで考えていても埒が明かないので、
「宮西くん、敵が動いてこないことにどう思う……、ってどうしたの?」
意見を訊こうと横を向いた冬森。だけど彼は見当たらない。足を止めて下を覗くと、彼は二段下で立ち止まっていた。
「まさか疲れちゃった? だからってこんな所で止まらないでよ。私がおんぶする訳にはいかないし……。せめて、最低限の体力は付けてもらわないと困るわよ?」
しかし、宮西は冬森の言葉など聞いている様子はない。真っすぐある一点を見つめ、口を半開きにして唖然とした様子だった。
冬森は宮西の視線を追っていくように、顔を動かしていく。
「――――なっ!」
見てしまった。
そう言わんばかりに、冬森は目を見開いて両手で口元を覆う。
十五階、階段から出ればすぐに廊下が待ち構えている階。その廊下に良く知る少女がいた。
銀の十字架に身体を貫かれているという形で。
冬森は駆け足でその少女の元へ向かって行く。
「望未! 望未ったら! しっかりしてよ!」
――――『キューブ』の参謀、黒川望未。あの青髪の少年によって急所を貫かれたはずの、ポニーテールの少女。両手には小さな十字架が、胸元には巨大な十字架が、元はベージュのブレザーを着ていることすら分からないほどに、溢れんばかりに血を吸った格好で壁に張り付けにされていた。生臭さが鼻に絡み、喉元の刺傷が痛々しかった。
「望未! しっかりしてよ! 何があったの!」
顔を覆っていた銀の髪を震える指先で優しく掻き上げ、その少女の顔を確認する。
半開きの瞼から伺えた瞳孔は大きく開かれていた。だらしなく開かれた口から零れた血によって、顎から喉元にかけて赤く細い川ができている。
「……げほっ……はぁ…………げほっ……」
咽ることによって赤い鮮血が冬森のブレザーに、霧状に付着する。
「望未! 分かる! 私は冬森凛檎よ! しっかり!」
冬森は少しでも届いてほしくて、叫びように黒川望未に呼びかける。だが、
「――――だ、れ?」
心臓が掴まれそうな一言だった。たった一言、それも小さな小さな息の漏れたような声で放った一言。
それだけで、冬森の指先はさらも震え、呼吸は乱れる。
いや、分かっていたはずだ。この建物全体には特殊な電波が張り巡らされていて、その電波を弾かない限り誰だって例外ではないことは分かっていた。
けれども。それでも、理性では捨てきれないそれが、冬森の芯を強く揺さぶる。
冬森の背後から足音が耳に入る。茶髪の少年は張り付けにされた少女の元ではなく、ゆっくりと廊下を進んでいく。そして、彼は廊下を行き交う一人の少年に声を掛けた。
「『階段の突き当たりにあるアレ』って何ですか? あまり見慣れない光景ですけど?」
宮西は黒川望未を指差し、そう尋ねた。
「ああ、アレ? 特に珍しいものではないよ? フツーの光景だと思うけどなぁ?」
少年は嘘を付いているようには見えない。本当に普通の、どこにでもあると信じ切った言い方だった。
冬森はギリッ……と右の奥歯を噛み締める。
「あっ、そうですか。そのー、初心者の僕にとっては珍しいものでして……。そうですよね、普通の光景ですよね、分かりました」
「ああ、初心者か! なら見慣れてないのも頷けるな。ぜひ興味があったら『キューブ』に入ってくれよ!」
少年は去って行った。自分の元へのこのことやって来る宮西を視界に収め、冬森は拳をギュっと握りしめる。
フツーの光景、ですって? 今まで『キューブ』を裏から支えてきた黒川が無残に、
「くっ!」
右手で廊下を殴りつけた。手が赤くなるものの、不思議と痛みは伝わってこない。
ぐつぐつと腹が煮えくり返る。それは気が付きもしないで情けなく敵の魔法によって良いように操られている『キューブ』の面々に対して。そして――このような状況に対処しきれなかった自分に対して。
(約束、したじゃない……! もう、こんな目には遭わせないって――――)
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