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 和気藹々と聞こえてくる声の間を通り抜けるように、耳元を覆うサラサラした茶髪を揺らしながら、紺色のブレザーを身に纏う線の細いその少年が歩みを進めていく。学生の好みそうなショップなど目もくれずに、整った顔立ちのその少年は目的地に向かって歩き続ける。


 月一回開かれる『身体測定』で身長、体重、声、筋力など細かなデータが収集され、仮想現実のシステムに入力されているため、現実と同じように身体を動かすことが可能だ。それ故、あまりにもリアルな感覚に、あまりにも普通すぎる感覚に、その少年は未だに違和感を拭い去ることができなかった。


 ――そう、ここは現実の世界とは離れた世界。


 この世界の表現方法はいくつもある。コンピュータによって創られた世界だとか、仮想現実だとか、肉体のない意識だけの世界だとか……。

 この世界の正式名称は〈R4あーるふぉー〉。科学組織『エレメント』らのコンピュータによって管理されている仮想現実システムである。少年は全国各地に拠点を置く『エレメント』のVR装置を使って、この仮想現実にログインしてきた。


 そして中央都市、〈セントラル〉。


 R4は大きく分けて七つの都市と、その間を埋めるような山、川、海、森林地などの自然で構成されている。七つの都市は日本に実在する七つの人工島をモデルにして作られており、少年が現在とどまるセントラルも七つの都市の一つである。そしてこのセントラルは七つの都市の中でも超近代都市に当り、様々なビルで埋め尽くされているのが特徴だ。他の都市では空想でしか描けそうにない魔法都市や、中世のヨーロッパを模った街並み、空想と現実が交りあったような都市など、それぞれの色をもっているのだ。


(目的地はここか……。たしか、この辺りなんですよね……ここからなら……)


 R4でのセントラルは、中心から外れるにしたがって実験施設などの割合も多くなると聞いていたので、R4に参加する人間全員に配られるスマートフォン型の小型端末『R4ナビ』の情報も照らし合わせながら目的地を探していく。


 周囲を一瞥し、自分がいるべき場所を探す少年。そして座り心地の良さそうな木製のベンチを見つけると、そこに腰を下ろし遠く見える街並みを眺めた。街並みで一際目立つのは、セントラル中央にそびえると言われている、三角フラスコ型のビル。そのビルを囲むように、直径一キロほどのドーナツ型の展望台が展開されていた。

 地平線の彼方には夕日が顔を覗かせ、灰色のコンクリートをオレンジに染め上げる。機械と機械をぶつける音が鳴り響き、数人の足音が目の前を通り過ぎていく。 


「あー、ちょっと早く来すぎちゃったか……。えーと、どうしようか……ん?」


 宮西は木々に囲まれたある建物に注目する。見たところオープンカフェのようだ。公園で歩みを進める人間の大多数があのカフェに吸い込まれていく。

 宮西も暇つぶしを兼ねて、目の先にあるカフェに寄ることにした。


 店に入るや否や、二十代半ばの女性店員がすぐにやって来て丁寧に、


「混雑して大変申し訳ありません。相席になる可能性がございますのでご了承下さい」


 彼女の言う通り、一目で分かるほどに店内の人口密度が高かった。都市部からは離れた場所だが、


(ま、やっぱり今日は混雑するか……。普段は知らないけど)


 宮西と同じように、一人で店内を訪れる人間は間々いた。四人掛けのテーブルに一人の人間だけ、というケースが見られたからだ。

 女性店員はあるテーブル席の前で立ち止まる。そして、


「こちらのお客様と相席になりますがよろしいでしょうか?」


 店員は空いたテーブルではなく、一人の少女の座るテーブルに宮西を案内した。大きなソフトクリームをトッピングしたメロンソーダをストローで吸うその少女は、


「ん? 大丈夫よ? どうぞどうぞ」


 ゆっくりと店員に振り向き、嫌な顔一つせず了承してくれた。


「ご厚意に甘えて失礼します」


 宮西は木々の中の雰囲気を損なわないような木製のチェアに座り、店員から渡されたメニューをざっと視界に入れる。と、そこであることに気が付く宮西。


「これって……」


 メニューの雰囲気から、そして右端に添えられているロゴマークから、このカフェが全国的に展開されているファミレスのチェーン店であることが分かった。店員も察知したのか、


「はい、当店では現実世界で出す予定のメニューを実験的に販売しております」


 そういえば、と宮西はR4入門書に載ってあったことを思い出す。

 こういった企業がR4に出店しているのは、R4内の売上で利益を出そうというよりは広告の意味合いが強い。安価でサービスを売り、より幅広くそのサービスの内容を知ってもらいたいというのが狙いらしい。ある意味での実験施設、とでも呼べるものかもしれない。


 メニューを再び吟味する宮西。たしかに、王道メニューもあるといえばあるのだが、現実世界ではあまり見ないような、明らかに実験的に出しますよー、とも見て取れるメニューもあった。そんな中、ある一つのメニューに注目する宮西。


「ほうほう……、クッキー生地を土台にイカ墨生クリーム、キウイとバナナの星が散りばめられたスイーツですか……。むっ、ここのオリジナルメニューみたいですね……」


 宮西はメニューから視線を外し、哀愁たっぷりの夕焼けに染まる空を展望した。


「ここにはピッタリのメニューですね」


 新規のキャンペーンで貰ったR4内で使える、現実世界と同じ通貨の残高を『R4ナビ』で確認し、宮西はこのオリジナルメニューを頼むことにした。

 そして頼んだものを待つ間、宮西は再び街並みを眺める。しかし、そんな彼の行動を遮るように、


「ねえ、ひょっとするとキミも夜空を眺めに来たの?」


 声の方向は正面からだった。透き通るその声に反応して、宮西はゆっくりと首を動かす。

 首元まで伸びた橙髪で、右の頭部にはピョンと一本の髪房が可愛らしく飛び出している。髪と同じようなオレンジ色のブレザーを着用した、二重のパッチリした目が何とも愛くるしい女の子だ。中学生とも見て取れるような童顔ではあるが、纏う雰囲気からは高校生だということが伺える。


「はい、噂を聞いて。なんでも、現実の方では見られないような星々が見られるとか。どうやらここに来る方々は同じ目的みたいですね」

「……そうね。お友達と、もっと言えば恋人と一緒に眺めれば、強烈な思い出が残るわよ?」


 そう口にする少女の顔は妙に悲しげだった。肘をテーブルに附き、目を細めて夕焼けに照らされた街並みに視線を移す。


「ねぇ、もしかしてキミ、初心者? さっきの店員のやり取りではそう見えたけど?」


 気を取り直すためか、メロンソーダを一口含んだ彼女は宮西に尋ねる。


「そうですね、R4を始めて一週間程度の初心者です。元々二人で行動してたんですけど、今は別あって一人です」

「……そっか。じゃあ、『自分の魔法オリジナルマジック』はまだ決めてないの? ほらっ、記述用紙スペースに書くアレ」


 彼女はクリームの上に乗っていたさくらんぼを口に含み、行儀悪くぷっとタネを口から窓の外に飛ばした。同時にクリームの付いた頬を袖で拭おうとしていたので、宮西はポケットからティッシュを取り出し、彼女に無言で渡す。


 彼女の言う記述用紙スペースとは、個人に充てられているA3サイズの数式を書きこむ領域のことである。R4の各地に設置してあるコンピュータ端末を使って書き込んでいくもので、いつでも自由に自分の組んだ数式魔法が使える訳だ。このような魔法を、通常この世界では『自分の魔法オリジナルマジック』と表現するらしい。


「うーん、まだ決まってないんですよねぇ……。記述用紙スペースはまだ空ですよ。ほらっ、魔法なんて数式の組み合わせで無限通りあるじゃないですか? それが結構悩ませるんですよねぇ」


 橙髪の少女は同調したように笑った。


「それにしても、初心者か……。ふーん……」


 ――僅かな変化だった。


 少女は笑みを口元に残しながらも、目をゆっくりと細める。今ほど見せた哀愁とも見て取れるような表情かおとはまた違ったその顔つき。


 ふと、宮西はあることを思い返した。


(……橙髪……。いや、まさか……。こんな女の子が……)


 数日前まで共に行動していた少年のことを、そして目の前の少女のことを照らし合わせる。まさかとは思うが、それでも捨てきれない考え。

 そして少女は顔を上げた。彼女の面差しは変わらない。細めた目で宮西を舐め回すように目を通す橙髪の少女。


「――――ねえ、あたしと一緒に遊ばない?」

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