第1話 はじめまして

 恋に落ちると、雷に打たれたような衝撃が走ると聞いたことがあるが、俺はそれを全力で否定したい。恋に落ちたら、甘いガスが体内に侵入り、呼吸器から消化器に至るまで気体が充満するような感覚に陥るものだ。

 なぜこんなに詳しいのかって?そりゃ今現在その感覚に陥っているからだ。俺は今、猛烈に自分自身の第六感を絶賛したい。この堅苦しい現代日本、こんな感覚は二度と味わえないだろう。例えこれが運命の出会いではなかろうと。

 「あら?お客さん、学生さん?」

 ハッと目が醒めたのも束の間、女神がこちらに向かって歩を進め給うて下さった。その御身体は女性特有の凹凸のバランスを極限まで完璧なプロポーションのイデアに近づけており、そのお声は猫なで声過ぎずあまりにも低すぎない王道の癒やしボイス、いや、癒やしvoice。そして、陽を反射して輝く栗色の髪は、左肩から流すように伸びていた。

 大気という名の海を割りながら、彼女は俺と1、2メートルの間隔を開けて静止し、神名を歌うように語り始めた。

 「こういうお店って、学生さんはあまりきーひんやんか。うち、ほんま嬉しいわ。」

 訛から察するに、彼女は京都出身らしい。いかにもおっとりとした、気品あふれる彼女らしい言葉遣いではないか。

 「っと、立ち話もここまでにしといて……手作り洋服の店、ロウダー・デュ・ヴァンへようこそ。お店開いたばっかやから、大したものはないけど、ゆっくり見てきや。」

 アンデッドを即座に成仏させるサンシャインスマイルに反応すべく、俺がひねり出した言葉は、

 「あっ……どうも……」

 これが限界だった。この状況を嘲笑っている読者諸君もやってみるといい。きっと同じ返答になるはずだ。

 そんな俺をみて、彼女は小動物のようにクスクスと笑った。

 「ふふっ。そんな緊張せずに、ゆっくりしてき。あ、試着室使いたいときは、一言声かけて。」

 イタリア人の口説きやフランス紳士のお世辞に匹敵するセリフを言えず、落胆していた俺の肌が感じたのは、外気が侵入してくる感覚だった。

 「たっだいま~!」

 中に入ってきたのは、これまたべらぼうなべっぴんさんであった。全体的にスラッとしたプロポーションに、スポーティーな印象を与えさせる装いとボブカットが、見る者に夏の到来を告げるようだった。

 「あれ?お客さん?」

 「うん。今、少し話ししてたとこ。」

 「へぇ〜。随分と若いんやね。君、歳なんぼなん?」

 「あっ……16……ッス……」

 あらやだ。この人すごい。初対面でグイグイ距離詰めてくる。

 「16?ってことは……うちと2つ違いか!いや〜何か弟できたみたいやわ!……あっ、うちが誰だかわからんよね。うち、この人の妹やねん。」

 そう言って彼女が指差したのは、愛しの我が女神であった。なるほど。お淑やか大和撫子な姉と元気ハツラツな妹。見るだけで心が安らぐ。きっとこの店は、近隣の市町村から千客が訪れる人気店になるだろう。

 「んでんで、君、趣味は?」

 「プラモを少々……あとはサイクリングを……」

 「ええやんええやん!文武両道って感じで!うち、プラモと自転車、どっちも興味あんねん!今度、教えてくれへん?」

 「いいっすよ。」

 「やった〜!嬉しいわ!そんじゃ、連絡先交換しよな!」

 ううむ。末恐ろしい子よ。こんな短時間で、俺の心を開いてしまうとは。きっと彼女は、天照大神の生まれ変わりに違いない。……えっ?それは開かれる方だって?…………さあ、こんな下らない議論は置いておいて、俺は女性との連絡先交換という人生における重要分岐点の選択を終えた。

 「それで、君ってどこの学校……」

 「那津。そのへんにしとき。」

 「えぇ〜、ええやんか、初めてのお客さんなんやし。」

 なんと。どうやら俺は幸運に恵まれていたらしい。こんな楽園を誰にも邪魔されず、独り占めできるとは。っと、危ない危ない。思考がキモオタのそれに偏っていた。

 「ええもなにも、初対面の相手なのにそんなグイグイ聞いとるから、お客さん困ってはるやないか。ほんと、すいません。」

 「あっ、別にいいですよ。俺、全然大丈夫です。」

 「ほら、本人もこう言ってることやし、迷惑やないやろ。」

 「はいはい。分かったから早く着換えてな。」

 「はーい。」

 そう言ってボーイッシュな彼女、那津さんは階段を登っていった。 

 「すいませんねぇ。那津、昔っからこんな感じなんです。誰が相手でも、所構わず突っ走ってもうて。」

 「明るい方なんですね。」

 「ええ。そこがええ所でも悪い所でもあるんやけど。」

 彼女は少しはにかむ。

 「さて、そろそろ服の話でもしましょか。って言っても君、学校から直接来たんやろ?だったら、お金持ってへんよな。」

 「いや確か2000円くらいは財布に……」

 「そっか。2000円やったら……」

 そう言うと彼女は、棚の方に移動し、何かを探るような仕草を見せた。彼女を動かしてしまった事に罪悪感を抱いていると、彼女が再びこちらに来た。

 「これ、どうかな?」

 彼女が申し訳無さそうにはにかんで手渡してきたのは、黒無地に白いラインが入っているシンプルな靴下だった。定価1500円。

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