3-6

 正直、泣いている女子を一人きりにさせるのはかなり不安だ。もの凄く心配だ。


「…………分かった」


 しかし悔しいが、このままでは埒が明かない、というのも正直な感想。

 教室の扉まで歩みを進めるものの、経験したことのないくらい自分の足取りが重い。俺は僅かに首を動かし、背後の黒川の様子をチラリと伺う。やはり涙は止まっていない。ただジロジロと見る訳にはいかず、俺は何も言えず扉を引き廊下へと出る。


 廊下横を見れば、あの茶髪ロングの女、伏見咲夕が楽しそうに笑いながら携帯電話を耳に当てていた。一瞬だが、この俺を見てほくそ笑んだのは二度と忘れない。


「…………あの野郎ッ」


 ヤツの顔面を固く握った拳で思い切り振り抜いてやってもいい、髪を掴んで鳩尾に膝をぶち込んでやってもいい、純粋にそう思えた。


「……いや、それじゃダメだな」


 今殴ろうが、さっき殴ろうが流石に暴力沙汰はマズイ。暴力は怪我という証拠も残りやすいし、確実に俺……それに黒川だって不利益を被る。ならば手を挙げるという手段を使わずに言葉を並べてみたとしても、伏見は改心することも傷つくこともないだろう。アイツの様子を見ていればそう思えたし、たとえ強引に伏見を止めたっていつか黒川を傷つけたはずだ。


「……今はしゃあねぇ」


 とにかく今は黒川が最優先だ。

 ふつふつと湧き上がる怒りはなかなか収まらないが、伏見咲夕のことは仕方ないと強引に割り切ることにし、俺はアレを取りに行くためにあの場所へ赴くことにする。


「…………黒川」


 それにしても、引っかかることが俺にはあった。

 それは黒川が涙を流したのは、単に傷つくことを言われたからなのか?

 そりゃあ、誰かに嫌なことを言われればイイ気はしないはずだ。プラスになることは余程の趣味でない限りない。


 でも、引っかかりはある。


 そもそも暴言を吐かれた程度で泣くような女か、黒川は? 

 極端なことを言えば、俺も黒川に酷いことを言ったような気がする(しかし、これはあくまでも黒川弄りに対する正当防衛だとは弁解したい)。その時は軽く流してカウンターさえも決めてきた。しかし今回は違う。


「……中学じゃないんだよなぁ。その前なんだよなぁ」


 篠宮いわく、中学時代はすでに今の黒川紅涼が完成されていた。しかし伏見の話(当然、全て正しいだなんて信憑性はない)によれば、小学一年生時の黒川はクラスの注目を集めるような人物であり、おそらく伏見の取った行動によって彼女は変わってしまった……らしい。


 引っかかりと言えば話は遡るが、黒川が俺と初対面の際に言った言葉がある。それは、頭の悪い人間を見下すために勉強を重ね、医学部に進学するということ。


「……そうは全然思えねぇんだけどな」


 そうだ。黒川に比べれば頭の出来は……な俺に対しても、補習中は決して数学の出来が悪い俺に幻滅したりとか、バカにしたりするような発言は一切ない。補習中はいつでも俺のレベルに寄り添って、嫌な顔一つせず納得するまで付き合ってくれた。そんな黒川が、本当に頭の悪い人間を見下しているとは考えられない。


 …………頭の悪い?


「……ちょっと、待てよ?」


 引っかかりが連鎖するように新たな引っかかりを呼び寄せる。

 頭の悪い=勉強のできない人間、なんていつ黒川が言った? たしかに、あの時医学部を絡めてきたからそう受け取れなくもないが。だがしかし、その等号はこの場合においては成り立たないんじゃないか、と俺は否定できる自信がある。


 それは女子バスケ部の活動を上から眺めていた際、黒川の見せたあの顔。正確には星ヶ丘花蓮に嫌がらせをする伏見らを見た時の嫌悪感。つまり、頭の悪い=自分勝手な理由で他者を傷つけ、そうして足を引っ張るような行為をする人間、と結んだほうが幾分か自然じゃないか?


 黒川があんなにも嫌悪感を出したのも、かつてそのような人間(=伏見咲夕)に足を引っ張られたからであり、だからこそ、そんな連中に邪魔さえもされないレベルに到達するために勉強を重ね、医学部進学を目指している、そう考えれば辻褄が合う。


 話は少し戻すが、篠宮天?の言葉を借りれば、黒川紅涼の評は『女版神宮寺善慈』。おそらく小学一年生の時の伏見咲夕の行動を受けて、それ以降はクラスの端で数人の友達でも作って地味に過ごしていたんだろう。集団行動はあまりせずに。


「……俺も集団は好きじゃねぇしな」


 何が嫌かって、自分の思い通りになることが少ないから、……ふん、違うな。なぜかと言ったらそれは……。


 ああ、そういうことか。


「……そうだよなぁ、だから地味でありたいんだよなぁ」


 考えてみれば簡単なことだ。それが嫌だから、それをされたから、黒川紅涼はあんなにも傷ついてしまったんじゃないか?

 しばらく廊下を進み、目的の場所で目的のブツを無断で持ち出し、俺はあの教室へ戻ることにした。


 教室前で少し緊張しつつ、ガラリと扉を開ける。


 黒川紅涼は教卓前から場所を変え、いつものコーヒータイムが開かれる窓側席に座って、机に顔を伏せていた。

 扉の音で俺の存在が分かったのか、僅かに顔を上げ、


「…………神宮寺くん」


 先ほどまでの勢いはなかったものの、やはり涙は途切れておらず声も涙声。

 赤くなった目で俺を視界から逃そうとしない黒川、そんな視線を真に受けながら、俺もいつもの席に座った。

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