3-5

 猫嫌いじゃなかったのか? 小学生の頃は違ったのか?


「でもね、突然猫が黒川の腕を引っかいちゃったんだ。そしたら黒川が泣きじゃくってさ~。んで、私は保健室に連れてってあげたんだ。どう、優しいでしょ~?」


 至って自慢することでもないと思うがな。


「……もう、話さなくていいから」

「でね、黒川ってば、泣いちゃったことが恥ずかしかったからかな、私が泣いたって事実をクラスで言いふらしたら許さないって脅してきたんだよ。脅迫だよ、脅迫。メチャメチャ怖く言うの。でもその時、あ~そういうことかぁ……、て思ったんだ」

「……どういうことだよ」


 伏見は楽しむようにイヤらしく間を開け、


「これが黒川の人気の秘密なんだってこと。みっともない部分は隠して完璧超人を演じる、それが黒川紅涼の人気の秘密、って察しちゃった。それで私、クラスのみんなにそのことを勇気出して言ったんだ」


 伏見は満足げに言った。まるで自分の言葉が本当に正しく、誰もが支持すべき言葉なのだと言うように。


「…………だから何だよ。それがどうかしたのか? あー黒川の言った通り、聞くだけ時間の無駄だったわ」


 今度こそ満足しただろうと思った俺は、席を立って教室の扉を開けた。


「ほら、さっさと帰れ」


 ふんっ、と伏見は呟きおもむろに腰を浮かす。そうして黒川紅涼に向かって面と、


「あれからみんなに見放されちゃったもんね~。友達もぐ~んと減っちゃったし。やっぱり正義の味方さんである私がいっちば~ん!」


 黒川に指を差しつつ大きな声でそう放ち、ルンルン気分で伏見は教室から出て行く。すぐに携帯電話を取り出し、友達の誰かに電話しながらアイツは帰って行った。


「……何だアイツは、マジで?」


 個人的に思ったことだが、嫌がらせをしてきたというよりは、単にストレスを解消したいがためにここまで足を運んだみたいだった。


 あーでも、俺が直接言われた訳ではないが腹は立つ。ああいう無神経な振る舞いは好きじゃない。もう少し他人に気を遣って欲しいものだ。あれじゃガキの横暴な振る舞いにしか見えん。


 伏見について色々思うところはあるものの、今は補習の時間。俺は引き戸を閉めた。


「さてと黒川、あんなアホのことは忘れて――――――……ッ!?」


 やれやれ、とウンザリした心持で振り返った瞬間。


「…………お、おい」


 思わず息を呑んでしまった。呼吸が止まるかと思えてしまうほどに、それを見て俺は――――――。


 なぜならって。


 あの黒川紅涼がボロボロと涙を零し泣きじゃくっているのだから。


「くっ、黒川!?」


 教卓に肘を付き俯き加減で、両手の人指し指で涙を掬うように拭いていく。だが、それでもポツポツと教科書に水滴が滴り落ちる。


「…………えぐっ……んっ…………んぐっ……んっ……うぅ…………」


 まさか、とは思った。黒川がこんな姿を見せるなんて。

 いや、伏見ごときにいくら暴言を吐かれたって、適当にスル―して終わりだと思っていた。それで俺が、アイツの言うことなんかただの負け犬の遠吠えだ、なんて口にして、それで普段通り補習開始とさえ思い描いていた。


「……うっ、…………んっ…………」


 耳に入る脆い涙声、胸が痛い。


 ……ああ、違う。ナニ思い違いをしていたんだ、俺は。


 あの程度の暴言、と勝手に思い込んだのは俺であって、黒川ではない。自分が黒川の立場ならムカつきはするものの、適当にスル―して終わり。……そんなの、もし俺がその立場だったらと置き換えただけの勝手な考えだ。


 ――――黒川紅涼だって人間なんだ。暴言を吐かれて傷つくことなんて普通のことなんだよ。鈍感な俺とは訳が違う。


「黒川、あんな負け犬のことなんて気にするな。伏見ならいくらでも見下してやっていい。あんな人間性のヤツに何を言われようが気にすることなんてねぇよ」


 黒川に寄り添い言葉を掛けてやるが、一向に泣きやむ気配はない。


 あああッ! 「気にするな」なんて言葉、無責任すぎてダメだ。俺の一言で気にしなくなるようなら、黒川はこうして泣いてなんかいない。


 ……どうすればいいんだ? 人を慰めるような場面、それも同級生の女子を慰めるシチュエーションなんて経験は皆無、今はそんな自分が恨めしい。

 頭でも優しく撫でてやればいいのか? でも慣れない男に触られると逆に不安がられる可能性も考えられるし…………。


「…………んぐっ、…………させ……て…………」

「……ん、どうした?」


 黒川がボロボロと涙を頬に伝わせながら、


「……一人に…………させて……」

「………………」

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