第3話 一触即発

「ねえ、そろそろ行かないと間に合わないんじゃない?」


 精神統一の最中さなか、その声は研ぎ澄まされていた感覚をいとも簡単に掴むと離さなかった。それは間違いなく脳への合図となって肺の隅々にまで酸素を送り込むと、ゆっくりと吐き出させる。

 あれから一ヶ月。難なく出場資格を得た俺はあの舞台に立つ事が決まった。今日は出場者へ向けてのルール説明とトーナメントの組み合わせの抽選がある。アイツと春人は間違いなく会場にいるだろう。そして、まだ見ぬ相手との真剣勝負を見据えると心臓の鼓動が速さを増していく。


 明鏡止水めいきょうしすい

 幾度目かの深呼吸を終えてようやく、


「待たせたな」

 そう声を掛ける。


 目を伏せた彼女は珍しく無言で頷いた。

 スバルに大手を振って見送られて大げさなガッツポーズで返す。俺達は一路いちろ会場への道を往く。桜並木のその途中。


「勝つよね」

 隣からそう控えめな声が聞こえる。


「当たり前だろ」

 真っ直ぐを見つめたまま同じ調子で言葉を返すと、直後強い向かい風が吹いた。

 その風に思わず目をつむり、


「あの頃とは違って、桃莉は強いもんね?」


 ようやく開いた視界の端では花びらがひらひらと舞った。


「当たり前だろ?」

「……うん、知ってる」


 桜を背景に押しやり彼女と目が合うと、その瞳は確かに笑っていた。


***


「わあ、すごい人だねー」


 会場に到着するとすぐに近くから声があがった。まるでスバルのようにはしゃぐ姿に思わず吹き出すと、


「おいみなと、くれぐれも迷子にはなんなよ?」

「もー、わたしだってそこまでお子様じゃありませんけど?」

「どうだか。じゃあ行ってくるから、ここで待っててくれ」


 受付カウンターへ向かうととどこおりなく身分証明などを終える。

 始まりだ。ここが俺の始まりとなる場所。そう決意を新たにしていた。


「よう」

 いざ戻ろうとしたその時、背後からドスの効いた聞き覚えのある声が耳に入った。

 背筋と空気がピンと張り詰める。


「……圭吾。やっぱり来てたのか」

「ハッ、こんなちょうどいい機会他にないからなぁ? お前もそうだろうがよ?」


 正面からその長身の男と向き合い、決して視線を逸らすまいとにらみ合いを続ける。

 それからしばらくすると彼は言い放った。


「おい、いい事思いついたぜ。ここでケリをつけるってのはどうだぁ? お前はどうなんだよ。桃莉?」

「ふん、言うまでもない。そっちがそのつもりなら受けて立つ!」

「じゃあ同意ってぇ、ことでいいよなぁ!」


 ヤツの怒号が地響きに変わる。

 突然の臨戦態勢。

 ここで抜くか、後の先か?

 だが瞬間、頭が考えるよりも先に走り出していた。我ながら想定外だが臨機応変に事を進める。

 あえて先手を仕掛け初手で確実に利き腕を封じる。それでいいだろう。いや、それ以外の選択肢はない。

 ――抜刀。

 次第に武器を構えた圭吾の姿が近づいてくる。


「先輩方。場外での私闘はルール違反ですよ。これは目に余る案件なのではないでしょうか?」

「桃莉、百目鬼君、ダメだよ!」


 突如飛び込んできた二人の声によってそれはさえぎられる。

 春人はるとが俺達の間に割って入る形で、湊はそこから離れた所に立っていた。


「湊さん……」

 百目鬼圭吾どうめきけいごは俺よりも先に、得物――電撃走る巨大ハンマーを力なく地面に下ろした。


「百目鬼君、落ち着いてよ。今ここで戦う事に何の意味があるの?」

「いえ、それは……」


「桃莉も桃莉だよ。あんたさ、何でこうなったのかちゃんと説明してよね!?」

 ヤツから移された視線が嫌と言うほどに突き刺さった。


「いや、それは……」


 答えに困窮こんきゅうしていると、春人が眼鏡をクイッと上げて仕切り直す。


「まあまあ、霧島先輩。今回はお二方のはやる気持ちがそうさせたのだと思いますし、出場者である私にもそれが痛いほどに理解ができます。ひとまず穏便に握手などでもして仲を改めさせると言うのが、この場でのベストな落としどころではないでしょうか?」

「うーん、まあ……猿爪ましづめ君がそういうならそうかもしれないのかな……。で、どうなの?」


 そう言って湊は視線を預けてきた。


「桃莉先輩、百目鬼先輩。……ここで霧島先輩の心象を悪くするのは得策ではないでしょう? どうか何卒なにとぞお一つ」


 湊には聞こえないだろう絶妙な声量で問い掛けた春人は、少しも動じる事なく深々と一礼をする。

 この男はまったく肝がわっている。


「ハハッ! 面白れえ後輩を持ったなぁ、?」

 ヤツはわざとらしい言葉を投げかけてくる。


「勝負はお預けにしようか、圭吾君」

 にらみ合ったまま、決して硬くもなく穏便でもないその場限りの握手をしてみせた。

 それはヤツも俺と同じなのだろう。瞳の奥で燃え盛る炎が揺れていた。


「百目鬼君も一緒に行かない? ……あ、ほら、このあとルールの説明があるんでしょ?」

 湊は慌てた様子で声を掛けた。


「湊さん。折角のお誘いですが用事があるのでこれで。俺の優勝を必ずやあなたに捧げます」


 うやうやしく言うとヤツは去っていく。


「さあ行きましょう桃莉先輩」

「ああ、そうだな」


 参加者のみの説明となる事もあって、彼女だけを置いて運営が用意した控え室へと急ぐ。

 そこに入室すると、既に集まっていただろう参加者達の視線が俺達に注がれる。ここからは勝負の世界なのだとようやく実感する事ができた。


「やあ諸君! お集まり頂きありがとう。私はこの大会の実行委員長、生天目なばためだ。予定通りルールの説明をさせていただく!」


 突如現れたその男が口を開くと、集まった参加者達は静まり返る。

 その男はつい先ほどまではいなかった。少なくとも気配を感じる事ができなかった。


「若干」

 と、隣の春人が呟いた。


「どうかしたのか?」

「確証があるわけではありませんが、あの男からはどうも」

「どうも?」

「生気を感じられないと言いますか……」


 彼はこうも続ける。


「まるで投影された映像のように現実感が欠け落ちている。思うにVRに近しい技術……なのかもしれませんが、現段階では何とも」


 主催者には何らかの意図があるのか、あるいは単なるサプライズの類なのかもしれない。


「さあ、ルールを説明しようっ!」

 その声と共に突然室内が暗くなると、スポットライトのような光が生天目を照らした。


「ひとぉつ、参加者はどのような武器・魔術・戦法を用いても構わない! 当社の誇る総合戦闘システム『s/h/i/e/l/dシールド』によりいかなる危険な武器であっても相手に一切の傷を負わせる事はない! よって戸惑うな、存分におのが得物を振るうがいい!」


「ひとぉつ、勝負はラウンド制! 同システムにより可視化された体力ゲージによって勝敗を判断する! 3ラウンドを終えた時点で、相手の体力を0、もしくは体力の残量が高い者が勝者となる!」


「以上だ! 我々は参加者諸君の健闘奮闘を期待しているっ!」

 その声が聞こえ、室内が明るくなると男の姿は既に消えていた。

 再び周りがざわつく。


「予想通り只者ではなさそうでしたね……」

「まあそれはそれとして、俺達は俺達の最良を尽くそう」

「ええ、ここからはライバルですね。先輩……一月前の私と思わない事です」


「ああ、楽しみにしてるよ」

 春人とがっちりと硬い握手を交わす。レンズ越しの瞳はやはり燃えているように見えた。

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