第16話:だいたいこういうのは、気持ちが大事でしょ?
「そう言えば、ケプラーはどうしたんだろうね?」
辞令が交付されなかったということは生きているということではあろうが、講堂では見かけなかったようだ。戦傷を負って保健室-今は野戦病院となっている-にでも入っているのであろうか。
「大きなケガなどしていなければよいのですが……」
キルヒホッフのゆるふわ
フレミングが自室のドアを開けると、室内は暗いままだった。
「ケプラーは未だ帰ってきてないみたいだね……」
明かりをつけたフレミングの視界の隅に人影が映る。それは、今は亡きファーレンハイトのデスクに突っ伏している
「ケプラー、大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄るキルヒホッフ。パイロットスーツを着たままのケプラーがゆっくりと頭を上げて心もち振り返った。常には清流のように澄んだ
「ケプラー、大丈夫ですか?」
再び問いかけるキルヒホッフに、ただ項垂れるだけのケプラーが弱弱しく返事をする。
「ファーレンハイトちゃんが、ファーレンハイトちゃんが……」
「えぇ、えぇ、ファーレンハイトは……」
キルヒホッフはケプラーの座るイスの前でしゃがみ込み、ケプラーの顔を見上げるような姿勢で優しく話しかける。もう何時間泣いていたのであろうか。顔はくしゃくしゃにしているのに、瞳が乾ききっているケプラーである。
「ケプラーは大丈夫なのですか? その胸の血は?」
「私は……大丈夫。ファーレンハイトちゃんが……ファーレンハイトちゃんは、私のせいで……」
キルヒホッフがケプラーを抱きしめ、その
「ケプラーのせいなんかではありませんわ」
「ファーレンハイトちゃんは……私のせいで……」
フレミングが自分のデスクとキルヒホッフのデスクからそれぞれ椅子を持ってくる。3人で車座になると、ようやく少し落ち着いたケプラーがたどたどしく話し始めた。
「私を待ってたから、あんなことに……」
そんなことは無い、それは運命だ。そう言いたくなる誘惑に、しかしそう簡単に言ってしまってはいけないような気がしたフレミングは、ただ黙ってケプラーの独白を待つ。しばらくすると、ケプラーが再び口を開いた。
「ファーレンハイトちゃんの機体には、大きな損傷はなかったの……」
「でも、小さな破片が1つだけ、
聞いている2人は敢えて相槌も返さず、ただ優しいまなざしでケプラーの全てを受け容れている。
「私が行った時には、ファーレンハイトちゃんは……胸から沢山血を流してて……私は……」
「私は、ファーレンハイトちゃんを抱いてあげ……しか、できなかったの……」
あとは突っ伏して話すことのできなくなったケプラーに、フレミングが声をかける。
「でも、ファーレンハイトは良かったね。その時、ケプラーが居てくれて」
『最期に』とは言えないフレミングである。親友の気持ちが分かるキルヒホッフもフレミングの意に同意する。
「パイロットって、1人ですものね。ケプラーありがとう、ファーレンハイトの側に居てくれて」
少し顔を上げるケプラーに
「ファーレンハイトは、その時、何か言ったのですか?」
少しの間をおいてケプラーが、少しだけ顔を赤くしながら小声で答える。
「まじ、巨乳しか勝たん、って」
「何か、ファーレンハイトらしいねぇ」
少しだけ気の軽くなったようなケプラーの表情に、キルヒホッフは安堵した。
「それでね」
再び口を開くケプラーにフレミングとキルヒホッフが相槌をうつ。
「それで、実は……ファーレンハイトちゃんから……勝手にこれをもらってきちゃったの……」
そう言ってポケットからケプラーが取り出したのは、ファーレンハイトの
「えぇ、大丈夫なの?」
幸いファーレンハイトの遺体に大きな損傷はなく識別も容易であるため、
「それでね……」
フレミングの問いには答えず、ケプラーは自身のアイディアを2人に披露する。
「それで、私達でコレをデコって、ファーレンハイトちゃんが土に還る時に、もう一度首から掛けてあげたいな、って……」
バーラタでは、死者の眠る棺に故人の大切にしていた物を一緒にしまって土葬する風習がある。無機質な
「ワタクシ達に、できますかしら?」
案じるキルヒホッフにフレミングが調子よく答える。
「大丈夫だって。だいたいこういうのは、気持ちが大事でしょ? ね、ケプラー?」
「うん!」
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「サフとか吹かなくても大丈夫かなぁ?」
ファーレンハイトのデスクからグロスやらリップやらを選り好みしながら、フレミングが呟く。
「サフ? って何? フレミングちゃん」
ケプラーの問いかけにキルヒホッフが替わりに答える。
「サーフェイサーのことですわ、ケプラー。塗装する前にサーフェイサーを吹いておくと、塗料が定着しやすいのですよ」
「へぇ~、そうなんだぁ~。私そんなこと全然知らなかったけど、2人はなぜそんなこと知ってるの?」
再びの問いに、今度はフレミングが答える。
「私達、高校時代は模型部だったんだぁ。ケプラーは
「プラ……ド? ううん、何それ? フレミングちゃん」
初めて聞く単語に戸惑うケプラーを見て、フレミングが説明する。
「Plastic Armored Doll 略してプラムドール。女の子の人形にプラスチックの装甲を着せて遊ぶホビーなの。髪型とか洋服とかを着せ替えて遊ぶドールと、戦車やロボットの模型を作るプラモデルと、両方の趣味を同時に楽しめるんだよ。いわゆる、カッコ可愛いって奴!」
「それでワタクシ達は、その
ゆるふわ
「それでそのサフ? ってのが必要なの?」
「そ、普通は、ね」
「ですが、残念ながらファーレンハイトがサーフェイサーを持っていたようには思えませんし……今回は無くても……」
「そっかぁ、しょうがないよねぇ~やっぱり……まぁ、そんなに動かすことも無いだろうし」
摺動させて塗装面を痛めることがなければ、サフ無しでも大丈夫であろう。
「それでは始めましょう。どのような色に仕上げるか、お考えはありますか、ケプラー?」
キルヒホッフの問いに、これだけは決めていたと言わんばかりにケプラーが答える。
「あのね、やっぱりベースはピンクにしたいの。ファーレンハイトちゃんの髪のように、華やかな
残る2人も同時に頷く。3人とも、それ以外のカラーリングは思いつかなかった。
1時間後、第18小隊特製カスタム
「ファーレンハイトちゃん、喜んでくれるかなぁ?」
遠い目をするケプラーにファーレンハイトの口癖を真似たフレミングが応える。
「当たり前っしょ!」
その時3人には、
******************************
「それで、お2人はこの後どうなさいますの?」
「どうって?」
講堂に集合していなかったケプラーは詳しい話を聞いていないのであろう。改めてキルヒホッフが簡潔にパルティル校長の訓令をまとめる。宣戦布告のこと、バーラタと、何より
「私は残るよ、キルヒー」
何の躊躇いもなくまっすぐな瞳を返してくる親友に、キルヒホッフも同意する。
「ワタクシも無論残りますわ。それで……ケプラーは……?」
「私はね……」
ゆっくりと口を開くケプラーの答は、しかし2人には意外なものであったかもしれない。
「私も残るよ。だって……」
「ファーレンハイトの仇?」
思わず口をついて出たフレミングの言葉に、しかしケプラーは気を悪くした様子もなく決心を述べる。
「もちろんそれもあるけど、それだけじゃないの……実は私……他にもファーレンハイトちゃんから勝手にもらってきちゃったものがあるの」
そういって自分のデスクの引き出しを開けると、中から何やら取り出しながらケプラーが話を続ける。
「実はね私、ファーレンハイトちゃんの髪の毛を2本もらってきたの……」
意外な話の展開に
「1本はね……私のお守りにするの。これがあれば、私は絶対大丈夫。だってファーレンハイトちゃんが守ってくれるから。あの時のように……」
頷く2人にケプラーは続ける。
「それで、もう1本はね……」
「ファーレンハイトちゃん言ってたでしょ。
ケプラーが何を言ってるか分からない2人は、そのままケプラーが口を開くのを待つ。
「でもね……可哀そうだけど、ファーレンハイトちゃんは
何となく様子が分かってきた2人に、ケプラーは思いの丈の全てを話す。
「その時ね、もし私が任官拒否してたら……おばぁちゃんに合わせる顔がないでしょ……それにきっと、ファーレンハイトちゃんにも笑われちゃうから……」
「私はね、ファーレンハイトちゃんのおばぁちゃんに会って、謝って、お礼を言って、お願いするの。私のせいでごめんなさい。ファーレンハイトちゃんのお陰でありがとう。ファーレンハイトちゃんお帰り、って」
目を潤ませながら
「そうね、それまでワタクシ達は、死ぬわけには参りませんわね」
「うん、ゼッタイ」
我が意を得たケプラーが力強くうなずいた。
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