第5話:何コレ、全然曲がんない!
AMF-75Aは
各分隊内では分隊長と機付長のことを、独特の敬称なり愛称なりをつけて呼んでいる。フレミング分隊の場合であればその分隊長を「お嬢」と呼ぶのが決まりであり、機付長であるチャンドール整備准尉は「おやっさん」である。この呼称はおやっさんが決めて皆にそう呼ばせていた。一方で、キルヒホッフは分隊内では「姫様」であり、その機付長-ネルクマール整備准尉-は「ネル隊長」であった。この愛称(?)と敬称(!)の差についてフレミングは一度おやっさんに抗議したことがあるが、おやっさんから
「さらば姫様の御心を察し奉り、今よりは『殿下』の尊称を奉りたく存じ申し上げますが、姫殿下の御意は如何に?」
等と返され、むず痒いものを感じたフレミングが
「おやっさんにはそんな格式ばった物言いは似合わないでしょ! だいたい今だって噛み噛みだったじゃない!」
とつい少し金属的な声を張り上げたところ
「だろ? やっぱお嬢には『お嬢』がお似合いだって」
と言われてしまった。「まぁ、そりゃ仕方ないか」と心中では感じるフレミングではあるが
「じゃぁ、何でキルヒーだけ『ヒメさん』なのよ!?」
と尚も抗議を続けてみたが、次のおやっさんの返答には全面的に納得してしまい、この件はこれで決着してしまった。
「だって、ヒメさんはホンマもんだろ? あの黄金で染め上げたように美しく輝くゆるふわロングは、どうみたってお姫様に違いねぇ」
無論2人は互いに深く信頼し且つ尊敬しており、今は同じ
「おぅ、お嬢、ヒメさん、ちょっといいかぁ」
「何、おやっさん、ネル隊長?」
「何でしょう、チャンドール准尉?」
フレミングはネルクマール准尉のことをキルヒホッフ同様に「ネル隊長」と呼ぶが、キルヒホッフはおやっさんのことを「チャンドール准尉」と呼んでいる。本人曰く「恥ずかしくて」おやっさんとは呼べないらしい。
「あぁ、ちょっと2人に頼みがあるんだが、今それぞれの機体のデータを吸い出すから、データを交換してシミュレータにかけてみてくれないか?」
AMF-75Aの姿勢制御コンピュータはパイロットに合わせたパラメータ変更が可能になっている。そしてこの値をデータとしてフライトシミュレータに設定すれば、シミュレータを愛機同様に操作することが可能になるのだ。つまり、フレミングの機体データを使ってキルヒホッフが、キルヒホッフの機体データを使ってフレミングが、それぞれフライトシミュレータを操作してみて欲しい、とのことであろう。
「すいません姫様、フレミー嬢。ちょっと今2人で研究していることがありまして……」
ネルクマール准尉はフレミングのことを、キルヒホッフの使う「フレミー」とチャンドール准尉の使う「お嬢」を独特に組み合わせた表現で呼んでいる。「卒業してもフレミー嬢なのかな?」とちょっと疑問に思いつつ、2人のパイロットは2人の機付長の申し出に快諾した。
******************************
バーラタ航空宇宙軍の最新型シミュレータはピッチ・ロール・ヨー軸の全てが360度回転する3軸回転シミュレータであり、360度ロールやループも体感することが可能になっている。シミュレータ内部はAMF-75Aのコクピットを模した構造になっており、
2人のパイロットがそれぞれシミュレータに搭乗し
「
シミュレータが本物の機体と違うところは、離陸・着陸手順や演習空域までの移動が
「アンティークゴールドの縁取りも再現されてるのかな? あとでキルヒーに聞いてみよう」
と思いつつフレミングはスロットルとスティックを軽く握り直して、おやっさんの指示を待つ。
「まずは左90度編隊水平旋回。開始」
おやっさんの合図を元に、フレミングとキルヒホッフはそれぞれ旋回
「わわっ!何コレ、全然曲がんない!」
「きゃぁぁぁ!!」
2人が同時に悲鳴を挙げる。外側に大きく旋回すべきキルヒホッフ機が急旋回を行い、内側を急旋回すべきフレミング機が緩旋回を行ったため、2機の進路が交差しそうになる。
「ぶつかるっ!」
フレミングが慌ててスティックを右に倒す直前に、急なエルロン操作で左滑りを起こしたキルヒホッフが降下していき、空中衝突はまぬがれた。
「状況終了」
おやっさんの指示でシミュレータ内面のスクリーン表示が消え、姿勢が水平に戻る。
「危なかったぁ~。お陰で寿命が3秒は縮んだわ。キルヒーは大丈夫?」
内心の焦りと緊張をごまかすように努めて明るく発声したつもりだが、声音に強張りがあるのを隠しきれなかった。
「えぇ、ワタクシは大丈夫ですけれど、今のは……?」
こちらも少し上気したような声で答える。内心では2人ともヘルメットのお陰で恥ずかしい顔を隠せていることにホッとしている。
「すいません、姫様、フレミー嬢。先に詳しくご説明しておくべきでした」
「いやいや、お陰でいいもん見れたじゃねぇか、ネル。特にお嬢の慌てっぷりときたら、
2人の機付長が2人なりの態度で分隊長達の精神を安定させる。尤もおやっさんの言い方に少しだけ癇に障るものを感じたフレミングが抗議の声を発しようとしたが、その機先を制してネル隊長が説明を続ける。
「実は姫様とフレミー嬢、お2人の機体設定は全く異なっておりまして、まぁその、入れ替えたら最も相性が悪い設定とパイロットの組合せの部類に入るのか、と……」
「ネル隊長、それはどういうことですの?」
キルヒホッフの当然の質問に、ネル隊長が説明を続ける。
「姫様の機体設定は、その操作の最初の段階では遊びが多く、操作量が多くなるに従って指数関数的に動作量が多くなるのです。一方でフレミー嬢の機体は、ほぼリニア。つまり最初から最後まで操作した量と同じ量だけ動作するのです」
「ですから、姫様がフレミー嬢の機体で緩旋回を試みてもそれは急旋回になり、フレミー嬢が姫様の機体で急旋回を試みても、それは緩旋回になってしまうのです」
「まぁ、そういうこった。要は、こうなることは予め予測の範囲内だったってわけよ」
ヘルメット越しに聞こえる2人の説明に納得する2人であったが、フレミングが当然の疑問を投げかける。
「それは分かったけど、何でそんなことやらせんのよ? こっちもビックリするじゃない!」
「すいません、フレミー嬢。それには理由がありまして……」
説明しようとするネル隊長に、おやっさんが口を挟む。
「まぁ、理由は後で説明するが、まずは次の状況を試してくれ」
次の状況は2機がそれぞれ別の空間で演習を行うようだった。今度は衝突事故は起きないであろう。尤も、2機とも音声だけは互いに通じている。
「次は右360度スローロール、始め」
おやっさんの指示で2人はスローロールを始める。スローロールとはゆっくりと一定の回転速度と速度・進路・高度を保ちながらロール軸に沿って一回転する演目である。スティックを右に傾けると左右の翼の揚力比が変化し右にバンクし始める。と同時に右翼が揚力を失った分、右に滑りながら降下していく。これを防ぐためには左のフットバーを踏んでラダーを動かし、機首を上方向に振らなければならない。一回転、すなわち水平姿勢から90度ロールに移行し、そこから背面姿勢を経由して270度ロールの状態から水平姿勢に戻る間、パイロットには適宜適切なラダーワークとスロットル操作が求められる。要するにこの演目では、様々な姿勢での安定制御が求められているのである。
「きゃぁぁ~」
またもや悲鳴を挙げるキルヒホッフは、フレミング機のリニアな反応-キルヒホッフには敏感過ぎると感じられる-を、頭では解っていても怖いと感じていた。思った以上のロール挙動に動揺したキルヒホッフは思わず両手両足を操作系から外し、
「このやろう~!」
等と叫びながら必死に手足をバタつかせる。勢いあまって二回転した後水平姿勢に戻した
「どう、おやっさん。ちゃんとできたでしょ!」
と言ってみせた。
「どうって言われても、ちゃんとできてねぇし……」
とは流石のおやっさんでも言えなかった。
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シミュレータから降りたフレミングとキルヒホッフは、2人の機付長に説明を求める。
「で、おやっさん、これは一体何の冗談なわけ?」
「ネル隊長、ワタクシも理由が知りたいですわ」
ネル隊長が考えごとでもしているようなゆっくりとした口調で2人に詫びる。
「いや、まずは申し訳ありません、姫様、フレミー嬢。お2人には怖い思いをさせたかもしれません」
「いいえ、まぁ確かにびっくりはしましたけれど、お謝りになられるようなことではありませんわ。ね、フレミー?」
「まぁ、実際キルヒーの機体と私の機体が、あんなに異なる設定だとは思ってもみなかったから、その……いい経験だったわ」
2人が愛機を受領してから9カ月。元は同じ機体のはずなのにこれだけ挙動に差が出るとは……「うちの機付長はちゃんと私に合わせてくれるなんて、やっぱり優秀なのかしら」等とはおくびにも出さないフレミングである。2人が調子を取り戻している様子を看て取ったネル隊長が、フレミングの言葉を借りながら少しづつ核心に迫る。
「そう、まさしく経験なのです。
「それが何か問題なの?」
ネル隊長の「常識を疑う」かのような発言が腑に落ちないフレミングが更なる説明を求め、ネル隊長は説明を続ける。
「いえ、問題ではないのですが。効率のことを考えると……」
突然「効率」などという単語が出てきて戸惑うフレミングを横に、金色のゆるふわロングがふわりとした口調で訊ねる。
「それはワタクシ達パイロットのことかしら……?」
「パイロットの効率?」
未だに意図を察しない様子の
「例えばフレミーが結婚したとしますでしょ?」
「結婚なんて、そんな、私は……」
動揺する親友を見てニコリとしながら、キルヒホッフは続ける。
「そして子供ができてパイロットを辞めたとして……その時ワタクシは未だパイロットを続けたいのだけれど、生憎愛機が故障していたとしたら……」
「多分キルヒーの方が先に結婚すると思うから……だってキルヒーの方が可愛いもん。で、もしキルヒーが引退したら……私はキルヒーの機体を使わせてもらいたいな」
「ありがと、フレミー。ね、ネル隊長。そういうことですわよね?」
「姫様のおっしゃる通り。
「あっ、つまりおやっさん達は、予めパイロットの適性をプロファイル化しておくことで、愛機やチームの引継ぎができる環境を用意しようって考えてるんだ?」
「お嬢にしてはするどいな。その通りだ。だが、それだけじゃねぇんだ」
「ヒントは『世代』です」
「要するに、旧世代機のパイロットの方達が最新鋭のAMF-75Aを、機種転換訓練を省略して操縦可能にする、ということですわね」
「さすがは姫様。まさしくその通りです」
「だからオレらは、
「まぁそこで、姫様、フレミー嬢のお力をお借りしたかった、という次第です」
「そんなことなら、またいつでも力になるわよ!ね、キルヒー」
「そうですわね、ワタクシ達でよろしければ」
力強く宣言する
「ひよっこどもにあまり変なクセはつけたくねぇし、まぁ、こんなのは今回限りだわな」
「えぇ、本当にありがとうございました、姫様、フレミー嬢」
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