第34話 どこの紫苑さんですか?
先日千葉にある玲子さんの実家を訪れた時、拉致されてきた兄貴を見て内心で大笑いしていたのを思い出した。兄貴は急に彼女の実家に拉致されてきたのである。
周りは知らない人だらけ。その場に居た唯一の
今ならあの時の兄貴の状況が良く分かる。なぜ僕はあの時、兄貴をフォローしてあげなかったのでだろうか? きっと兄貴は、あの時こんな気持ちだったのだろう。
僕の隣には葉月ちゃんがニコニコしながら座っている。葉月ちゃんは僕の味方だと思っていたのに、最後に裏切られた。まぁ裏切りって言い方は大袈裟だけどね! 可愛いから許します。
僕の正面には40代後半に見えるダンディなお方がいます。身長は僕と同じくらいかな。体格はがっしりしてて鍛えているのだろうか? この人が葉月ちゃんのお父さん、
葉月ちゃんの正面には、葉月ちゃんのお姉さんと言っても過言ではない、とても若々しい女性が座っていた。身長は葉月ちゃんと同じくらいで茶髪のボブカットの似合うお姉さんに見える。だがしかし、このお姉さんにしか見えないお方が葉月ちゃんのお母さん、
連れて来られてからの記憶が曖昧だけど、簡単な自己紹介をしました。
僕は葉月ちゃんに夕食のお誘いを受け、まんまと彼女の実家に連れて来られてしまったのであった。
「……先輩、どうしたんですか? 顔が固まってますよ」
「ちょ、ちょっと緊張しちゃって……」
まさか初エッチしてお泊りした日に彼女の実家に行くなんて思わないよね? しかもご両親が葉月ちゃんをお泊りに送り出したって事は、こっちの状況は全て筒抜けってことでしょ……?
僕は一体どうしたら良いのだろうか……。
「何も緊張する事なんてないよ薫くん、自分の家だと思ってくつろいでくれ。もう家族のようなものだろう?」
「そうよ~薫くん! 私も息子が出来て嬉しいわ~」
「……あ、ありがとうございます」
葉月ちゃんのお父さんとお母さんがニコニコした笑顔で歓迎してくれている。
ど、どういう事だ? もう家族のようなもの? 息子が出来て嬉しい? 普通、彼女の実家に行ったら『誰だ貴様! 娘はやらんぞ!!』っていう感じになるんじゃないのかな。ドラマで良くあるよね!?
「ふふ……良かったですね先輩。あ、そうだ。今日はお母さんと一緒にお料理してみたんです。用意しますから待ってて下さいね!」
「えっ……」
葉月ちゃんとお母さんが席を立ち、キッチンに向けて移動しようとしている。
葉月ちゃん待ってくれ! 一人にしないでくれ!! って感じで必死にウインクを葉月ちゃんに飛ばす。届け! 僕の思い!!
でも残念ながら、葉月ちゃんからは投げキッスが帰って来た。すごく可愛いのでホッコリしました。
そして僕は、葉月ちゃんのお父さんと二人きりになってしまった。もう腹をくくって流れに身を任せるしかないな……。
「葉月との交際は順調かね薫くん」
「は、はい。葉月ちゃんは僕には勿体ないくらい素敵な女性で、僕も釣り合うように必死に自分を磨いています」
「そうか、それは良かった」
うぅ、胃が痛い。これが兄貴の味わった圧迫面接というやつだろうか。そりゃ兄貴が就職活動やりたく無くなるのも良く分かるぞ……。
キッチンからは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。は、早く帰って来て下さい葉月ちゃん!!
「葉月はね、小さい頃から物静かで大人しい子だったから、ちょっと心配していたんだ。でも君のようなしっかりとした人なら安心出来るよ」
「きょ、恐縮です……」
この人はいったい僕の何を知っているのだろうか? えっと、どこかで会ったことありましたっけ? 初対面だよね僕たち。
付き合って1ヶ月でプロポーズするようなやばい人ですよ僕は。全然しっかりとした人じゃありませんからね? クリスマスプレゼントもろくに用意出来ていないクズですよ!? しかもバイト君です。
しばらくの間、葉月ちゃんのお父さんと当たり障りのない会話をしていたところ、葉月ちゃんとお母さんが料理を運んで来てくれた。お手伝いすれば良かった。
「先輩お待たせしました! お母さんと一緒に頑張って作りましたので食べて下さいね♪」
「うわぁ美味しそう! ありがとう葉月ちゃん」
テーブルの上にはグラタンにガーリックトースト、コンソメスープ、色鮮やかなサラダがあります。チーズの焼けた香りがたまらないね!
「さぁ薫くん、召し上がれ~♪」
「い、いただきます!」
葉月ちゃんのお母さんからニコニコした笑顔を向けられるとドキっとしてしまう。もう少し大人になった葉月ちゃんはこんな感じになるのだろうか。
まずは熱々のグラタンをフーフーしながら一口食べます。中には挽肉とポテトがいっぱい入っていて、すごく美味しいです。
「すごく美味しいです!」
「あら~嬉しいわ。良かったわね葉月ちゃん」
「嬉しいです。先輩、いっぱい食べて下さいね」
お世辞抜きに美味しいです。どこかの高級レストランで出てきてもおかしくない味でした。高級レストランなんて行ったことないから想像だけど……。
ガーリックトーストもサクサクしてて、サラダも瑞々しくて美味しい!
しばらく料理を楽しんだ時、葉月ちゃんのお父さんが何かを思い出したように話し出した。
「そうだ薫くん、お酒飲めるよね? いいもの貰ったから飲まないかい?」
「い、頂きます!」
彼女のお父さんからお酒を勧められて断れる人はいるのだろうか? 僕は絶対に無理です。強いお酒でも無理して飲みます!
お父さんが奥の部屋から立派な木箱に入れられた赤ワインを持って来てくれた。
「これだ、月曜日にお土産で貰ったんだ」
「赤ワインですか……」
見るからにお高いやつです。そんな高級な赤ワインを飲んで良いのでしょうか。この前、紫苑さんのコレクションである赤ワインを頂いたけど、本当に美味しかったのを思い出した。
ワイングラスも高級な感じに見える。すごくキラキラしてる。お作法とか分からないので、注いで貰ったグラスを受け取ります。
葉月ちゃんのお母さんも飲むようで、葉月ちゃんだけブドウジュースです。ちょっと可愛い。
「では、薫くんと葉月の将来を祝って、乾杯!」
『かんぱーい』
「えっ? か、かんぱーい」
お父さんの音頭で乾杯になったけど、そのセリフで良いんですか!? せめて今日の食事に乾杯とか、出会いに乾杯とか、そんな感じが良かったのですが。
まずはワインを一口飲んで落ち着こう。あれ、この前飲んだ紫苑さんのコレクションに引けを取らない美味しさだ。これ、めちゃくちゃ高級なやつな気がする……。
「パパこれ美味しわ~」
「うむ、さすが紫苑様のコレクションだ」
「……っ!?」
今、何か聞こえちゃいけない単語が出て来たぞ。紫苑様のコレクションって言ったよね?
どこの紫苑様だろう。きっと僕の知っている紫苑さんとは別の人だよね。日本全国探せば、紫苑って名前の人はいっぱい居ると思うんだよね。
「えー、そのワインってシオンちゃんから貰ったんですか!?」
さすが葉月ちゃん、気になってた事を聞いてくれた。
「月曜日にママと二人で紫苑様にご挨拶に行ったんだ。そのお土産で貰ってね。薫くんと一緒にどうぞって」
「……ええぇ」
どうやら僕の知っている紫苑さんでした。そうだよね、紫苑って名前でこんな高級なワインをお土産でくれる人なんて、一人しか思い浮かばないや……。
紫苑さんは一体何をしたんだ? 葉月ちゃんの話を思い出すと、月曜日辺りから家族の態度が変わったって言っていた。昨日だって泊ってこいと送り出したのが両親だって言ってたよね。あと早く結婚しろって……。
つまり、そういう事なのか。全て
「ちょ、ちょっと席外して良いですか?」
「あ、先輩、トイレならこっちです、案内しますね」
葉月ちゃんに案内され、廊下に出てトイレに向かいます。やっぱり修二のお家に引けを取らない、いや、それ以上に立派なお家だ。
本当はトイレじゃなくて、紫苑さんに電話してみようと思ったんだ。まだ廊下の途中だけど、まずは葉月ちゃんに聞いてみよう。
「ねぇ葉月ちゃん、この夕食会は元々計画してたの?」
「ふふ……うちの両親が早く先輩を連れて来いってうるさくて、良いタイミングだったので開催しました。……ダメ、でしたか?」
葉月ちゃんが申し訳なさそうに、上目遣いでウルウルとした目を向けてくる。そんな可愛い顔をされたらキスしたくなっちゃうじゃないか!
「大丈夫、びっくりしただけだよ。でもこれからどうなるんだろう……」
「うーん、きっと結婚の話が出てきますよ。私を貰ってくれますか、先輩?」
葉月ちゃんが真剣な目で僕を見つめてくる。ちょっと不安そうで、期待した目だ。
彼女にこんな事まで言わせてしまっては、真剣に考えるしかないな。
僕は目を閉じて気持ちを整理してみる。
――葉月ちゃんを愛しているか?
考えるまでもない、愛している。
――葉月ちゃんと結婚したいか?
考えるまでもない、結婚したいと思っている。
――まだ付き合って1ヶ月しか経っていないのに?
実際に付き合ったのは1ヶ月かもしれないけど、2年近く一緒に働いて来た。楽しい事が多かったけど、喧嘩したりもした。けど好きって気持ちが溢れてる。葉月ちゃんの全部を知っている訳じゃないけど、知らない事は少ないと思う。それに何よりも、占いの神様が導いてくれた縁だ。期間は関係ないと思う。
――では何故即答出来ない?
そう、僕には葉月ちゃんを養っていくだけの経済力がないのである。愛があればお金は要らないと言う人がいるかもしれないけど、男として、愛する女性を守る
僕は目を開け、葉月ちゃんの目を真剣な眼差しで見つめる。
葉月ちゃんには申し訳ないけど、少し待ってもらおう。
「葉月ちゃん、僕は必ず責任を持って君を幸せにすると約束するよ! でもまだ養っていくだけのお金が……」
―― ピリリリリッ♪ ピリリリリッ♪ ――
突然の着信音に言葉が止まってしまった。こんな時に誰だろう?
「先輩、どうぞ出て下さい」
「え? あ、うん……」
ポケットからスマホを取り出し液晶画面を見ると、ある人物の名前が表示されていた。このタイミングで掛かってくるなんて、本当に笑ってしまいそうだ。
「もしもし中野です……」
『こんばんは薫さん、もしかしてベッドの中でしたか?』
「そ、そんな事ないですよ紫苑さん。今は葉月ちゃんの家にお邪魔しているんです」
急にセクハラしてくるのはやめて欲しいです……。
『あら! 遂に結婚のご挨拶に行っているのね~』
「いえ、まだそこまでは……」
『ふ~ん。どうせ稼ぎが無いから養えないとか言って決断出来ていないんでしょ。葉月ちゃんから聞いてるわよ~』
「うっ!」
どこまで情報が漏れているんだ!? ちょっと情けなくなってきたぞ。
『そんな薫さんに朗報です。今ちょっと人事のお仕事出来る人を募集してるのよ。アルバイトしない? 薫くんにしか出来ないお仕事があるのよね。葉月ちゃんと二人で十分に暮らせるだけのお給料を保証するわ。しかも毎週金曜日の午後だけでいいの。まぁ大学の都合もあるだろうから、多少の融通は付けられるわよ。どう?』
「えっと、非常に魅力的ですが、期間はいつまででしょうか?」
とても魅力的に見えるバイトだけど、1ヶ月で終わりとかだと生活出来ない。せめて卒業するくらいまでの期間は欲しいところだ。
『うーん。とりあえず大学を卒業するまで続けて貰って良いわよ』
「是非お願いします!」
『うふふ、薫くんならそう言ってくれると思ってたわ。じゃあ詳しい話は今度連絡するわ。葉月ちゃんに宜しくね』
「ありがとうございます!」
ふぅ。紫苑さんからの電話はいつも緊張する。まさかこんな流れになるなんて思ってもみなかった。でもこれで僕の気持ちで引っかかっていた部分は消えたと思う。実際にお賃金の話とかはまだだけど、紫苑さんの言う事だから間違いは無いだろう。本当にあの人には敵わないね、やっぱしラスボスだ。味方だけどね!
そう言えば、ふと今日の運勢を思い出す。確か『
さて、僕はもう言い訳をしない。これから男として、一家の大黒柱として彼女を守って行くのだ。
葉月ちゃんに向き直り、可愛い目を見つめる。
「……先輩?」
葉月ちゃんが不安そうに見つめてくる。葉月ちゃんには、ずっと笑顔でいて欲しい。
だから……。
――僕はもう、この小さな女の子を不安にさせることはしないと、神様に誓います。
――この先ずっと、この小さな女の子を守って行くと、神様に誓います。
――責任を持って、彼女を幸せにすると、神様に誓います。
――だから神様、どうか僕たちを見守っていて下さい……。
葉月ちゃんを見つめ、気持ちを込めて伝えよう。
「色々と待たせちゃってごめんね。葉月ちゃんが学校を卒業したら、結婚しよう。いや違うね、僕と結婚して下さい!」
「先輩!!!」
葉月ちゃんが泣きながら抱き着いてきた。さっき神様に不安にさせないって誓ったばかりだけど、これは嬉し涙だよね?
僕もギュッと抱きしめて優しく頭を撫でてあげる。サラサラの髪が気持ちいい。
「ほら泣かないで葉月ちゃん、一緒に報告しに行こう?」
「……はぃ」
ハンカチを出して葉月ちゃんの涙を拭いてあげる。そう言えばこのハンカチ、楓さんにビンタされた時に使わせて貰った玲子さんのやつだった。洗って返そうと思ってそのままだった。まずい……。
よし、このハンカチは葉月ちゃんに託そう。
「ごめんちょっとトイレ借りるね……」
「はぃ……」
まだ葉月ちゃんの涙が止まりそうにないので一旦トイレです。実はちょっと我慢してました。これからが本番だし、漏らさないように出さなきゃ!
やっぱりお金持ちのトイレは綺麗です。これから葉月ちゃんと二人で暮らして行くとして、葉月ちゃんの生活レベルが下がらないように頑張らなきゃいけないな……。ちょっと不安になってきた。
ハンカチを渡しちゃったから備え付けのタオルをお借りします……。
「ごめんお待たせ。行こうか?」
「はい!」
葉月ちゃんがハンカチを返して来ましたが、そのまま持ってて貰う事にしました。ごめん玲子さん、いつか葉月ちゃんが返します……。
リビングに戻って来ると、お義父さんとお義母さんがワインを楽しんでいた。やっぱり高級ワインは美味しいんだろうね。
「すみません、長い時間席を外してしまって……」
「大丈夫だ、トラブルでもあったかい?」
「いえ、
僕は姿勢を正し、葉月ちゃんを見て、頷き合った。そしてご両親の二人の目をしっかりと見つめた。どうやら雰囲気を察してくれたのか、ご両親も背筋を伸ばして真剣な表情をしている。二人とも顔が赤いけど……。
「葉月ちゃんが卒業したら、結婚させて下さい!」
「……」
僕と葉月ちゃんが揃って頭を下げた。でもお二人とも沈黙したまま返事がない。どうしたのだろうか?
頭を下げたまま葉月ちゃんの方をチラっと見たが、葉月ちゃんもこっちを見ている。どうやら葉月ちゃんも予想外のようだ。
「え、あ、いや、そんな、頭を上げてくれ。そもそも、最初に言っただろう? もう家族だって」
「そうよ~! 私も息子が出来て嬉しいって言ったじゃない~」
僕と葉月ちゃんは顔を上げてキョトンとしてしまった。あれぇ?
「私たちは葉月が決めた相手に文句など無い、最初から祝福していただろう。まぁ今時の子にしてはしっかりと言葉で伝えてくれたのは嬉しかったがね」
「今日だって元々は薫くんのご両親との顔合わせの段取りとか、式のタイミングとか、何よりも二人の住まいの話をしようとしてたのよ~?」
まさかの展開だった。どうやらご両親は既に結婚を認めていて、この先の段取りを話そうとしていたらしい。これには葉月ちゃんもビックリしている様子だ。
「えっと、実はさっき紫苑さんから電話がありまして、良いアルバイトを紹介して頂けました。なので結婚してからの生活費とかは用意が出来そうです……」
「紫苑様から直接の依頼か! 素晴らしい……」
「別に部屋は余ってるから、ここで一緒に住んでも良いわよ~」
「先輩と同棲……」
「……」
お義父さんは紫苑さんの名前が出た瞬間にトリップしてしまった。お義母さんはこの豪邸を勧めて来た。そして葉月ちゃんは僕との同棲を想像してトリップしてしまった。
どうやら話はまだまだ続きそうだ……。
◇
色々と話し合った結果、うちの両親との顔合わせは年が明けてから、住まいや結婚は葉月ちゃんが卒業してからとなった。なので今は婚約しただけとなる。指輪も用意しなければ……。
なので今日はここまで。これからも定期的に食事会をしようと言う事で決まった。葉月ちゃんは家事のお勉強を頑張るそうです。
葉月ちゃんのお家を出る時には、みんな笑顔で送り出してくれた。最初はビクビクしていたけど、みんな優しくて緊張が無くなった。
東京に出て来てから家族と一緒にご飯を食べる事が無かったので、正直言って楽しかった。みんなで食べるご飯は美味しかったのだ。あの三人の家族に迎え入れてくれるのなら、それも幸せな事だと思った。
お酒もいっぱい飲んでしまったが、良い気分だった。こんなちっぽけな僕を、みんな歓迎してくれた。この出会いは間違いなく、良い出会いであると確信出来た。
気分が良いついでに、電話をしよう。ポケットからスマホを取り出し、電話を掛けた。
「もしもし兄貴?」
『どうしたのカオル、こんな時間に』
兄貴の声は、思ったより元気だった。
「僕、来年の4月くらいに結婚するね! 婿入りするから、実家は兄貴に任せた!!」
『ええええぇぇええぇえ!!』
兄貴の悲痛な叫びが、心地よかった。
◇おまけのラスボスとメイド長さん◇
最近は良い事が続いているが、今日は非常に気分が良い。計画が大きく前進したのだ。
とっておきの赤ワインを片手に、笑顔になってしまう。
「奥様、随分とご機嫌ですね」
メイド長の恵子が聞いてくる。彼女はこの天王寺家を支えてくれる優秀な人材だ。
「うふふ、やっとゴミ掃除が出来ると思うと嬉しくって。……体の方は大丈夫かしら?」
「ちょっと体がだるく感じて来ていますが、あの方のお話が無かったら風邪と思っていたでしょうか。まさか妊娠しているなんて思いもしてませんでした」
そうなのである。恵子は妊娠していた。本人すら認知していない妊娠を当てたのだ。夢にまで見た天眼だ。
「来週から薫さんにお仕事を依頼します。信頼出来る者を一人用意して頂戴」
「畏まりました」
天王寺久美子が育てた会社は、大きくなりすぎてしまった。大きくなりすぎた事により、ゴミが紛れ込んできた。寄生するだけならまだしも、邪魔をする。
更に厄介なところは、身内にまで紛れ込んで隠れている事だ。恵子のような昔から天王寺家と共に生きる者なら安心できるが、全てがそうと言い切れないのである。
最初に玲子の言葉を聞いた時、心が踊った。これはもしや、天眼なのかと。天王寺家においても過去数人しか知らない秘密、天王寺家が日本をリードするにまで至った秘密である。
実際に本人と会ってみると、どこにでもいる普通の男であった。だが玲子の話を聞くと、人格にも問題なく優秀な人材だと言う。玲子の目は信頼出来る。
能力の詳細を聞いてみれば、久美子の天眼とは少し違ったが、今の天王寺家にとっては薫の能力の方が有難い。
これから薫には、ゴミ掃除の手伝いをして貰う予定だ。膨大に居る天王寺グループの人員一人一人を鑑定し、選別する。ゴミさえ分かってしまえば幾らでも処理出来る。
天王寺グループの大掃除の時は近い……。
「あの……奥様、黒川の会社にあそこまでする必要があったのでしょうか?」
「有るか無いかで言えば無いわね。でもね、葉月ちゃんが気に入ったからサービスよ」
「葉月さんですか……?」
「ええ、今まで私が自己紹介をして『シオンちゃんって呼んで下さいね』って言っても誰もシオンちゃんと呼んでくれないのよ。でも葉月ちゃんだけは違ったわ。今でもシオンちゃんって呼んでくれるの。ふふ……可愛いでしょう?」
「そ、そうですね……」
恵子の顔が引きつっている。何でかしら?
みんなに親しみを込めてシオンちゃんって呼んで貰いたいのに、誰も呼んでくれない。何でかしら?
でも葉月ちゃんは違ったわ。だから葉月ちゃんの両親の会社には便宜を図ってあげた。もちろん薫さんと葉月ちゃんが一緒になることが条件だけど、別に悪い事じゃないわ。だって、愛し合う二人ですもの、私が言わなくても時間の問題だったわ。
それと、薫さんは私が認めた優秀な子だから、安心して暖かく見守ってあげてねって言っただけよ。ふふ、あの時の二人の驚いた顔は面白かったわね。
「これから忙しくなるわ。プロジェクトメンバーの手配も出来るように用意しておいて頂戴。あと、あなたは早めに産休に入って良いわよ」
「畏まりました」
赤ワインを飲みながら自然と笑みがこぼれた。
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