第22話
相変わらず、昼でも日の差さない鉛色の空の下、よそ者たちは、次々と村人の家を訪ね、バタバタと扉を開け閉めし、寝床をひっかきまわし、納屋を照らして回りました。みんな、不安そうな顔でよそ者たちを見つめていましたが、楯突くとなにをされるかと怯えていました。村の人々は、生まれた時から顔なじみの人々に囲まれて暮らしているせいか、総じて臆病な性質でした。
わたしはその場にはいなかったのですが、あとから聞きました。家の中をよそ者が調べている時、母親に連れられて外で待っていた子供が、きっとストレスに耐えかねたのでしょう。「怪しい女」なら、村はずれの小屋にいると叫んだといいます。
おそらく、その子はあの役目を担当している子から話を聞いていたのでしょう。あの人のことは口にしてはいけないという暗黙の了解が染みついているほど大きくはなかった子が、そうやって口を滑らしてしまいました。
よそ者が、その子を揺さぶって詳しいことを訊きだそうとしたところ、子供を守ろうと、母親は小屋の場所を教えたそうです。
よそ者たちは呼び合って村はずれへと向かい、ほかの人々は、その子供と母親を責めましたが、村長がとめたという話も聞きました。村長は言ったといいます。
「なにも心配することはない。わたしたちの村は守られています。百年前の先祖がもたらしてくれた守護者がいますから」
と。
その話を聞いた時、わたしのまぶたの裏には、カラスが羽ばたきました。知性、太陽、秘密、守護者、死――
その頃、最後に太陽を感じる光を浴びたのがいつだったかもわからないくらいでした。いつ太陽は顔を出すのか。こんな曇り続きの気象は、あの人となにか関係があるのか、そんなことすら思ってしまいました。あの人と会わなくなってから、あの人はわたしの中ですっかり神秘的な存在となっていたようです。
あのよそ者たちは、戻ってきませんでした。ただ、村長が不安顔の村人たちを集め、「もう心配はありません。よそ者たちは守護者が退治してくれました」と言いました。
「退治」が具体的にどのようなことなのか説明はされませんでしたが、自然と拍手が沸き起こり、わたしも追従しました。あの人のすることにいちいち詳しい説明がされるはずがない、それは失礼なこと。重要なのは、あの人が無事で、この村が守られたということだ。湧き上がったその考えは、模範的な村人の像をなぞったものだったのか、わたし自身の本心だったのか、今でもよくわかりません。
その日の真夜中、わたしの部屋の窓がゴツゴツと叩かれました。カーテンを開けた窓の外に立っていたのは、部屋着姿のタリアです。後にも先にも、わたしの窓を叩いたのは、彼女一人です。
ランプを持ったタリアは、「ちょっと今から出てこれない?」と真剣な表情で言いました。
わたしは、突然子供の頃に返ったかのような錯覚を覚えましたが、頭を振って子供の頃のタリアと自分の像を振り払いました。
「なに言ってるんだよ」
わたしが言うと、タリアは、「どうしても見せたいものがある」と事務的な口調で言いました。
「無理だよ。こっそり家を抜け出してきたんだろう? 知られたらどうするんだよ。僕だって、人妻と夜中に出かけてたと知られたら、かなりまずいことになるよ」
「まずいことって?」
「わかるだろ。悪い噂が立って、嫌われる」
「嫌われてまずいことでもある?」
「まずいに決まってるよ。ほかの人と一緒に仕事してるんだし、将来、結婚できなくなるかも」
「本気でそんな心配してるの? ナジュが、あんたに怪我させられたってみんなに言いふらしたから、もう誰もあんたと結婚なんかしないよ」
ショックを受けたわたしを引っ張るように、タリアはわたしを窓から連れ出しました。
「興味持ったから、あの小屋の辺りに行ってみたの。そしたら、なかなかすごいことになっててね」
タリアはずんずんと道を歩き、わたしは、彼女の持つ明かりを見失わないように精一杯歩きました。
「あの人に会ったの?」
わたしの問いに、タリアは振り向かずに答えました。
「いや。呼ばなかったし、静かで、いるのかいないのかもわからなかった」
「会うつもりなかったのに、様子を見に行ったの?」
「呼ぶ必要なかったから」
「どういうこと?」
「見ればわかるよ」
わたしたちは、小屋の前に到着しました。小川が流れるかすかな音だけが響く中、タリアは地面にランプを近づけ、「見て」と言いました。
短い草が生えた地面の上には、黒い液体がまかれているように見えました。
「あれえ、死体はどこかな。さっきはあったのに」
タリアはランプを動かして辺りを見回しました。
「あ、あった」
タリアが示した先に、男は倒れていました。どこが違うとはっきりと把握できないけれど、わたしたちとは違う雰囲気の服装。明らかによそ者の一人でした。彼の体の中で、頭だけが闇に飲み込まれ、消滅していました。その時は、自分の目がおかしくなったのかと思いました。仰向けで、手脚は自然に伸びていました。盛り上がった腹に、乱れのない服。それだけ見れば、なんらかの事情で地面に横たわり、休んでいるように見えました。
タリアは男性の体に近づき、しゃがみこむと、頭があるはずの空間に手を埋めました。それから自分の顔の辺りにあげた手は、闇に染まっていました。その闇は粘度があり、ランプの光の中で一滴、二滴、したたり落ちました。
自分の手に見とれているようなタリアをわたしはなにも考えられずに凝視しました。その時、わたしの名前を呼ぶ、タリアとは違う声が聞こえ、わたしの心臓は飛び上がり、呼吸はとまりました。
その声は、小屋の中から聞こえました。
「こんばんは。そこにいるのね?」
わたしは、その滑らかで落ち着いた声に、返事ができませんでした。
「お久しぶり。驚かせてしまってごめんね。ちょっと助けてほしいことがあって、声をかけたの」
タリアを見ると、彼女も驚いたように硬直し、小屋を見ていました。
「わたし、最近天気が悪い日が続いているし、たくさん動いたから、具合がよくないの。わたしを太陽の光が差すところに連れて行ってくれないかな? 日光を浴びれば、元気になるから」
「……やっぱり、あなたの顔のカラスって、そういう意味なんですか? この村の守護者なんですね。太陽で、知性で、死で――」
わたしは、恐怖をごまかそうと、とにかく言葉を絞り出しましたが、あの人のきっぱりした声がわたしの言葉を遮りました。
「悪いけど、おしゃべりしている余裕はないの。わたしは光を浴びないといけない。お願い」
あの人の声は不自然に駆け上がるように大きくなり、ずる、ずる、となにかを引きずる音が小屋の中から聞こえました。
「このままじゃ、みんなを守り切れない。あなたは、仲間を守りたいでしょ?」
ガタガタと小屋のドアが音を立てて開き、淡く銀色に光る二つの眼が這い出してきました。
その時、「うわあああ!」とタリアが悲鳴を上げ、ひどい腹痛に襲われたように腹を抱えて数秒間転げまわったあと、ランプも持たずに走りだしました。「タリア!」とわたしはおそらく初めて彼女の名前を叫び、ランプを持ってつまずきながらあとを追いかけましたが、彼女の足は異常に速く、追いつくことはできませんでした。
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