ワーちゃん

吾妻栄子

その日の朝

 ある朝、テーブルの下から座敷童ざしきわらしが顔を出した。

 正確には赤地に白い鹿の子模様の着物に山吹色の帯を締めた赤ちゃんがダイニングテーブルの椅子の下からハイハイしながら現れたのだ。

「君にも見えるの?」

 コーヒーの缶を手にソファに座っていた夫が棒立ちになった私に声を掛ける。

 我に返って歩み寄ると、和装の赤子も迷いなく床をハイハイして近付いてきた。

「その赤ちゃん」

 夫の声にはまだ自分の言葉すら信じ切れていないような虚ろさが漂う。

 これは九ヶ月くらいの子だと察しをつけつつ抱き上げると、ずっしりとした重みが腕に掛かった。

「あなた、どっから来たの?」

 腕の中の闖入者を揺らすと、ツンと甘い、乳臭い匂いがした。

「ウフフフ」

 うちにはない、というより、今時どこの赤ちゃんも着ていない和服の赤ちゃんは笑い声を上げる。

 ブツブツした鹿の子模様の布地を通して温もりが伝わってきた。

「お父さんお母さんは?」

 小さなほっぺにこちらの頬を押し当てると、乳臭い匂いと共にすべらかな感触がした。

「キャッキャッ」

 笑い声と共に髪の毛を捕まれるのを感じる。

「うちの子だよ」

 いつの間にか近くに寄って来ていた夫が赤ちゃんのまだ伸びかけの固い感じに真っ直ぐな髪を撫でた。

「座敷童が来てくれたんだ」

 鹿の子模様の着物に山吹色の帯を締めた赤ちゃんは目の前に出された夫の人差し指を小さな手で掴んだ。

 その様を目にすると、こちらの口からも自ずと声がこぼれた。

「似てるね」

 この子の大きな目は私に、真っ直ぐな固い髪は夫に似ている。

「どう呼ぼうか」

 座敷童という一般名詞では無機的過ぎるので、この子だけの呼び名を付けたい。

「そうだな」

 夫は赤ちゃんの小さな頬をつつきながら思案する顔つきになる。

「ワーちゃんにするか」

 ワーちゃん、と夫はどこか悲しい笑いを浮かべて口にした。

「ワア?」

 着物の赤子は聞き返す風に夫を見やる。

 その小さな横顔にも胸を突かれつつ、差し出された夫の両手に鮮やかな着物に身を包んだ赤ちゃんを渡す。

 朝陽の射し込むリビングで夫は新たに家に現れた子供を高く抱き上げた。

「君は座敷童だから、ワーちゃんだ」

「エヘヘヘヘ」

 眩しい朝の光の中で赤子の姿をした座敷童は楽しげな笑い声を響かせた。


 


 


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