中編

 僕が初めて入ったバーは喫茶店のような内装の落ち着いた店内だった。もう少しお酒の瓶が並べられている物だと思っていたのだけれど、見たところお酒の瓶よりも色々な種類のグラスが目に入ってきた。

 僕は何を頼めばいいのかわからなかったので、先輩がお勧めしてくれたお酒を注文してみた。

 お酒が来るまでに何か話をした方が良いのかなと思っていたのだけれど、先輩は注文を終えると席を立ってお手洗いへ行ってしまった。僕は慣れないオシャレなお店に戸惑いながらも、綺麗なグラスにライトが反射している様子を眺めて待っていた。


 先輩が戻ってくるよりも先にお酒が来たのだけれど、僕はそれが何というお酒なのかわからなかったので店員さんに聞いてみると、あまり詳しくない僕にもわかるように丁寧に説明してくれた。

 先輩が選んでくれたお酒は飲んだ時よりも後味と余韻が良いらしく、一気にたくさん飲まないでゆっくり楽しんだ方がいいと教えてもらった。

 店員さんの説明が終わって少し経ったくらいに先輩が戻ってきたのだけれど、先輩の頼んでいたお酒はそのタイミングに合わせて提供されたのだった。


「あ、君のが届いてたなら先に飲んでても良かったのに。待たせてごめんね」

「いや、お酒について説明してもらってたんですけど、詳しくない僕にもわかりやすい説明で飲むのが楽しみに見なってました」

「そっか、それは良かった。ここには時々来るんだけど、他の店よりもゆっくり出来るんだよね。ここでのんびりとお酒を飲んでいるとさ、いやな事とか全部忘れられそうな気がしているんだよ。マスターも店員さんもみんないい人だからね」

「そうなんですね。確かに、ここって初めて来たけど落ち着いていていい雰囲気の店ですね。さっきみたいにみんなで楽しめる店もいいと思うんですけど、僕はこっちの店の方が好きかもしれないです」

「だと思ったんだよね。先々月くらいかな、君がみんなの輪に溶け込んでないんだなって気付いたのは。みんなと同じくらいの年なのに変に距離を空けて接してるなって思ったんだよね。私は仕事中はあんまりスタッフの事を見てないんでわからなかったけど、それから意識して働いているところを見てもね、君はずっと一人で黙々と働いてるんだもん。皆に溶け込めてないのは私だけじゃないんだなって思うとさ、君の事を無意識のうちに見てるようになっちゃってたんだよね。でも、その時はこうして二人で飲みに行くとは思ってなかったんだけどね」

「僕もこんな風に誰かと二人でどこかに行くなんて思ってなかったです。たまに誘われたとしても二人ってことは無いですし。今になって思い返すと、同性でも二人で遊んだ記憶ってずっと昔まで無いかもしれないです」

「そうなんだ。君は大学生だったと思うけど、大学って楽しいの?」

「楽しいか楽しくないかで言うんだったら、勉強するのは楽しいともいますよ。高校までの勉強は嫌いでしたけど、大学は専門的な事を深く学べるので僕にはあってると思うんですよ。でも、勉強以外に関してはそんなに楽しいことってないかもしれないです」

「良いな。勉強が楽しいって思えるのって羨ましいよ。でも、大学生って毎週合コンしてるんじゃないの?」

「さあ、中にはそういう人達もいるかもしれないですけど、僕は基本的に家と大学とバイト先の三か所で過ごすことが多いですね。時々本屋と銭湯に行く以外はコンビニとスーパーくらいしか行かないかもしれないです」

「そうなんだ。若いのに銭湯に行くのが好きだなんて渋いね。お家のお風呂じゃ狭いのかな?」

「家のはそんなに広くないですね。湯船に浸かるにしても足を曲げないと入れないですからね」

「私の家はそういう意味ではお風呂は広いかも。ちゃんと足も延ばせるし、意外と気に入ってる場所だったりするんだよね。でも、銭湯とか温泉に行きたいなって思うことはあるかも」


 会話の端々でお酒を飲んでいたのだけれど、店員さんの言う通りで口に含んだ瞬間よりも飲み終わった後の方がお酒を楽しんでいるというのがわかる気がした。そこまでアルコールという感じはしないのだけれど、飲み込んだ瞬間だけ感じるアルコールの強さは一瞬の事なので丁度良い刺激にも感じていた。

 先輩は僕と違うものを飲んでいるようなのだが、それも美味しそうな見た目をしているのであった。


「それでね、君はバイト先に対して不満とかあったりするのかな?」

「僕は特にないですね。人間関係は僕が人付き合いが下手なだけでみんなに不満はないですし、今日みたいに飲み会にも誘ってもらえるのは嬉しいですからね。それに、僕の友達がバイトしている店と違って変なお客さんとかいないのもいいことだと思いますよ」

「そうだよね。ウチの店ってそんなに安いわけじゃないから変な人ってあんまり来ないんだよね。でも、前の店長の時は変なお客さんも多かったんだよ」

「それは知らなかったです。客層が変わったのって何かきっかけがあったんですか?」

「そうだね。今の店長が女の子にちょっかい出そうとする客をみんな出禁にしていったんだ。出禁なんてしていいのかなって思ってたんだけど、店長は売り上げよりもスタッフを守る方が大事だって言って迷惑な客は皆排除していったの。それでね、いつの間にか、この店は小さい子供を連れて行っても変な大人がいないから大丈夫だ。みたいな噂が広まっていって、以前よりも環境が良くなって自然と売り上げも伸びていったんだよ」

「その出禁になった人ってもう来てないんですか?」

「そうね、出禁になってるんで来てはいないんだけど、店長と絡まれたスタッフに謝って出禁を解除された人は何人かいるのよ。そういう人って意外とお金を使ってくれるから客単価が上がって良かったって店長も言ってたのよね」

「へえ、凄いんですね。僕はあんまり店長と話したことないんですけど、そんなことがあったから慕われているんですね」

「まあ、そういうところもあるんだけどね。人っていいところばっかりってわけでもないのよね」

「え、いやなところとかあるんですか?」

「そうなのよ。私はね、店長に何回か言い寄られているのよ。もちろん、それは全部断っているんだけど、最近では仕事中にもそんな事を言われて困ってるんだよね。君は気付いていないかもしれないけど、バイトの女の子とかも店長に声をかけられている子がいるのかもしれないよ」

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