第470話 希望の萌芽
モレクの分身体を巻き添えにすることは無理だろうが、そうすれば、少なくとも苦しみは短くて済んだはずだ。
クロードはそんな皮肉めいた内心とは裏腹に、不意に包囲が手薄であると思われる方向に最大速度で飛びだした。
自爆?
冗談じゃない。
逃げれば逃げるほど、抗えば抗うほど苦しみが増えることは理解していた。
そして、如何なる方向に逃げようとも無駄であるという残酷な現実。
それが一秒も経たずに実行される。
包囲を抜け出ようとするクロードに、モレクの分身体のうちの一体が横から体当たりを食らわしてきた。
クロードが出し得る精一杯の速さを優に超える速度であった。
モレク分身体の発達した肩が、クロードの全身に与える衝撃はすさまじく、神鋼でできた肉体が
当たった部位の装甲は一撃で破損し、その他の部位もダメージを免れなかった。
クロードは体内の≪ゲヘナの火≫を巡らし、損傷個所の修補を図ろうとする。
神鋼やその他の金属を新たに創造し、損傷個所に充てがうことを急いだ。
≪ゲヘナの火≫は、≪神力≫と≪魔力≫の混合エネルギーのようなもので、精密な≪魔力操作≫の技術を応用してようやく運用が可能である神経質な挙動や性質をもつエネルギーである。
純然たる≪神力≫のまま使用するよりも消費及び転用の効率が良く、その不安定性から攻撃に使用した際にはさらに優れた破壊性能を有する。
だが、そうした肉体の再生も悪あがきに過ぎなかった。
モレクの分身体たちは、入れ代わり立ち代わり手加減した攻撃を繰り出してきて、あきらめずに回避し、その場から何とか離脱しようとするクロードを玩具代わりに弄んだ。
やはり、楽には死なせてくれないようだ。
それでも一分でも、一秒でも生き永らえようという思うことができているのは、オルタたち双子やエナ・キドゥ、そして自分が大切に思っていた人々が暮らしたルオ・ノタルの世界などの存在があったからだ。
自分が力尽きた後、モレク神の敵愾心はそれら、クロードが守りたいと思っているものたちへ向かうだろう。
勝利の道が断たれた今、自分にできることは一秒でも多く時間を稼ぐことであった。
『何かがおかしい。我の世界に何者かが……』
突然、漆黒の太陽のような姿になり沈黙していたモレク神本体が、再び本性を現し、何もないはずの虚空を見上げた。
次の瞬間、空間に大きな裂け目が出現したかと思うと、その場にいた全ての者が動きを止めた。
モレク本体や分裂体たちはもちろんのこと、クロードの肉体から欠け落ちた破片にいたるまで自分以外の全ての存在がその活動を停止している。
クロード達の頭上に出来た空間の亀裂からはモレク神と似て非なる雰囲気の≪神力≫を宿した存在たちが大挙して次々と現れ出した。
それらはロボットと呼ぶにはその形状が生物的過ぎた。
関節のつなぎ目などはなく、滑らかで、人型や神話上に出て来そうな姿の、
その中でもひときわ大きく、輝かしい存在がクロードに語りかけてきた。
長い髪にたおやかな女性の裸身を思わせる外観だったが、その表皮は他の者同様に金属質であった。
クロードはその姿に見覚えがあった。
そして同時に出てきた他の者たちとは異なる高密度な未知のエネルギーを宿していたことから、その正体が何者であったかすぐに察しがついた。
≪真理≫のラムゼストの記憶にあった、ホウライズシトキノオオカミ。
別の並行世界でオルタたちを救い、そして俺が存在しているこの並行世界に遣わしてきた。
複数の並行世界間と時を行き来する力を持っていて、それゆえに全ての並行世界の中でただひとりしか存在していない、特異な存在なのだという。
『全世界線の救済者にして、希望の萌芽よ。ディフォン、いや敢えてクロードと呼ばせてもらおう。すでに察しておろうが、我はホウライズシトキノオオカミ。我はずっと汝を見ていた。この並行世界に侵入するための≪時の力≫を蓄えるのに手間取ったため、汝にいらぬ苦痛を与えてしまった事、深く詫びよう。汝とはもっとこうして語り合っていたいところではあるが、我が力にも限りがあり、そうも言っておられぬ状況。ただ、これから、何が起ころうともその歩みを止めてはならぬということのみ、その心に留め置くがよい。さあ、時が動き出す。永きにわたる忍従の時は去り、反攻と変転の時は来たれり!』
ホウライズシトキノオオカミの≪念波≫がそう告げると、再び時が動き出した。
突如現れたホウライズシトキノオオカミ率いるホウライ神族の軍勢に気が付き、モレク神は雄叫び代わりの黒い気炎を上げた。
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