第468話 クロードの誤算

上下左右が一瞬にしてわからなくなった。


自分が虫かごに放り込まれたトンボか何かにでもなった心地がして、冷静さを保つのが困難なほどであった。


凄まじい勢いで吸い寄せられ、出た先は漆黒の太陽のようなものが、その中心で轟々と黒い炎を燃え滾らせる白い宇宙のような無重力空間であった。


地上で見た青い光の粒子の帯が、その漆黒の太陽に吸い込まれ、そして儚くも消えていく。



先ほど感じた敵意は何であったかとクロードが辺りを見渡すと、白い宇宙を漂う惑星のようなものすべてから先ほどと同様の悪意ある念が注ぎ込まれていることに気が付いた。


そして、それらの悪意の最大のものを放っていたのはこの広大な球状空間の中央に位置する漆黒の太陽であった。


悪意を放つ惑星群の全てから地上にいたモレク神族と同質の≪神力≫が感じられ、そして、その≪神力≫の巨大さはその比ではなかった。


惑星と同化しているのか、物質化して惑星となっているのかはわからないが、この悪意を放つこれらの途方もない天体がモレク神族であることはもはや疑いが無かった。


囲まれているどころの話ではない。


この内部空間にいるモレク神族たちにとって、自分は好ましからざる侵入者であって、異物だった。


『……何者か。ホウライ神族ではないようだが』


驚いたことに漆黒の太陽に見えていた何かが、≪念波≫を寄こしてきた。


モレク神族とは意思の疎通ができないものだと決めつけていたクロードにとっては思わぬ不意打ちとなり、思わず動揺してしまった。


そして、みるみるうちに漆黒の太陽は、山羊とも野牛ともとれるような容貌かおの、黒い炎を纏った巨人の姿になった。

百は数えるであろう螺子くれた角を持ち、その牙は狂猛な意思を体現したかのように大きく、鋭かった。


『話ができるのか?』


『混沌たる不純の≪神力≫を持つ者よ。質問をしているのはわれだ。貴様は何者か。何しにこの場所に現れた? なぜ我を喰らった?』


我を喰らったとはどういうことだろう?


『……俺はクロード。≪ウォルトゥムヌスの果実≫とかいうあの物体から出てきた。そっちこそ、俺たちを喰らう化け物なのだろう』


『笑止。貴様など喰って何になる。なかなかの≪神力≫を有しておるようだが、濁り切った貴様になど食指が動かぬ。我が糧とするのはホウライ神族のみだ。それも生まれたての状態のまま生育を止めた柔らかく、無垢なホウライ神族に限る』


笑っているのだろうか、体を揺すりぐふぐふと奇怪なガス状のものを鼻の穴から漏らした。


『なぜ、ホウライ神族を食料とする。それ以外のものではその命を保つことができないのか』


『さあ、考えたこともないな。悠久の退屈のしのぎになると思い、こうして話を聞いてやっているが、なかなかどうして興味深いな。つぎはぎだらけのクロード。いいか、我はホウライ神族の異端。同種喰らいの神として生まれ、そのことを存在意義としている。その我になぜホウライ神族を喰らうのかと問うのは、その存在価値を問うのに等しい』


『モレク神族とはホウライ神族とは別のしゅではなかったのか』


『モレク神族などおらん。モレクは我一人。お前が地上でいい気になって蹂躙し、餌食えじきとしたのはすべてこの我のほんの切れっ端のさらにその一部だ。我は、≪神≫を喰らい、その≪神力≫を取り込むことで己が力を際限なく増すことができる。その力を、分身とし、本体の自我から、大小様々な形態で分離させることができるのだ。無論、切り離した我も我であるから、我同様の自我を持っているが、我の中でも最も力の強いこの我にはさからえぬ。奴らとても、無駄に喰われて死にたくはないであろうからな。切り分けた我を監視するための装置である魔眼を通じて、貴様がここまでどうやってやって来たのかはおおよそ見ていたぞ。お前は少し我に似ている。我はこの口から咀嚼することでその存在ごと神を喰らうが、お前はその全身で砕かれたる≪神≫の因子と≪神力≫を取り込むのだな……』


なるほど、小さく切り分けて作った大勢の自分に≪ウォルトゥムヌスの果実≫を管理させ、自分はその収穫物を、自分の分身に横取りされぬように見張っていたというわけか。


その見張るための装置がどこにあったのかは気が付かなかったが、こちらの手の内はすっかり知れてしまっていたようだ。



そして、このモレク神には、俺の≪神喰≫の力と似たような能力があるらしい。


≪唯一無二の主≫たちの≪神力≫とモレクたちの≪神力≫が似ていながらもどこか異質だったのは、他のホウライ神族を糧としたことでその性質が混然としたものになってしまったからだ。


目の前の一番巨大なモレクは、餌食としたホウライ神族の数がもっと多いからか、一番複雑で異様な≪神気≫を放っていた。


≪神力≫の量も、地上のモレクの分身たちを取り入れた今となっても、クロードの十倍はくだらないであろう。



クロードの≪神喰≫の力を知って尚、この外世界の中枢に招き入れ、悠長に会話などを楽しんでいたのは、確たる勝算があってのことだと思われた。


自分の周囲を取り巻く千を越えるモレクの分身たちの≪神力≫の大きさはどれもクロードよりも強大だった。


一番弱そうな個体でも、クロードの二割り増しぐらいの力はありそうだった。


それに加えて、モレクたちが憑代よりしろとしている物質の性質、性能も未知であったが、この外世界の性質を知り尽くしている彼らのことである。

地上のモレク神たちをみてもわかるが、自らの力を有効に発揮する肉体を備え持っているのは疑いが無かった。


つまり、この場にはクロードが≪神力≫を奪って、その力を増すための対象が存在しないのである。


敵から≪神力≫を奪えなければ、この歴然たる力の差と数の劣勢を覆すことはできない。


これまで通用してきた勝利のための道筋ともいうべきものは、この状況ではすっかり破綻してしまっている。


万が一、この危機を逃れ、地上に戻れたとしても、モレクと分身体たちを上回る≪神力≫は得られない。


あとは、≪魔力≫及び≪ゲヘナの火≫のモレクたちへの有効性をどう生かすかだが、この周囲を包囲されたこの状況では、望みはかなり薄くなってしまったように思えた。


準備もなく、このような場所に引き込まれた時点で敗北は必至だった。


クロードの誤算。


それは、これまでの階層次元における戦いの成功体験と地上での快進撃に酔い、モレクたちを少なからず侮ってしまったことにより生まれたものだった。

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