12・意地悪モブ対悪役令嬢は、案外良い感じです
「で、本当に熱を出して寝込んでいたそうだな。ギヨームから聞いた」とリュシアン。
どうやらチェリストが向かった仕事は、王宮でのものだったらしい。王妃様主宰のお茶会で演奏をするそうだ。
「大丈夫なのか?」
からかったばかりなのにこの人は、真面目な顔で心配をしてくれるらしい。先日も思ったけれど、本当によく分からない人だ。
「ありがとう。たくさん休んだから回復したわ」
「見舞いの品はない。用意するつもりだったのだがな」そこでリュシアンはうんざり顔でため息をついた。「準備をしていたらディディエに見つかって抜け駆けはずるいと騒がれたから、やめた」
「抜け駆けって」
「俺はきのう軟膏を送っただろう? 全員贈り物はひとつずつで足並みを揃えろ、だとさ。俺は関係ないのに。そのくせ寝込んだお前が心配だから、様子を見てきてほしいと頼まれた」
「矛盾しているわね」
リュシアンは肩をすくめた。
どうやら弟ディディエにいいように使われているようだ。
「伝言だ。『できることなら私が飛んでいって、愛しいアニエスが元気になったかを確認したかった。また君の愛らしい笑顔を見られる日を楽しみにしている』」
「……いただいた手紙にも同じようなことが書いてあったわ。五人ともね」
恐る恐る目を通した手紙はどれも歯の浮くようなセリフのオンパレードで、いたたまれなくなった。本来ならばその言葉を受けとるのはロザリーだ。
「ディディエはお前からの返信が、あまりに素っ気ないと感じたようだぞ。自分の気持ちが全然伝わっていないから、俺からよく言っておいてくれとも頼まれた」
「足並みは!?」
「あいつは俺に対しては、結構な甘えたなんだ。外では第一王子として気を張っているけどな」
「分かったわ、あなたはあなたでお兄さん面をしてしまって、甘くなってしまうのね」
「そんなことはない」
と言いながらも、リュシアンの目は泳いでいた。
「絶対に、ディディエ殿下たちの目を覚まさせましょう! こんな恋はおかしいもの」
なぜかリュシアンはじっと私を見つめ、それから笑った。初めて見る、優しい笑みだった。
「アニエスがまともな令嬢で良かった。これ幸いとディディエとの結婚を進めたり、五人の男たちを手玉にとるような令嬢だったら、大変なことになっただろう」
「……不審者と散々なじったのに」
「不審者だったのは事実だ」
私もカップを取ってお茶を飲む。
「でも今現在なら、ディディエ殿下たちのほうが余程不審よ。出会ったばかりの伯爵令嬢に熱を上げすぎだもの」
「まあな」
「私なんかより、ロザリーさまのほうがずっと可愛いのに!」
「そうか?」
「可愛いわ!」
ふわふわで綿菓子みたいな雰囲気だもの。――私に対しては、ちょっとおかしいところもあったけど。でも性格も良さそうだったし、何よりヒロイン。みんなに注目されるのは彼女のはずなのだ。
「俺はアニエスのほうが面白い」
リュシアンが真面目な顔で言う。
「私は面白さを狙ったことなんて一度もないわ」
「知っている。お前みたいなのを『天然』というのだろう? ギヨームが教えてくれた」
「私は天然ではないわ!」
ギヨーム! 私のいないところで、そんな悪口を言っていたなんて。私は淑やかな令嬢なのよ! ……昨日から、ちょっと失敗続きだけど。
「ディディエもアニエスのそういうところに新鮮味を感じたのだろうな」リュシアンが言う。「あいつの周りにいるのは完璧令嬢ばかりだ」
「目新しいものに興味が湧くことは分かるけど。王子なのだから、もっと言動は慎重にすべきだと思う」
「そのサポートのために俺がいるんだ」
リュシアンの言葉に違和感を抱いた。ひとつしか年が違わない従兄弟同士なのに、不公平じゃない?
でも、口にはしなかった。それは私が前世の感覚を引きずっているからかもしれないし、それが王族としての矜持なのかもしれない。
でもその代わりに、気になっていることを思いきって尋ねることにした。
「別の話なんだけど、ふたつ、質問をしてもいい?」
「なんだ」
「知り合ったばかりの私が尋ねていいことではないから、嫌なら答えなくて構わない」
「言われなくても、そうするが」
「ひとつめ。婚約は解消しないの?」
「今のところ、しない。向こうの人間は、逃亡資金が尽きたら帰ってくるだろうと言っている」
『向こうの人間』。よそよそしい言い方だ。あまり仲が良くないのか、それとも良くなくなってしまったのか。
「もうひとつ。ご婚約者のことで、気持ちは落ち着いているの? 私はあなたにどう接すればいいのか分からないわ」
気持ちね、とリュシアンは呟いて視線を落とした。ただその顔は憂いているというより、言葉を探しているように見えた。
黙って待つ。
しばらくすると、彼は目を上げた。
「落ち着いているか、との質問ならば、落ち着いていると答える。逃げたと聞いたときに最初に思ったのは、なぜ婚約する前にそうしなかったんだ、だった」
「……真理ね」
「答えは簡単。冬の厳しい寒さが和らぐのを待っていたようだ」
「まさか!」
そんな理由で婚約を交わしてから逃げるなんて、アリなの? どう考えたって、大問題になるのに?
「一人っ子で田舎育ち。貴族同士の付き合いも少ない」とリュシアン。「王族の重みも、婚約の意義も理解していないのだろう」
なるほど。資金のことといい、考えが甘い令嬢なのだろう。
リュシアンはそこが可愛いと思ったのだろうか。いまいち違和感があるけど。
「彼女には三回しか会ったことがない」
「三回!?」
リュシアンの誕生会は一年以上前だ。令嬢は遠方の領地に住んでいるからだろうが、それにしても少ない。誕生会、婚約時、あともう一回のみ、ということだ。
「だから、まあ、こんなものかという気持ちだな」とリュシアン。「気を遣う必要はないぞ」
「私は疑問符だらけだけど、分かったわ」
ぷっ、と婚約者に逃げられた男は吹き出した。
多分だけれど、本当に気に病んではいないのだろう。こちらがあまりに配慮すれば、逆にツラいに違いない。
「では今度は俺からの質問だ。ディディエたちをきっぱり諦めさせるための良い口実は思いついたか」
「ぐっ」
「カエルでも潰れたのか?」
リュシアンはわざとらしく部屋を見渡した。
「……寝込んでいたの」
「無策なんだな。アホウが」
「だって『ごめんなさい、興味ありません』の他に何があるというの!」
「『興味はこれから持ってくれればいい』と返されたらどうするのだ?」
「うぅ……」
「頭突きをかますのか? ディディエにそんなことをしたら、事だぞ?」
「あ!」そうだ、思いだした。「どうしてジスランさまに絡まれていたときに助けてくれなかったの?」
「好きで口説かれているのかと思った」
「あんなに追い詰められていたのに? ものすごく怖かったのよ!」
「落ちたら死ぬ高さのバルコニーにぶら下がれるお前に、怖いものがあるのか?」
「それとは別よ」
「『怖い』の物差しが狂っているんじゃないか?」
「失礼ね。美男ならば世の中の女の子全てがうっとりすると思っているのなら、大間違いよ」
「分かった、お前はブサ専というやつなのだな。だからディディエに興味がないのか」
リュシアンは真面目な顔だ。
「ちがう!」
大公令息ともあろうひとが、どこからそんな言葉を学ぶのだ。
「私だってイケメン好きだけど、性格も重要なのよ」
「不審者のくせに贅沢だな」
「さっきはまともな令嬢で良かったと褒めてくれたのに」
「そうだったか?」
どことなく楽しそうな表情のリュシアン。
「ダルシアク家から茶会の招待状は来たか?」
ええと答える。リュシアンが来る少し前に届いた。
「参加との返事でいいのよね?」
「ああ。どうするんだ? 縦ロールか? 夫人スタイル?」
「メイド任せよ」
「可愛くして行くのか? ますます惚れられるぞ。ご夫人スタイルにしておけ」
その言葉に、考える。
「私はダルシアク家に伺うのは初めてなの。たとえ状況がまずくなろうとも、招待してくださったマルセルさまのお姉さまに対して失礼な格好はできないわ」
「ディディエの誕生会ではしていたのに?」
「だってそんなにひどいと思わなかったのだもの」
それに絶対に目立ちたくなかったしね。
「仕方ない。ほどほどにするよう、メイドに釘を刺しておけ」
「分かったわ。……殿下」
「なんだ?」
「今日の私、そんなに可愛いのかしら?」
驚いたことにリュシアンの顔がさっと赤くなった。
「まあ。ご夫人よりはずっとマシだ。令嬢たちの中では中の上くらいだがな」
ビミョーに褒められている、よね?
なんだか妙に気恥ずかしい。
ありがとう、と礼を言うものの小声になってしまう。
えぇと、えぇと。あ、そうそう。リュシアンに頼みたいことがあったのだった。
「この前、ディディエ殿下とマルセルさまと仲が良いとの話でしたが」
リュシアンがうなずく。
「オーバン家のジョルジェットさまはいかがですか?」
マルセルの幼馴染で、彼ルートの悪役であるジョルジェット。
「友人だが。それが何か?」
やっぱり。私はしたり顔 (ができているといいのだけど)でうなずいた。
悪役令嬢になる予定のジョルジェット。彼女の見守りをリュシアンに頼みたいのだ。そのために、口実も考えた。
女の感で(ここが説得力にかけてしまうけど、仕方ない)、ジョルジェットはマルセルを好きなようだと前々から思っていた。このような事態になって、繊細な彼女が心を痛めていないか、とても心配だ。かといって、たかだか伯爵令嬢の私が図々しく、大丈夫かなんて尋ねることはできない。だからリュシアンに頼みたい。
私はそう力説した。
ジョルジェット・オーバンは美しくて気品があって、心優しい素晴らしい令嬢だ。私が性格改善すると決めたとき、真っ先に思い浮かべて手本にしたのが、彼女。どうして彼女が悪役令嬢になるのか心底不思議なぐらいに、善人なのだ。
だけどその理由は簡単。大好きなマルセルの心が他の令嬢に向いても、彼女は彼との仲が変わることを恐れて好きと打ち明けられない。その反動で、ヒロインを彼から遠ざけようとしてしまうのだ。
あんな可憐な令嬢まで変えてしまう恋って恐ろしい。
元々性格がアレな私とは違って、素敵な令嬢のジョルジェットは悪役になっていい女の子ではない。絶対に回避したいのだ。
私の力説を聞いたリュシアンは、黙って何か考えていた。そして、
「その勘は当たりだ」と言った。「だいぶ昔からのことでな。俺は彼女の力になると約束しているが」リュシアンはまたうんざり顔をする。「マルセルが尋常じゃない鈍さなんだ。あんなに性格が素晴らしくて美人で家柄も良いジョルジェットが、十七歳になっても誰とも婚約しないで隣にいるのに、全くその意味に気づかない。あいつはアホウの極みだ」
なるほど。確かに彼女ならば縁談が山のように来ているだろう。それを蹴って、マルセルを想い続けているのか。
「今回のこと、ショックを受けているわよね?」
「彼女の侍女から、毎日泣いていると聞いている」
「そんな。私、がんばるわ。絶対にマルセルさまの目を覚まさせる」
「以前にいい加減諦めて、他の男に目を向けたらと助言したのだがな。どうしてもマルセルがいいらしい」
「マルセルさまにジョルジェットさまの素晴らしさを説いたら?」
「そんなこと」とリュシアンは盛大にため息をついた。「頻繁にしている。そもそも女嫌いのあいつが、彼女だけは親しくしているんだ。特別な存在であることは明白だ」
確かにそうだ。
「だがあいつにそう言っても、ジョルジェットは女のくくりではなく、幼馴染のくくりだからと訳がわからないことを言う」
「……リュシアン殿下」
「なんだ」
「マルセルさまを一回グーで殴って来てもいいかしら?」
「構わないが、俺は知らなかったことにする」
「卑怯者」
「それとお前の打撃では、たいしたダメージはないぞ」
「悔しい」
リュシアンは楽しそうに笑う。
「ジョルジェットのことは任せろ。元々サポートしている」
元々か。それでもゲームでは悪役令嬢になってしまったのだ。となると、リュシアンだけの力ではダメかもしれない。
「私は精一杯、マルセルさまに興味がないとアピールするわね」
「茶会には彼女も来る」
マルセルと幼馴染だから当然のこと、彼の姉たちとも親しい。
「機会があったら紹介する。彼女もアニエスが気になっているようだ」
「ありがとう。でも大丈夫かしら。マルセルさまがもし、私にばかり話し掛けたりしたら嫌な気分になるわよね」
「そうだろうな。そうしたら、あいつを殴ってやれば?」
「そうする」
「本気にするな」
「拳ではないわ。言葉で殴る」
ふうん、となぜかリュシアンは意地悪な顔をした。
「それなら構わないが気を付けろよ」
「何を気を付けるの?」
「マルセルは気の強い女が苦手だ」
「ちょうどいいわ」
「だがエルネストは強い女が好き」
「そうだった!」
うぅむ、と頭を抱える。五人それぞれの特徴と好みを把握して行動しないと、余計に好かれてしまう可能性があるのか。
なんて面倒くさい。
「そういえば」はたと思い出した。「舞踏会で最初にあなたと話したとき」
「アニエスがバルコニーにぶら下がっていたときだな」
「……いちいち蒸し返さなくていいのよ」
「事実を述べているだけだ」
「……話したときに」
「無理やり戻したな」
「……話したときに、あなたやマルセルさまたちは集まって何かしていたの? ちょっと意外な顔ぶれだわ」
そうなのだ。ゲームの攻略対象五人は、それ以外に共通点はない。みんな顔見知りだし、親友がいたりするけれど、全員で仲良しというわけではないのだ。
「いや、一緒ではなかった」とリュシアン。「最初に俺がアニエスを見つけて、問いただした」
不審者と声を掛けられたときだ。
「俺が窓から離れたところを、あとからやって来たクレール、エルネスト、ジスランが見ていた。で、お前を見つけたそうだ。代わる代わるスカートの中を覗いていたら」
「その一言、必要!?」
リュシアンはニヤニヤした。最低なヤツだ。
「マルセルが従者とやって来て、面白いものが見えると誘われて覗いた。それからぶら下がっている令嬢が誰なのかを確かめるために、四人でバルコニーにやって来たとのことだった」
「性格が悪いわ」
なんのことだ?と、とぼけるリュシアン。
「ああ、もう、どうしてあの時にバルコニーの外に逃げようなんて思ったのかしら。おかげで、こんな厄介なことになってしまったわ」
「だが、俺は面白い」
リュシアンはそう言って、にっこりした。
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