短編まとめ

月詠

月の日の話

 十五夜に兎が月を見て跳ねると言うがそれは本当なのだろうか。


 たかが童謡、でも幼いが故の無邪気。

 それを確認したいがために家を無断で抜け出して近所の寺や神社を駆け回った懐かしい日。


 もう、そんなことなんて忘れていたのに。



「ただいま~……」


 いつも通り、独り言を言いながら扉に鍵をかける。散らかった部屋で唯一原型をとどめたままのソファに鞄を放り、そのままシャワーに直行。少しぬるめのお湯なのが自己流。


 いい湯でした。浸かってないけど。


 その場にあった英字Tシャツ(何て書かれてるかは知らない)を着、タオルを首にかけたままリビングで冷蔵庫を開ける。自炊しないのが見てとれる我が『家の便利な四角い箱その一』こと冷蔵庫の中に乱雑に並べられたご褒美を一本手に取った。そういえば鞄にコロッケがあったはず。四角い箱その二の電子レンジに突っ込んで温めておこう、食べるのは後でいいや。

 プシュッ、と小気味良い音を立てて缶が開く。それを傾けて一気に呷る。シャワーで火照った身体をキンキンのビールが勢いよく冷やしていく。日々の苦労と愚痴を独特の苦味と共に喉の奥へ押し込むこの瞬間こそ至高、最高。


 閑話休題おっさんみたい


 この後はどうしようか。適当にテレビでもつけてだらだらしようか。よく迷子になるせいでもう三代目となった相棒から『ピッ』と音が鳴り、我が家の(以下略)その三のテレビが起動した。

 映っているのは驚くほど綺麗で、丸い月。暫く見とれていると画面がアナウンサーに切り替わり我に帰った。美人アナランキング二年連続一位らしい彼女の口から十五夜という単語を聞き取ってようやく今日がその日だと気がついた。

 うちはマンションだが大きい通りに面している。多分見えるだろう、多分。私はまるで自分に言い聞かせるように何度も繰り返し、OLにしては簡素な模様のカーテンを開けた。流石にそれだけでは見えなかったけど。まだかなり中身が残った缶を片手に外に出た。


 分かったこと、夜にTシャツ一枚は寒い。爛々と輝く丸の下で暖まるために一口飲む。お母さんが見てたら酷い、はしたないとか言われそうだ。数台の車が走り去るのを見つめながら、鬼の形相で怒る母の顔を思い出す。今ここに貴女はいないんだから記憶の中でも怒らないでよ。まあまあ、今度何か美味しいものでも送るから。私は元気ですよっと。


「……それにしてもきれいな満月だね!」


 その会話は、急に聞こえてきた。そこそこの階数があるはずのうちまで聞こえてくるなんて、とベランダの下を覗き見ると小さな男の子二人組が話しながら歩いていた。どうやら彼らのようだ。

 ランドセルを背負った彼らが何か事件に巻き込まれることはないかと、保護者目線で観察していると彼らは今日の十五夜について会話しているようだった。

(その時の自分が不審者のような行動をしていることについては後日気付いた)


「だね、こーんなにおっきいよ!」

「なんだかうれしいね!」


 片方の少年が輪を描くように大きく手を広げればもう片方はぴょんぴょんと跳び跳ねている……その影に一瞬、兎の耳が付いていたような気がした。ただ次の瞬間には元に戻っており、そのまま二人は通り過ぎていった。

 なんだったのかよく考えずその日は寝た。なんだか兎の夢を見た気がするがよく覚えていない。ついでにその二の中のコロッケも。



 次の日、寝過ごして電車を逃しそうになったのは別の話。

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