11.大切にしている思い出のおすすめメニューは?【前編】




 夢を見た。

 とても、優しくて、

 とても、大事な夢。


「ほら、急いで食べると喉に詰まるわよ」

「んっ、く……ゴホッ!」

「ほらほら、口拭いて明典?」

「うん、ねえさん!」


 毎日のようにお菓子を作ってきてくれる姉がとても大好きだった。

 毎日のように笑ってくれる、姉が本当に大好きだった。

 大好きだったからこそ、手を伸ばして、抱きしめて、歪んだ感情を持っていたなんて、言えるはずがない。

 白い部屋は監獄で、そんな監獄の中で血の繋がった姉だけが、僕にとって大切な時間だったのに――それを振り払ったのは、僕なのだから。

 優しくて、暖かくて、これからもずっと姉は僕の傍にいてくれると、信じていたのだ。


「明典、聞いて……私、結婚することになったの」

「え……」

「とっても優しい人なの……明典、お義兄さんになってくれる人が出来るのよ!家族が出来るの!」

「そ……そう、なんだ……おめでとう姉さん!」

「ありがとう、明典、それでね――」


 歪んだ感情を持っていた僕は、笑うことしか出来なかった。

 ああ、僕は壊れていたんだなと、改めて実感した。

 姉は嬉しそうに、恋人の事を話しており、苦痛で、痛くて、たまらない。

 今すぐ姉を僕の腕の中に閉じ込めて、殺してやりたいぐらい、憎く感じてしまったのは気のせいだろうか――いや、気のせいではなかったのだ。

 僕はこれからも、この牢獄から出る事は出来ない。

 ここは、僕の永遠の場所なのだから。

 だから僕は、姉の目の前ではちゃんとした『弟』を演じる。

 腹の中では、『闇』を抱えながら。


「僕は結婚式には行けないけど……絶対に幸せになってね、姉さん」

「うん、ありがとう明典……明典にそう言ってもらえるだけで、嬉しいわ」


 優しい姉。

 愚かな姉。

 僕は、姉の事を、『女』として見ているだけなのに、本当に馬鹿な姉さんだなと、思いながら、僕は『弟』を演じた。

 姉は結婚した。

 結婚してからも、僕の所に来てくれた。

 そして――。




 ――僕は、愚かな『男』を、滅多刺しにして殺した。

 両手が血まみれになりながらも、僕は自分の命など、どうでもよくて――そのまま、僕は命乞いをする憎い『男』を殺して。


 殺して殺してコロシテ――。




「ッ……!」

 目が開けると、そこはいつもの場所だ。

 今日は満月の夜――『死の森』から僕の店が現れる時間。僕は両目を開けてゆっくりと体を起こし、あたりを見回している。

「……久々に見ちゃったなー」

 両手で顔を隠すようにしながらため息を吐き、僕はゆっくりと立ち上がって調理場の方に歩いていく。時間から見ると後一時間ぐらいでクロさんが来るはずだから、いつものようにパンケーキを用意しようと準備を始めた。

 パンケーキにのせる果物を包丁で切ろうと手を伸ばした瞬間、僕の両手が突然真っ赤に染まったかのように見えた。

「ッ‼」

 驚いた僕はそのまま包丁を地面に落としてしまい、嫌な汗を流しながら地面に落ちている包丁を見つめている。

「……もう、終わった事なんだ」

 息を静かに吐きながら自分を落ち着かせる。

 たかがあの時の『過去』を夢で見ただけなのに、どうしてそれだけで心が、体が、震えてしまうのか理解できない。


 あの時、僕は壊れてしまった。

 何もかも全て、壊れてしまったのだ。

「……」

 僕はもう一度、厨房を見つめるようにしながら口を閉ざし、静かな店内を見回してみる。

 誰もいないその場所を静かに見つめながら、ふいにいつも席に座って僕を不思議と口説いてくる男性、クロさんを思い出した。

『よう、店主。今日も綺麗だな』

「……フフッ」

 クロさんは冗談でそんなことを言っているのか、本気で言っているのかわからない。しかし、僕の『過去』を塗りつぶしてくれるように、僕に向けてくれる笑顔は本当にありがたいと思った。

 笑う事すら、『演技』だった日々――完璧な『弟』を演じていた僕にとって、クロさんは僕の事をしっかりと見てくれる、僕に本当の笑顔を見せてくれる人物だと、思っている。

 これからも、ずっと――。

 その『ずっと』は永遠に続かないと分かっているはずなのに、僕はいつの間にか甘えていたのかもしれない。

「……あと、どのぐらいなんだろう」


「何が『どのぐらい』なんだ、店主」


 静かに呟いた瞬間、突然背後から気配と、そして声が聞こえたのは思わず体を震わせながら驚いてしまい、振り向いてみるときょとんとしているクロさんの姿があった。

 確か入り口の鈴はなっていなかったはずなのにと思いながら目を見開き、クロさんが現れたことにどう反応すればいいのかわからないまま、僕は口をパクパクさせながら何とか声を絞りだす。

「く、くく、クロさんッ……い、いらっしゃいませッ」

「よう店主、今日も綺麗……って言いたいが、どうした?」

「え?」

「顔色がめちゃくちゃ悪いぞ?」

「あ……あー、ちょっと、夢見が悪くて……」

 笑いながら何とか誤魔化そうとしたのだが、クロさんは異常すぎるぐらいの目力で僕を見てくるので、僕は目をそらしながら笑い続けることしか出来ない。

 クロさんは本当に色々見ている。僕の顔色も、何もかも全てわかっているかのような、そんな目だ。

 どう答えればいいのか悩んでいた僕だったが、結局は話題を変える事にした。

「く、クロさん!いつものパンケーキでいいですよね!ちょっと待って――」

「いや、今日はぱんけぇきは食わん」

「……はい?」


「店主のおすすめメニューを食わせてもらおう」


 笑顔で答えるクロさんの目がキラッと光ったような気がしたのは気のせいだろうか?

 僕は思わず呆然としながらクロさんを見つめることしか出来ず、しばらくその場に固まってしまうのだった。

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