07.疲れた時はグレープフルーツジュレ・ソーダを。【前編】



「店主」

「はい?」

「……店主」

「はい、なんですかクロさん」

「…………あきのり」

「え、何で突然名前⁉」

 今日はクロさんの様子が少しだけおかしいように見えてしまうのは気のせいだろうかと、僕は思う。

 いつもならばキメ顔をしながら入店してきては、男の余裕を見せていつものようにかわいらしいパンケーキを頼むのだが、今日のクロさんは本当におかしい。

 いつものように満月の夜、店を開けた。

 そしていつものように、常連客のラティさんがカレーライスを注文して、久々に食べたからなのかお替りを五杯頼んで帰っていく。

 それ以後お客さんが来なかったのだが、数時間後クロさんが現れ、いつものように声をかけてくるだろうかと笑顔で挨拶したのだが――。

「……よう、店主」

 その時のクロさんはいつもより覇気がなかった。

 いつもと同様にパンケーキを頼み、いつものように食べる。

 しかし、いつもならばクロさんが近づいてきて口説いてくるのだが、今日は全く声をかけてこなかった。

 クロさんは頭を抱えるようにしながらジッと僕に視線を向けており、そのまま何度も僕の事を呼んでくる。

「あきのり、あきのり、あきのり……」

「あ、あの、クロさん、何度も僕の名前を呼ばれると、めちゃくちゃ怖いんですけど……」

「……あきのりぃ」

「クロさーん?」

 何度も僕の名前を呟いてくるため正直怖い。

 空になったお皿を片付けようとした時、クロさんが僕に手を伸ばし、そのまま両手で僕の体を抱きしめるようにしてしまった。力が強く、放そうとしない。

 流石にこれは、僕も初めてだったので、思わず顔を真っ赤にしながら離れようとしたのだが、クロさんの力が強く放そうとしない。

「あ、あの、クロさん力強くて苦しッ……」

「……好きだ、店主」

「……クロさん?」

「好きだから、俺のモノになってくれ。何度も言うが、俺はお前が好きだ愛してる……このまま放したくない」

「え、えっと、クロさん、本当どうしたんですか?もしかして熱とか……ってあつッ!」

 僕はおでこに手を伸ばし触れた瞬間、じゅっと言う音が聞こえてきたので流石に大声を出してしまった。

「ちょ、え、あ、熱ッ!クロさん熱いです!もしかしてもしかしなくとも熱出てるんですかッ!具合悪いのに来たんですかこの人!」

「……てんしゅのて、つめたい」

「あ、これマジだ。マジで熱あるんだ」

 クロさんがどうしていつものクロさんじゃなかったのか、すぐに納得できたのは良いのだが、全く僕を放そうとしないので、身動きが取れない。

 さて、どうするかと悩んだその時、カランっと鈴の音がなり、視線を向けてみるとそこにはため息を吐きながら僕とクロさんに視線を向ける一人の大男。

「……ここにいたんですか」

「あ、ルギウスさん」

「店主、すまない……目を離した隙に消えたから絶対にここにいると思ったのだが……」

「はい、一時間前からご来店してますよー……クロさん、具合悪いんですか?」

「ストレス性の風邪だ。安静にしていろって言われていたのにこのば……上司は……」

「クロさんが何をしているのかわからないんですけど、苦労してるんですねルギウスさん……」

 絶対『馬鹿』と言おうとしていたんだろうなと思ってしまったのだが、あえてそれは言わないでおこうと口を閉ざした。

 僕の言葉にルギウスさんは再度ため息を吐く。

 ルギウスさんはその後も時々僕のお店に訪れるようになってくれた。クロさんと一緒に来たり、また一人で来たり。クロさんのように満月の夜に必ず来てくれると言う事ではないのだが、新たに常連さんが出来たことは嬉しかった。

 ルギウスさんはクロさんの部下らしく、何の仕事をしているのかは聞いた事ないのだが、ルギウスさんはクロさんに頭が上がらないらしい。

 そして今回も具合が悪いのに勝手に来たクロさんをどのように対応すればいいのかわからなかったのであろう。顔が疲れ切っている。

「ほら帰りますよクロ様……く、力強ッ……」

「さっきから何度も声をかけたりしてるんですけど、全然放してくれなくて……」

「今日も具合が悪いのに『店主の店に行く』『店主に会いに行くんだ』って言って聞かなくて……」

「あはは……」

 これは喜んでいいことなのだろうかと思いつつも、僕は乾いた笑いしかする事しか出来なかった。

 しかし、全くクロさんの力は強く、離れようとしなかったので僕は思い切った提案をする。

「よかったら、僕の部屋を使いますか?」

「え……」

「二階建てなんですけど、二階は僕の寝室なので、そこでクロさんを少し休ませましょう。ただ、朝になりそうになったらこのお店出て行ってもらわないといけなくなりますが……」

「良いのか?」

「はい。安静にさせないといけないでしょう流石に」

 僕はそう言いながらクロさんの頭を無意識に撫でてしまう。それが気持ちいいのか、クロさんはその後黙ったままだったのだが、力が少し緩んだ事で僕はクロさんの両手から離れることが出来た。

「それに、ルギウスさんもクロさんに振り回されてお疲れ気味の様子もありますし、少しここで休んでいったらどうですか?」

「……店主、すまない」

「いえいえ」

 ルギウスさんの顔を見ると、少しだけ疲れているように見えたからこそそのように声をかけた。ルギウスさんは深々とお辞儀をしながら、僕に言った。

 クロさんは机に顔を隠すようにしながらぐったりしている。余程具合が悪いのだろうと思い、ルギウスさんに頼んでクロさんを抱き上げてもらい、僕は自分の寝室に二人を誘導するのだった。

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