第90話 嵐の海を総べる者

 何とか宿舎を脱出した私達は、浜辺に隠してある小舟に向かっていた。


「急げ!早くしないと間に合わなくなる!」


 海を見ながらロアンさんが私達を急かす。

 もう隠れて移動する余裕もないから、堂々と全力疾走だ。

 でも不思議なことに、さっきまで私達を囲んでいた追手が追跡してくる気配はなかった。


「なんで誰も来ないんだろ?」


「どうやらロベルト様を人質にして副所長達が逃げようとしているみたいだね」


「副所長達が?」


 精霊魔法で音を拾ったらしいマーツさんが追手が来ない謎を説明してくれた。

 ホントこの人の精霊魔法便利だな。


「さっきの件でロベルト殿を利用していただけと判明したしな。島に長居する理由は無かろう」


 そう言えばそうだった。漫画の悪役みたいに企みを暴露しちゃったんだよね。


「でも何でこんなタイミングで裏切ったんだろ? 裏切るにしても嵐が去った後にこっそり逃げればよかったのに」


 何でベルセイ副所長は嵐の危険を冒してまでわざわざ裏切ってることをバラしちゃったんだろ?


「カコが欲しかったからだろうさ」


「え? 私?」


「ヤツはカコの……薬の伝手を求めていた。ならば既に利用価値のなくなったロベルト殿を相手に媚を売るよりも、ノコノコと自分達の根城にやって来たお前の身柄を確保する為の人質として再利用するつもりだったんだろう」


 そうでした。ベルセイ副所長は私がイザックさんの腕を治療した事を嗅ぎつけたんだった。

 まさかロベルト様も散々利用され尽くした末に私相手の人質にされるとはねぇ。


「よし、船は無事だな!」


 無事小舟までたどり着くと、イザックさんは船に異常がないか確認する。


「すぐに出るぞ! 私の水魔法で転覆はさせないが、海に放り込まれないようにしっかり船に掴まれ!」


「はい!」


 私達は急ぎ島を脱出する為、次々と船に乗り込んでゆく。


「レイカッツ殿も早く乗れ!」


 けれど何故かレイカッツ様は船に乗り込もうとはせず、じっと立ち尽くしていた。


「……私は残る。君達だけで逃げてくれ」


「は?」


 ええっ!? この状況で何言ってるの!?

 早く逃げないと嵐が来るんだよ!? そしたら私達逃げ場が無くなっちゃうんだよ!?


「私は兄上を救いにゆく。君達とはここでお別れだ」


「なっ、何でですか!?」


 ロベルト様は公爵様に毒を盛ってレイカッツ様を陥れた犯人なんだよ!?

 それに護衛の騎士達だってロベルト様の言う事を信じてるから、ロベルト様を助けても捕まっちゃうだけだよ!?


「レイカッツ殿、気持ちは分からないでもないが、アレはロベルト殿の自業自得だ。彼は人を見る目が無かった。だからああなったのだ。それよりも貴方には公爵様を治療するという大事な役目がある筈だ」


 メイテナお義姉様もレイカッツ様に早まるなと説得する。


「……兄上は私に言った。誰からも求められるお前に何が分かる、と。その意図が分からないままあの人と死に別れたくはないんだよ」


「襲われたのにですか?」


「家族だからね。嫌われていたとしてもせめて腹を割って話がしたい」


 レイカッツ様の目はしっかりと私達を見つめる。

 その眼は完全に自分のやるべきことを決めた目だった。


「カコ嬢、父上の治療は頼むよ。そして事情を説明してやってほしい。命の恩人とあれば君達の身の安全は保障される。なんなら慰謝料も吹っかけるだけ吹っかけてくれ。仮にも軍人が身内に毒を盛られたなんて恥だからな、今なら港の永続無料使用権くらいブン獲れるよ」


 そう茶化すように言うと、レイカッツ様は来た道を駆け戻って行った。


「い、行っちゃった」


 あわわ、どうしよう!?

 レイカッツ様を見捨てるわけにはいかないけど、今逃げ遅れると私達もこの島に閉じ込められちゃう!


「カコ、これ以上は公爵家の問題だ。当家としてもこれ以上の深入りは避けるべきだ」


 そう言って私の肩を掴むメイテナお義姉様。

 まるでこの手を離したら私がレイカッツ様を追いかけると思っているみたいに。


「メイテナの言う通りだカコ。これ以上は私の水魔法でも船を守り切れん。それに彼は戦士だ。戦士として、自分の死に場所を見つけたというのなら、我々がそれに口を挟む資格は無い」


「死に場所?」


 ロアンさんの言葉にゾクリと背筋が寒くなる。

 もしかしてレイカッツ様、自分が死んでも別にいいとか思ってたりしないよね?

 そんな事ないよねと私が顔を上げると、皆は沈痛な面持ちで視線を逸らす。


「おそらくレイカッツ様は自分の命をしてロベルト様を嗜めようとしているのだと思います」


「道を外れた兄貴を殴ってでも正気に戻したいんだろうさ。寧ろ自分がいなくなった方が家の為には良いとすら思ってるんじゃねぇかな」 


「さっきの会話で自分がロベルト様の暴走した原因だと思ってそうだからね」


 いやいやいや、それはおかしいでしょ!

 自分を犠牲にしても人の目を覚まそうだなんて、それこそマンガの中だけで十分だよ!

 っていうか皆そこまで分かって行かせたの!?


「メ……」


「駄目だ!」


 私が言葉を発する前に制止してくるメイテナお義姉様。


「船を出してくれロアン殿」


「承知した」


「待って!」


 けれど小船は勢いよく動きだし、島から飛び出すように離れる。


「ロアンさん!」


「すまんな。全員の命がかかっている以上、島に残る訳にはいかん」


「カコの嬢ちゃん、たとえ追いついたとしてもあの坊ちゃん達を助けようとしたら連中と一戦交えなきゃならねぇ。あいつ等は俺達から見ても結構な手練れだった。そんな連中と戦ったら間違いなく戦いは長引く。俺達にはそんな時間ねぇのは分かるだろ? それに騎士団の連中もいる。あいつ等と組んで俺達を襲ってくる事はねぇだろうが、それでも俺達とは敵対してる。敵が二つに分かれただけだ」


 全員の命がかかっていると言われたらこれ以上何も言えなくなる。

 私だけならともかく、皆の命を巻き込むわけにはいかない。

 それを否が応でも納得してしまうほど、小舟は激しく揺れる。


「レイカッツ様……」


 ロベルト様を助けようと思ったら、二つの敵と戦わないといけない。

 でもその時間は無い。

 皆の言う通りだ。だからこのまま島に残って捕まる前に島を抜け出すしか……


「マーツ、追っ手はどうだ?」


「無いね。皆で港の方に集まってる。船上で戦ってる様子はないらしいから、既に船は占拠されてるっぽいね。でも船が港から出る気配がまだないから、副所長達はまだ船に乗り込んではいないみたいだ」


 その間にもイザックさん達は港の状況をマーツさんの精霊魔法で確認している。


「連中の事だ、騎士団が追ってこれないように残りの船は沈めちまった可能性が高いな?」


「ご名答。他の船は使えなくされてるね」


「まぁそうなるよな。って事は予想通り海は一切妨害がねぇって事だな」


「え? それってどういう?」


 イザックさんの言葉に島を見ていた私が振り向けば、皆はニヤニヤと笑みを浮かべていた。

 え? どういう事? 何で笑ってるの?


「まーだ気付かニャいのニャ? 相変わらず鈍い奴だニャア」


 そしてニャットからは呆れの声。


「え? 何? 何かするつもりなの皆?」


「つまりだ、ベルセイ副所長と騎士団がにらみ合っている間に、我々が海側から乱入して美味しい所を掻っ攫うという話だ」


 困惑している私に、メイテナお義姉様が種明かしをする。


「え、ええーっ!? で、でもレイカッツ様は!?」


 このままだとレイカッツ様は捕まっちゃうんだよ!?


「レイカッツ様は僕が風の精霊に頼んで作戦を伝えておいたよ」


「い、何時の間にー!?」


「いつの間にかさ。覚えときなカコ嬢ちゃん。どんな崖っぷちの状況でも逆転の目を狙えるのが上級冒険者ってもんなんだぜ」


 ニヤリと笑みを浮かべるイザックさん。


「とはいえ、時間がないのは本当だ。一度きりの一発勝負だぞ」


「へっ、それでこそ俺達の腕の見せ所ってもんだ」


 お、おおう、まさかいつの間にかこんな作戦を練っていたなんて、本当に皆凄い。


「っていうか! それなら何で教えてくれなかったんですかー!?」


「それは、なぁ?」


 皆はお互いの顔を見合わせるとニヤリと笑みを浮かべる。パルフィさんまで!?


「皆ャおニャーをビックリさせるつもりだったみたいだニャ」


 な、なんですとー!?


「ねぇニャット……」


「ニャんだニャ?」


「もしかしてニャットも分かってた?」


 私が尋ねると、ニャットはニヤリと口元を歪める。


「勿論ニャ。水を操れる魔法使いが二人いるこの状況なら、追手のいない海から回り込むのは当然の判断だニャ」


「もっと早く教えろニャーッ!」


「ニャハハハ、ニャーが甘いニャ」


 私の心配を返せーっ!!


 ◆


「見えた! まだ船は出港してない!」


 港に近づいた私達は、桟橋の傍に大きな船が停泊しているのを確認する。


「桟橋近くにレイカッツ様の姿もあるな。どうやら騎士団を上手く説得出来たみたいだ」


 イザックさんよくこの距離でレイカッツ様を判断出来るな。私には全然分かんないよ。


「ロベルト殿が人質にされているのが不幸中の幸いとなったみたいだな」


 そっか、追われている筈なのにレイカッツ様は人質にされているロベルト様を助けに来たんだ。

 例え無実の証拠を持っていなくても、自分の命を危険に晒してまで家族を助けにきたとなれば、同じ海軍で働いていた騎士達はレイカッツ様を信じようと思ったんだね。


「そのロベルト殿は副所長達と桟橋を渡っている最中か。船の中に入られると手が出せなくなるな」


 あわわ、早くロベルト様を助けに行かないと!


「よし、俺が行こう。マーツ殿、船を任せる」


「僕じゃ転覆しないようにするので精いっぱいで動かすまでは無理だよ?」


「十分だ!」


 そう言ってロアンさんが船から離れると、船がガクンと揺れる。

 けれどマーツさんの精霊魔法のおかげか、すぐに船は落ち着きを取り戻した。


「が、頑張ってロアンさん!」


「任された!」


 ロアンさんは水の中に潜ると凄い勢いで港に向かってゆき、すぐにその姿が確認できなくなる。


 だけどここから港までは遠く、桟橋を歩いていたベルセイ副所長達はロアンさんがたどり着く前に船に乗り込んでしまった。


「ああっ、ロベルト様達が船に乗っちゃった!」


 間に合わなかった、そう思った時だった。

 突然甲板からどよめきが聞こえてきたかと思ったら、何かが甲板から飛び降りた。


「あれはロアンさん!?」


 飛び降りたのは人魚の姿。間違いなくロアンさんだ。

 ロアンさんの体はそのまま海に飛び込む事はなく、海面で止まると滑るようにこちらに向かって移動してくる。

 どんどん近づいてくるロアンさんの腕の中には、縛られたロベルト様の姿が。

 そしてあっという間に小舟まで戻ってくると、ロベルト様を船の中に放り込んだ。


「ぐぉっ!?」


「お帰りなさいロアンさん!」


「おう、カコの作ってくれたコイツのお蔭で楽に人質を奪い返せたぞ」


 そう言ってロアンさんは自分のヒレに装着された空飛ぶヒレカバーを叩く。

 そうか、ヒレカバーの力で甲板に飛び込んだんだね!


「味方が制圧した船に乗り込んだ瞬間なら油断すると踏んだが、狙い通りだったな」


 さっすが人魚の戦士! この状況で凄い判断力だよ!


「……はっ!? ちょっと待ってください! ロアンさん、この海に潜ってましたよね!?」


 と、そこで突然パルフィさんが慌てた声ををあげる。


「ここは汚染が最も濃い海なんですよ!?」


「……あ、ああーっ!?」


 そうじゃん! 入ったらだめじゃん!

 その為にヒレカバーを改造したのになにしちゃってんの!?


「ああ、それなら心配するな」


 けれど当のロアンさんは何でもないように言うと、ふところから一本の小さなツボを出してその中身を飲み干す。


「うげぇ、やはり苦いな」


「ロアンさん、それは?」


「これは、おばばが作り出した解毒ポーションだ」


「えっ!? おばばが!?」


 いつの間に作ったの!?


「カコが島にある素材で作れるって教えてくれたからな。おばばが気合いを入れて作ってくれたんだ。そして外に出る仲間に持たせてくれたんだ」


「だから汚染されたこの海に潜れたんですか!?」


「そういう事だ」


 もーっ、そう言う事は先に行ってよ! ビックリしたじゃん!

 

「気を付けろ、船が動いた!」


 喜んでいた私達がメイテナお義姉様の言葉に振り返ると、確かに港に停泊していた船が動き出していた。

 そして船は帆船とは思えないスピードで港を飛び出すと、こちらに近づいてくる。


「って、帆も張ってないのに動いてる!?」


 船の事は良く分からない私だけど、ああいう船が帆で風を受けて動くのは分かるよ。


「どうやらいつでも逃げれるように水魔法と風魔法の使い手を多く抱えていたとみえる」


 ああそっか、この世界は魔法があるんだもんね。私達もそうだったんだから、ベルセイ副所長達も魔法で船を動かしてもおかしくない。

 私達も小船を動かして近づいてくる船から離れる。

 すると向こうの船の縁に何人かの人影が見えた。あれは……


「ベルセイ副所長!」


 姿を現したのはベルセイ副所長達だった。


「やってくれましたね。まさかこの土壇場でロベルト様を奪い返されるとは思いませんでしたよ」  


 強風と大波の中なのに、何故かベルセイ副所長の声は私達に届いた。


「ふん、わざわざ拡声の魔法まで使ってそんな事を言いに来たのか?」


 成程、スピーカーみたいな魔法で声を届けてるんだ。


「いえ、船にさえたどり着けば、ロベルト様に利用価値はありません。謹んでお返ししますよ。レイカッツ様が騎士団を掌握した今では今後の人質の価値も無くなりましたからね。公爵様も自身に反旗を翻した長男の為に不利益を被ってまで救うことはないでしょうし。ええ、おめでとう。貴女達の勝利ですよ」


 意外にもベルセイ副所長は自分の敗北を認めてきた。


「ならこのまま捕まったらどうだい? 今なら痛くしないぜ?」


 イザックさんは剣を構えるとベルセイ副所長に降伏を促す。


「それはお断りします。今回の実験の成果を祖国に持ち帰らねばならないのでね。ですから、別れのご挨拶に伺った次第です」


 そう言うとベルセイ副所長は私に視線を移す。


「それではお別れですクシャク侯爵の養女様。今回は引かせて貰いますが、いずれ本国の精鋭を率いて貴女を迎えに……」


 参りますよ、そうベルセイ副所長が言おうとしたその時だった。

 突然周囲が真っ暗になったのである。


「えっ!? な、なに? 夜!?」


 見回せばあたり一面が真っ暗になっている。

 けれど遠くの空を見れば、灰色の雨雲に覆われているもののまだ海は明るい。

 まるでこの辺りだけが夜になったみたいだ。


「な、何が起こった!?」


 ベルセイ副所長達も驚いているみたいで、どうやらこれは彼等の仕業じゃないみたい。

 でもだったら一体何が起こってるの?


「見ろ! あれは雲だ!」


「え!?」


 空を指差したイザックさんの言葉に目を凝らせば、確かに空には真っ黒な雲の姿があった。

 つまり急にこの辺りが夜になったんじゃなく、あの黒い雲に覆われて光が届かなくなったって事!?


「っていうか、近っ!」


 でもそれ以上に驚いたのは、雲の近さだった。

 雲は本来の雲があるべき高さではなく、私達のすぐ傍まで降りて来ていたのだ。

 もしかして異世界の曇って地上まで降りてくるの!?


「何故こんなに近く? 海ではこんな近くに雲が下りてくるんですか?」


「い、いや、あんな雲は初めて見る……」


 パルフィさんが船の床に突っ伏していたロベルト様に尋ねるも、ロベルト様も訳が分からないと首を横に振る。

 どうやら異世界でもおかしい事みたいです。


「いかん! 全員海から離れろ!」


 そんな中、ロアンさんが悲鳴を上げるような声で叫んだ。


「ロアンさん?」


 何か知っているの? そう聞こうとした私だったけれど、物凄い勢いで動きだした小舟に揺らされてそれどころではなくなってしまう。

 しかも海はさっきまでとは比べ物にならない程荒れ狂いはじめ、小舟は物凄い風と高波に煽られて、ジェットコースターなんて目じゃない程に揺れまくる。


 それでも船が転覆しないのは、ロアンさんとマーツさんが精霊魔法で周囲の水と風を制御してくれているからなのは、必死な顔で苦しげな声を上げる二人の顔から明らかだった。

 そして船は港にたどり着くとそのまま高波にのって宙に飛びあがり桟橋を越えて陸地へと飛び込んだ


「はわーっ!?」


 そしてその勢いのままズザザーッと陸を滑っていき、レイカッツ様達の前まできてようやく止まった。

 けれどロアンさんはすぐに小舟から身を乗り出すと必死の形相で叫んだ。


「急げ! あの雲から離れるんだ! 物陰に隠れて身を臥せろ!!」


 その只ならぬ雰囲気に何かを感じたのか、レイカッツ様が騎士達に逃げるように指示を出す。


「皆下がれ! 雲から離れろ!」


 さっきまで敵同士だったとは思えない勢いで私達は物陰に隠れて身を伏せる。


「ロアンさん、一体何が……っ!?」


 私の言葉は最後まで続かなかった。

 だってそれどころじゃない異常事態に遭遇したからだ。


「何……アレ」


「巨大な目玉……?」


 そう、それは巨大な目玉だった。

 ついさっきまで私達の上空に降りて来ていた黒い雲の中から、ランランと輝く目玉が姿を現したのである。


「「「っっっ!?」」」


 あまりに異常な光景に、全員が絶句する。


 あり得ないくらいの高さまで降りてきたあり得ないくらい黒い雲。

 その中から姿を現したあり得ないくらい巨大な目玉。

 何から何まで異常な光景に、私達は言葉を失うしかなかった。

 でも何故か私はこの光景に見覚えがあるような気がしてならなかった。


「雲の主だ……」


「雲の主? ……それって鳥馬車で見たアレ!?」


 ロアンさんの言葉に私は鳥馬車の中から見た光景を思い出す。

 そうだ、あの目玉はあの時雲の中から出てきたバカデカい目玉だ!


「この世界の海ってあんなのが空から降りてくるの……?」


「ニャる程、強い嵐をアイランドスコール代わりにしてるって訳だニャ」


「代わりってスケールが大きすぎない!?」


 っていうか、いくらなんでもあんなのが降りてきたら大騒ぎだよ。


「この規模の嵐で船を出すバカは居ないからな。外洋で雲の主が降りてきても誰も気付かなかったんだろう……」


「な、なんだこの化け物は!? こ、攻撃だ! 攻撃しろっ!」


 ベルセイ副所長達の乗る船から魔法や矢が目玉に向けて放たれたのだけど、それらは目玉に届く前に強風によって流されて海に落ちてしまう。

 たまに目玉に届く魔法があるものの、それが効いているようにはとても見えなかった。


「全然効いてないな」


「まぁあの大きさだからな。並の攻撃じゃ大した効果にならんだろう」


 だよねぇ……明らかに大きさが違うモン。


「嵐から船を守るために魔法使いも全力を出せないから大規模な魔法を使えない状態だね。下手に大規模魔法を使おうとすれば船が大波で転覆する」


 成程、確かにこの嵐から船を守ろうとすれば魔法使いが何人もいるよね。

 皆は冷静に目の前で起きている光景を分析しているけれど、それが現実逃避なのはひきつった顔と震える指先から明らかだった。


 そして雲から伸びた触手が、ベルセイ副所長達の乗る船に絡みつく。

 すると、まるで小石を掴んだかのように軽々と船を持ち上げて、ゆっくりと雲の中に引きずり込んでゆく。


「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!? た、助けてくれぇーっ!!」


 助けを求められても、この嵐の海じゃ誰も助けに行く事なんて出来ない。

 雲の主が現れてからの海は明らかに先ほどまでの何倍も荒れているし、そもそも助けに行く為の船が無い。

 何より、アレに巻き込まれたくないと皆の顔が雄弁に語っていた。


 何人かの男達が逃げ出そうと海に飛びこむのだけれど、そうはさせじと雲から伸びた細い触手が男達を捕まえて雲の中に引きずり込んでゆく。

 そして船が完全に雲の中に引きずり込まれると、巨大な目玉もゆっくりと雲の中に沈んでいく……かに思われたその時。


 ギョロリ


 目玉がこっちを見た。


「ひっ!?」


 思わず声が漏れる。

 まさか私達も雲の中に引きずり込むつもり!?

 けれど幸いにも目玉は何をしてくるでもなく、触手と共に雲の奥へと消えてくれた。


 雲の主が完全に姿を消すと、不思議なことに黒い雲が少しずつ天へと昇り始める。

 そして上空を覆い尽くしていた雨雲と合流すると、その中に沈んでゆき、完全に黒い姿が見えなくなると次第に雨風が弱くなり、波も少しずつ穏やかになってきた。


 そのまま雨雲は風に流されるように島から離れていき雲の切れ間から不自然な程青い空が姿を現す。

 そして空は何もなかったかのような晴天になり、唯一まだ波の高い海だけが嵐のあった痕跡を残していた。


「……っぷはぁ~」


 ふと誰かが大きく息を吐く音が聞こえた。

 その途端、自分が息を止めていた事に気付き、苦しさを覚える。


「っ!? ぷはぁー!!」


 慌てて自分も息を吐くと、今度は大きく息を吸い込む。


「はぁーっ、死ぬかと思った……」


 呼吸と、生きた心地がしなかったという二重の意味で。

 周りからも同じように大きく呼吸をする音と、安堵の声が聞こえてくる。


「結局何だったのアレ……」


 いやホント何だったんだろ? 空の主ってロアンさんは言ったけど、そもそも何で空の生き物が地上に降りてきてベルセイ副所長達を連れて行ったの?

 そんな気持ちを込めてロアンさんを見ると、ロアンさんは遙か彼方に去ってゆく雨雲を見つめながら呟く。


「……我々人魚の言い伝えでは、雲の主は海の主でもあるとも言われている。アイランドスコールで空の魚と海の魚が行き来するのは雲の主が海も司っているからだと。そして海を穢す者が現れると、雲の主が地上に降臨し、嵐と共に全てを海の藻屑にするのだと」


「海の藻屑って言うか、雲に飲み込まれたんですけど……」


 それってつまりアレですか? 海ならぬ雲海の藻屑って事? いやまぁ確かにどっちも表現的には海だけどさ。


「悪戯をする子供を嗜めるための作り話かと思っていたのだが、まさか本当だったとはな……」


 ロアンさんの口ぶりだと海の守り神的な感じ? みたいな感じだけど、寧ろあの見た目は海の邪神って感じだったんですけど……

 しかも何故か去り際にこっち見てきたし。もしかして私達も海を穢した犯人として目を付けられたとかじゃ!?


「で、でもまぁ、味方に犠牲者は出なかったし、ロベルト様も助かったから……」


 いやな考えを強引に振り払った私は、人質も助かったんだから万々歳と話題を変えつつ振り返ると、そこには魂が抜けたようにへたり込んでいるロベルト様の姿があった。


「あ、あと少し助けられるのが遅かったら私もアレに……」


 あ、うん。そうですね。私達が助けに来なかったら、間違いなくベルセイ副所長達と一緒に雲の中にアブダクションされてたと思うよ。


「レイカッツ様が兄弟思いな人で良かったですね……」


「……うん」


 ま、まぁこれなら暫くは悪い事考えれなさそうだし、良かった……のかな?

 それにしても、異世界の空怖いなぁ……

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