虎願寺縁起
高麗楼*鶏林書笈
第1話
また福会の時期がやってきた。毎年、二月の八日から十五日まで興輪寺で行われるこの行事では都中の男女がやってきて願い事を唱えながら塔の周りを回るのである。
金現も毎年やって来ては塔を回るのだが願いは一向に叶わなかった。今年こそは願いを叶うようにと彼は夜が更けるのも忘れて回った。そのため周囲の人々も減っていき、残ったのは彼と若い女性の二人だけになった。
金現は「遂に願いがかなった」と思った。彼はずっと良き配偶者を求めていたのであった。目の前のこの娘こそ、仏さまが自分に娶せてくれたのだと確信した。
彼はためらうことなく娘に声を掛けた。
「二人だけになってしまいましたね」
「そうですね」
娘は笑顔で応じた。
「これも仏縁かも知れませんね」
こう言いながら金現が娘の手を取ろうとすると、彼女は嬉しそうに身を寄せて来た。
意気投合した二人は物陰に行き、そのまま一夜を共にした。
明け方、娘が帰ろうとすると金現は両親に会いたいと言ってついて行こうとした。彼女は拒絶したが恥ずかしがっているのだろうと思って構わずについて行った。
二人は山の奥深くまで入っていった。しばらくすると一軒の家が見えた。
娘がその家に入ったので金現も続いた。
「お帰り」
娘の母親らしき老婦人が出迎えた。
「願いが叶ったみたいだね。でも良かったかどうかはわからないけど」
金現を見た老婦人は、まずこう言うと言葉を続けた。
「とにかく、その人を奥に隠しなさい。じきにお前の兄弟たちが帰って来る、そうなるとちょっと面倒だ」
母親が言い終わると娘は金現を奥の部屋に連れて行った。
まもなく入り口あたりで男たちの声がした。
「生臭い、人間の気配がする」
「ちょうど腹も減っていたところだ」
これに応えて母親と娘が言った。
「何バカなこと言っての!」
「兄さんたちの鼻がおかしいのよ」
その時、天から声が聞こえてきた。
「お前たちは生き物をことさら多く害している。罰として数日内にお前たちの一人の生命を貰おう」
三人の兄たちは震え上がった。
「兄さんたちは母さんを連れて今すぐ山奥に逃げて。罰は私が受けるわ」
妹の言葉を聞いた兄たちは、ためらっている母親を連れてその場を去っていった。
娘が部屋に戻って来ると金現はさっそく
「何があったのですか?」
と訊ねた。
「ちょっと用事が出来て‥。だから今日はこのままお帰りいただけませんか?」
娘が申し訳なさそうに言うと
「分かった。ご家族には後日お目にかかりましょう」
と金現も受け入れた。
帰り際、門のところで娘は
「明日、市場に虎が現れ人々を襲います。その時、あなたが虎を城の北側にある林に追い詰めて捕らえて下さい」
と奇妙なことを言った。
「私に出来るだろうか?」
「大丈夫です。言う通りにして下さい」
娘が強く言うので
「分かった」
と金現は応じた。
翌日、都は大騒ぎだった。市場に虎が出て次々と人々を襲っていたのである。
金現は娘に言われた通り市場に出掛けた。
兵士たちに混じって金現も虎に向かっていった。
虎は北側に逃げて行き、金現たちは追いかけた。そして、林に入ると姿が見えなくなった。兵士たちも林に入り行方を追った。金現も木々の間を縫って奥へ向かった。
まもなく開けたところに出た金現はそこで意外な人に出会った。
「君は‥」
昨夜の娘だった。
「市場の虎は私です」
驚いた金現は返事が出来なかった。
「我が一家が犯した罪を私一人で負うことになりました。ただ、生命を取られるのなら愛するあなたの手に掛かって死にたいので、このようにいたしました」
娘が金現の元に寄ってきた。彼は娘の肩を抱いて言った。
「このまま、山の奥に行って二人で暮らそう」
「人と虎の身ではそれは出来ません。どうぞ、私を斬って下さい」
娘が虎の姿になって襲いかかってきたので金現は反射的に刀を握りその身を斬った。
すぐに我に返った金現は虎を抱いた。
「一目見た時からずっとあなたを愛しく思っていました。あなたと情を交わすことも出来て思い残すことはもう何もありません」
こう言い終えて虎は息を引き取った。
「私は君が虎だろうと妖かしであろうとずっと共に暮らしたかった」
金現は虎を抱いたまま涙を流し続けた。
後日、金現は財産全てを投げうって寺を建てた。虎願寺と名付けた寺で金現はずっと娘の冥福を祈り続けたのだった。
虎願寺縁起 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます