もう一人のカミサマ

~1~

 湊の誘拐事件が起きてから数日後、片桐家に綾木がやって来た。

 片桐はいつも通り無理やりの休みの日で、湊は事件後一週間の外出禁止令が出ている。まぁ、元より湊は引きこもりなので、特にその処遇に不満もない様だった。

「どうしましたか、綾木警部補」

 突然の来訪に目を白黒させていると、綾木はいつも通り穏やかな笑みを浮かべ、

「お引越ししましょう」

 と、爆弾を投下した。

「ひ、引越し、ですか?」

「ええ、お引越しです」

 片桐の問いにもサラリと答えて、綾木はニコニコと笑うばかりである。

「今回の件で、湊くんの居場所がバレてしまいました。再犯を防ぐためにお引越ししましょう」

 それを持ち出されてはぐぅのねも出ない。何にせよ、湊の安全が第一であるのは片桐も同じだ。

 しかし、

「ここもまぁまぁセキュリティが高いのに、これ以上となると……」

 そう。セキュリティの問題が出てくる。今のマンションだって、湊が選びに選んだマンションだ。これ以上となると、更に難しくなる。

「私が所有しているマンションが一棟あります。そこは外部から入るのに虹彩認証が必要になるので、セキュリティ的には問題ないかと」

「はい?」

「入るのには虹彩認証が必要になります」

 あまりにサラリと言われたので聞き間違えかと思ったが、聞き返しても答えは一緒だった。

 虹彩認証。いくら片桐でも知っている。瞳をキーとするものだ。

「指紋認証の間違いではなく?」

「指紋認証だと、本人を抱えていたら通れてしまうじゃないですか」

「同じ理由で静脈認証もダメです」と続けられたが、そういうものなのか? いや、言っていることは分かる。分かるが、それをポンと出してもいいのか?

 疑問符を並べている片桐の横では、「さすが綾木さん」と湊が瞳をキラキラさせている。おい、いいのかそれだけで。普通のマンションとは到底考えられないのだが。

「あ、もしかして『円卓』の上って……」

「はい、このマンションの地下三階が『円卓』です」

「やっぱり!」

「何だよ、その『円卓』って」

 湊に水を向けると、彼は興奮しているのか、やや顔を赤らめ片桐の方に向いた。

「普段、フェンリルたちが使ってる部屋の名前だよ。部屋の中央に円形のテーブルがあるから、通称『円卓』

 存在は知ってたけど、てっきりビルか何かの地下にあるのかと思ってたのに!」

「始めはビルだったのですが、フェンリルさんとスルトさんが帰るのが大変かと思いましてマンションに切り替えました」

 綾木はニッコリおっとり微笑むが、費用はどうしたのだろうか。いや、綾木が節約家なのは知っている。普段の昼ごはんだって手作り弁当なのを見ている。だが、そんだけセキュリティバリ高のマンションをポンと建てられるくらいの貯金があると言うのか?

「知り合いに頼んだら、快く引き受けてくださいました」

「ちなみにお値段は……」

「格安で引き受けてくださいましたよ」

 綾木の人脈が分からない。隣では湊が「さすが綾木さん!」と歓喜しているが、いいのか? セキュリティに無茶振りしている依頼人に格安でって、よもや違法ではあるまいな。否。綾木に限ってそれは無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る