第8話 贄(にえ)


 岩壁を這う、ぎらつく程に輝くトカゲの形を成した溶岩。溶岩トカゲがニエニエの剣の刺さっていた穴から出てきた。

 火の精霊〝サラマンダー〟のような魔法生物。

 〝煮え滾りし贄の剣〟の伝説。

 剣を封印していたのではなく、剣で封印されていた!

 もしも火の大統霊に近しい生物だとしたら、僕たちみたいな即席パーティーでなんとかなる相手ではない。

 かといって正体不明の魔物を生み出したままこの洞窟から逃げるのもあまり得策では無いと思う。近くには森もある。周囲への被害が出るおそれもある。

 倒すか、再封印するか。再封印が望ましいか。

 遮光眼鏡を装着して、溶岩トカゲから距離を取った。相対するだけでも熱が伝播してくるようだ。汗が額から流れ落ちた。この洞窟という密閉空間にただ長居するだけでも身の危険を感じるほどだった。

 ブレイドさんは剣を構えて臨戦態勢。迎撃準備万端といった感じ。さすがのエルロゥさんも怯えているんじゃないかな。と様子をうかがった。

 細身の肩が震えていた。

 あぁ、良かった。いくら気が強くて傲慢で高飛車で人の言うことも聞かない人だったとしても、同い年の19歳。いきなり見たことの無い恐ろしい化け物が現れたりしたら怖くて震えてしまうよな。

 

「魔物の分際で……! 私の前髪を焦がしやがったわね……」

 怯えて震えていたのではなく、怒りで震えていたらしかった。


「大いなる力をべて、全てを焼き尽くせ。香ばしい命を我が手に!! 『シャトーブリアン』!!!」


 最上級火属性大魔法『シャトーブリアン』をこの目で見るときが来るなんて! エルロゥさんの怒りの炎が溶岩トカゲを包みこんがりと焼く。

 しかし、溶岩トカゲは口を大きく開けて伸びをしていた。

 溶岩に最大火力の炎を当てても効果が無い。


「火の魔物には、水魔法が有効です!」

「うっさいわね!! わかってるわよ!」

 エルロゥさんは杖を僕からぶんどって、詠唱する体勢を整えた。


 まだ溶岩トカゲはこちらの様子をうかがっている。攻撃するなら早いほうが良い。

「一滴の意思に力あれ! 『ウォーターシューター』!!」

 こぶし大の水の塊が僕の後ろから浮かび上がった。


 すごい……!!


 というのも、魔法はどうあがいてもその属性のマナを呼び寄せるところから始まる。

 〝火〟と〝水〟、〝地〟と〝木〟はそれぞれ反発し合う関係がある。

 反発し合うからこそ、火に水属性で攻撃したり、水に火属性で攻撃することによって、安定している属性のマナの供給が不安定になり、魔法の構築が揺らぐことに繋がり、結果的にダメージないしは維持状態の崩落が始まる。

 このことから、火のマナが満ちあふれている場所では水のマナ、水魔法を構築しにくい。水のマナが満ちあふれている場所では火のマナが構築しにくい。強いマナの方に力が引っ張られて、魔法、魔術のような緻密な魔法構築が難しいとされている。

 だからこそ、溶岩トカゲが生命活動をしているこの場では(魔法生物が生命を維持するのには〝マナ〟が必要)、溶岩をその身に宿して活動させているため、〝火のマナ〟と〝地のマナ〟があふれていることになる。魔障が0だったことから、この溶岩トカゲは【火の大統霊】に近しい存在であることがわかる。力の差は歴然。こんなところで水魔法が構築できるわけがない。普通ならば。

 エルロゥさんは『四属性魔法使いエレメンタルウィザード』だ。通常の魔法使いには構築できない、わずかなマナを緻密な練度で構築できるからこその、この魔法が実現できるということだ。

 〝火の魔物には水魔法〟だなんて、正直誰にでも言える言葉だ。それを実現できる人は限られている。

 溶岩トカゲの〝生命維持マナ〟を少しでも削って欲しい。

 そんな一縷の望みを持ってしまう。

 溶岩に水鉄砲が効くはずがないのに。


 ジュッ。


 エルロゥさんの水魔法は溶岩トカゲの身体に吸い込まれるように一瞬で消えた。

「そんな量の水魔法じゃあ、やるだけ無駄だ!!」

「あんたは命令しないで! 路傍の石よ、その身砕けども敵を砕け! 『ストーンハンター』!」

 洞窟の岩場に転がっている無数の石つぶてが溶岩トカゲに次々にぶつかっていく。

 溶岩は岩が高熱で溶けたもの。小粒の石が溶岩にぶつかっても、大してダメージを与えられない。

 どうやったら溶岩トカゲにダメージを与えることが出来るのか?

 まず、生物と魔法生物の違いから考えよう。

 この世の魔物は〝生物〟と〝魔法生物〟とに分かれる。生物は〝体力〟が尽きると戦闘不能になる。別途〝魔力〟を持ち、魔力を使って魔法を具現化させたり、奥義を繰り出す原動力とする。生物を相手にする時は体力を削ることで対応する。

 生物以外の生物の形を成した魔物は〝魔法生物〟という分類だ。魔法生物は体力ではなく、〝マナ〟で生きている。

 マナとは魔力の源。マナは世界中をある濃度で漂っていて、理論上尽きることは無い。僕たち〝生物〟が息をすることで、休息をすることで命を長らえさせていることと同じように、魔法生物は〝周囲のマナ〟を取り込むことによって命を長らえさせている。

 そんな魔法生物の命を絶つためには、魔法生物の生きようとする力、〝周囲のマナを取り込む早さ〟よりも早く大きく〝マナを必要とさせる〟ことで〝体内マナの枯渇状態〟を起こすことが重要だ。

 魔法生物がマナを取り込む時は、大きく分けて①魔法を扱う時、②身体を形成する時、③生命維持をする時の三つ。

 マナはある程度自分の身に蓄えている。マナを自分自身に蓄えている状態が〝魔力〟であるとも言える。

 魔法生物を相手にする場合は、①魔法を使わせる、②身体を傷つける、③命を傷つける、④それらを早く大きく継続させること、が必要だという。

 溶岩トカゲの身体は溶岩でできている。溶岩であること、トカゲの形であることにある程度の〝生命維持マナ〟を使っているはずだ。それらを崩すためには、溶岩を水などで冷やして溶岩状態を崩す、トカゲの形を攻撃して壊す、などの攻撃方法が有用だと。

 そう頭の中では答えが出ている。

 しかし、さっきも考えたとおり、この溶岩に相対している洞窟の中で水魔法を繰り出すのは最高難易度の難しさ。溶岩状態を崩すことが難しい以上、残る方法はあと一つ。トカゲの形を崩すこと。溶岩トカゲの命を壊すこと。


「地は咆哮ほうこうせり。聞け! 始まりの鼓動!! 『大地鳴動ハウルオーケストラ』!!」

 エルロゥさんの詠唱は洞窟内をぐわんぐわんと揺らした。しかし、目の前の大岩がそれに呼応して少し揺れただけだった。

「大地が鳴動するだけか?」ブレイドさんがすぐちゃちゃを入れた。

「魔力の使いすぎかもしれません、エルロゥさん少し休んだ方が……」

 溶岩トカゲがのろのろとゆっくりをした動きで岩壁からこちらに歩みを進めてきた。溶岩を身体にまとっているからか、動きが遅いのは幸運だ。あくまで溶岩をモデルにした魔法生物なのかもしれない。

 溶岩のイメージをモデルとしての身体、動き、維持に重きを置いている。この程度の戦闘力ならば大統霊クラスの精霊では無いようにも思う。そもそも大統霊って、人語を話すらしいし。


「叩きつけるは巨神のかいななんじに降りかかるは災禍さいか!!『最愛なる災禍ステディディザスター』!!!!」

 

 こちらに近づいてきた溶岩トカゲの頭上の天井に亀裂が走った。あっと息をのんだ瞬間、地響きが鳴って溶岩トカゲの頭上の天井の岩の塊が落下した!


「すごすぎる……!! エルロゥさん、やりましたね……!!」


 本当に危ない。たまたまトカゲの近くにいなかったから良かったけれど、危うく僕たちも落ちてきた天井に潰されるところだった。

 溶岩トカゲの身体は岩ではあるが、溶けているため重量物を支えることは出来なかったらしく、天井の重みでぺちゃんこになった。

 溶岩トカゲが潰された天井は横に長くて、平べったくとがっていて、まるで台座のようだった。その台座の岩に登り、エルロゥさんが勝ち誇って言った。


「あーあ! 清々したわ。でも、あの巨大なエメラルドの眼をもらわないとここまで来た意味が無いわ。ちゃんと忘れないように回収しましょうね」


 エルロゥさんが洞窟に開けた風穴、天井の穴からは雲一つ無い青空が見えた。涼しい風が入ってきて、ホッとした瞬間、急に喉が渇いてきた。

 さっき汲んできた水を飲もうと水筒を開けると、中身は空っぽだった。

 あれ? どうしてだろう。まさか、この熱さのせいで干上がってしまったのだろうか?

 だとすると、僕たちの身体の水も同じ量干上がっているはずだ。

 そんなはずがない。何か別の何かが起きている?

 考えすぎだろうか。目の前の脅威が去ったばかりで、頭が正常に働かない。

 とりあえず、助かった……のか?


「エルロゥ! 今すぐそこから降りろ!!」

 ブレイドさんが声を荒げた。水筒のことに気を取られて、エルロゥさんの足下を見ていなかった。

 エルロゥさんの足下には一体何があったのか。

「なーに? あんたなんか、何にもしなかったくせに。エメラルドは渡さないわよ」

「エルロゥさん! 溶岩トカゲが岩を熱してます!!」

「えっ!?」


 エルロゥさんの足下の巨大な岩が中心からじわじわと真っ赤な色に変化していった。真っ赤に燃えている。

 岩が燃えている、という表現が合っているのかはわからない。燃えないはずの岩が少しずつ赤く、熱く、溶岩になっていくのがわかった。

 エルロゥさんが降りた後、岩は完全に溶岩となり、洞窟内の大地の半分は溶岩で浸食されてしまった。

 その溶岩の海の中から溶岩トカゲがゆっくりと顔を出した。

 溶岩で浸食された方に、洞窟の出口への道があった。

 溶岩を飛び越えるのは難しい。一度でも触れてしまえば、その箇所を失うと考えていい。足でも手でも、取り返しがつかない。一か八かなんて賭けは負けるに等しい。


「これは……、さすがにちょっとやばいかしら」

 どうしよう。

 さっきから僕は何も出来ていない。ただエルロゥさんの戦いを見ていただけだ。額から汗が滝のように流れ落ちる。水分がどんどん体内から無くなっていく。

 暑い。熱い。身体が、煮えているようだ。

 〝煮え滾る贄〟。僕らはこの溶岩トカゲのにえとなってしまう。このまま何も出来ずに、溶岩の中に沈んでしまうのか?


「エルロゥ、ちょっと耳貸せ」

「なによ、この非常時に。お金の話なら聞いてあげる」

 これ以上の非常時は無いってのに、エルロゥさんは本当にブレない。

 逃げ場なし、打つ手なし。

 盗賊に人質に取られていた時がまだ優しく感じる。

 水がもっとたくさんあればいいのに。水筒程度じゃ足りない。

 エルロゥさんが開けてくれた空から、奇跡的に雨が降り注いでくれて、なんとかなればいいのに。そんなことしか考えられない。僕の鑑定スキルでは、何の助けにもならない。

 ブレイドさんがエルロゥさんに何かを話していた。

「なんでわかっ……。……、……はいはい。私が出ればいいんでしょ?」

「非常事態だ。頼んだぜ」

「あの、どうかしたんですか? 僕も何か力になることがあれば……」

 エルロゥさんはいつになく真剣な顔をしていった。

「じゃあね、後は頼んだわよ」


「『転移魔法テレポート』!!」

 エルロゥさんは、天井に開いた穴から外に飛び出していった。

「えええええええ!!!」


 これ以上ない非常時って時に、エルロゥさんはどこかへ行ってしまった。

「ブレイドさん、どうして……? このままじゃ僕たちは、煮え滾る贄になってしまう……!!」

 ブレイドさんは顔から身体から汗びっしょりになって、それでも笑って言った。


「暑っついな!! でも、まだまだこれからだぜ。そう、たとえば。溶岩の剣、見たくないか?」

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