錬金術師ミィルの卑愛

M.S.

錬金術師ミィルの卑愛

 北国のその国土の北東辺りに、その地方都市はあります。

 名を【ウルクローデ】。

 中央都市のせわしない人の流れと喧騒が生み出す、都会特有の寂寞せきばく感を嫌う人達が寄り添って興した事が始まりの少しした商業都市です。

 そういう歴史の中で、ずっとこの都市では広義的な商業が盛んに行われていて《職人の街》なんて呼ばれたりもしています。

 私の両親はずっとこの街で《錬金術師》として、行商の人や《魔術》を使う衛兵さんを相手に主に薬等を売ったり、材料を集めてはそれを《調合》したり、《錬金》して、それをまた売って。

 そういう風に生活していました。

 お父さんもお母さんも《錬金術師》。

 私が言うのもなんだけれど、この一帯では結構、名を馳せていたらしくて固定のお客さんも居たし他所の街から来る人や旅の人も、両親の《錬金》の恩恵にあずかろうと訪れて来ていたようです。

 私はずっと、そんな両親をお手伝い。

 お客さんは多くて大変だったけれど、とても充実した日々を送っていました。

 そんなある日、伝令の方がお店にやって来て、両親に何かを伝えて去って行きました。

「……今の人、誰? お客さん?」

 私がそう訊くと両親は、押し黙ったまま私を左右から抱き締めてこう言いました。

「ミィル。戦争が始まる。……父さんと母さんは、行かないといけない」

「きっと、父さんと母さんは生きて帰っては来れないわ。……そしたらミィル、貴方あなたがこのお店を継いで頂戴ちょうだい

「……この店にはもう三百年近い歴史と思い出がある。それを、此処ここで途切れさせないでくれ。……つつましやかでも良い、どうか店を続けてくれ」

「どうか、父さんと母さんが亡霊になっても帰って来られるように、此処でお留守番していて? 独りでは寂しいかもしれないけど、お願い。……どうか、此処で、生き続けて」


────────────


 《魔術》にも覚えがあった両親は《第四次大陸大戦》に赴く事になり、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

 遺品として魔術師団の生き残りの方から受け取ったのは、両親の《魔術杖》と、見た事も無い《白い野草》。

 二本の杖をかたわらに、その《白い野草》をぎゅっ、と握って私はへたり込んで。

 そうして、私は十四で、父と母を失ってしまいました。

 残念で。

 でも仕方無くて。

 一月ひとつきは泣いたのですが、もうその錬金屋は私の代になって七代続いていたそうなので、私の代で終わらせたくない、私の家の歴史と《錬金術》を失わせたくない、次第にそう言う思いが強くなって。

 私は溢れさせた涙すら、硝子瓶がらすびんに集めて《錬金術》の材料にするために取っておく程でした。

 なんとか喪から立ち直った私は、まず書斎にある、両親が遺した《調合帖レシピ》に目を通す事から始めました。

 この家が代々掛けて記されたそれは膨大な量でしたが、両親、引いてはこの家の証を失わせる事の方が、よっぽど怖い事でした。何か高尚な使命感のようなものに突き動かされて、私は寝る間も惜しんで《調合帖》を穴が空く程に睨み、その内容を頭に叩き込んでいきました。

 地域に根差す野草が。

 山岳を構成する鉱石が。

 精霊の宿る河川の水が。

 各々がどういう性質を持って、それぞれがあわさった時、どういう神秘にまみえるのか。

 全て。

 全て。

 両親の残り香を此処に留める為、私達の歴史を終わらせない為に。

 私は《錬金術》の虜になる事にしました。


 書斎にこもり一年が経った頃、私はおよそ百万通りに近い材料の組み合わせと効果を頭に詰め込んで、お店を再開する事にしました。

 一年、お店を閉めてしまっていたので、お客さんがまた以前のように来てくれるか心配でしたが、その心配は無用だったみたいで、両親が居た頃にこの店を利用していたお客さんが、ちらほら来てくれるようになりました。

 立地も目抜き通りに面しているのが良かったのかもしれません。数月すうつき経つ頃は、すっかり客足は、休業する前と変わらない程になってきていました。


────────────


「やぁ、ミィルちゃん。……一年、どうしていたんだい? 心配したよ。……こんな長い間、この店が閉まる事なんて、無かったろう?」

 扉に掛けられた、来客を知らせる鈴が鳴り顔を向けると、昔からの顔馴染みのお婆さんが入って来た所でした。

「いらっしゃいませ。……御免なさい、御迷惑をお掛けして。……両親が死んでしまったので……、それで、休業をやむを得なくなったのです」

「……まぁ、まぁ! まさかとは思ったけど……、御両親の姿をこの頃見掛けなかったのは……、本当に、御免なさい。嫌な事を思い出させたね……」

「いいえ。もう、一年も前の事ですから、大丈夫です……。今から薬を作るので、少々お待ち下さいね」

 お婆さんは脚がよく浮腫むくむようで、両親がよく塗り薬を渡していました。

 私は受付部屋から、錬金器具と材料庫を設置した奥の部屋に入ります。

 材料を仕舞ってある並べられた棚から必要な素材を選び取って、錬金器具を設置した卓に置いていきます。

 《木の傀儡トレント》の死骸の魔力を吸って咲いた薬草、《水先蜂》の集めた蜜、《千等石》を砕いた粉末、上流では精霊が踊ると言われている河川の上澄み。

 丸底の硝子瓶を使って、河川の水に薬草を入れて煮出します。蒸留物に蜜と粉末を混ぜれば塗り薬の下地は出来るのです。

 端っこの棚から《調合帖》を引っ張り出して、他に使える素材が無いか確かめてみる事にしました。

 どうやら、両親は塗り薬の経皮吸収効果を大きくする為に、《魔術師の涙》も加えていたらしいです。これは手に入り辛いから、沢山使いたくないけど、仕様が無いですね。

 硝子の円筒に注いだ混合物にそれらを混ぜて、持ち運びやすい大きさの硝子瓶に木のしゃくすくって流していきます。

 少し汚れてしまった瓶の口をぬので拭いて栓をしてお渡しです。

「お待たせしました」

「いいのよ。ありがとう。……それにしても、すごいわねぇ。ミィルちゃん、まだ十五だろう? もう、立派な《錬金術師》だねぇ」

「そんな事…」

「気丈に両親の跡を継いで、本当に良い子ねぇ。……後は、素敵な伴侶はんりょが居たら、言う事無しね」

「ふふ、そうですね」


 伴侶、か。


「あら、ごめんなさい。余計な御世話だったかしら。また、薬が無くなったら来るわね。頑張って頂戴」

「ええ、ありがとうございました」


────────────


 一日の仕事を終えて、店内の床をほうきで掃いている間に、昼間のお婆さんの言葉を思い出しました。

────伴侶。

 私は、思い至ったのです。

 如何いかに私がこの道のわざきわめた所で、それを継承する子孫が居ないとどうなるのでしょうか? 無論、私達の歴史と技術は潰えてしまうでしょう。

 それは、私の両親が望む所では無いはずです。

 誰か、《錬金術》を志す人を募って技術を伝える事も出来なくは無いですが、きっと御先祖様は、私達の一族の血と共に《錬金術》を継承して欲しいと思うのが、本当の所だと思うのです。

 もう、このお店も七代続いているのです。錬金器具には歴史の重みの分、年季が入って、七代分の責任も伴うのです。


 店の掃除を終え、私は寝台に横になって両親の《魔術杖》を抱き、毛布に潜りました。   

 寝る時はいつも、両親の杖を抱いて寝ているのです。

 独りはやっぱり寂しいですから。

「お父さん、お母さん、二人は何歳の時に結ばれて、何歳で私が産まれたんだっけ?」

 二本の杖は、言葉では返しません。ですが、その杖頭にしつらえられた宝玉は淡い光を放ち続けていて、私の心の暗雲を割って光芒たろうとするようです。

「……最近、少し疲れちゃった」

 杖の光は、私の言葉に《光》で応えるようにちらっ、ちらっ、と明滅してくれます。きっと、両親の残留思念は、まだこの杖に残っているのです。心身弱っている私がその明滅の仕方に、両親の思念の残りかすを見出そうとするのは、至極、当然でした。

「一年と少し、頑張って来たけれど、気付いちゃったんだ。……孤独の静かさに。ちょっと前までは《錬金術》の事をずっと学んで気を紛らわせて居たけど、最近、お客さんが居ない時にぼーっとしてると、思っちゃうの。……こんなに静かだったっけ、って」

 私がそう言うと、お父さんの杖は《光》が鈍くなってしまいました。比べて、お母さんの杖の《光》は明滅が強くなりました。お父さんはきっと、私に掛ける《光》に困っているのかな。お母さんはきっと、私を励ましてくれているに違い無いです。

「お客さんが来ない時は、お父さんも、お母さんも、私に色々教えてくれたよね。……特殊な野草の生育場所とか、……それぞれの植物が適する土壌とか……、そういう事、もっと、教えて欲しかったな」

 二人の《光》は、今度は滲むようにぼんやりしてきました。私が湿っぽい事を言うから涙を流しているのかもしれません。

「……そう言えば、お父さんとお母さんが遺してくれた、あの《白い野草》、あれは何て言う名前の草なの? どう使えば良いかわからないから、ずっと取ってあるの」

 お父さんとお母さんは、ちらちらっ、と光りましたが。

「それだけじゃ、解らないよ……、喋ってよ……」

 どうして、《光》には声が無いのでしょうか? お陰で私、ずっと独りぼっちの気分です。

「私、ずっと、死ぬまで独りぼっちなのかな……? そしたら私の家の《錬金術》が、私の代で世界から消えちゃう……」

 そう呟くと、お父さんとお母さんの《光》は強くなって、その熱量は私の顔を撫でてくれました。

「……うん、そんな事にだけは、なりたくない。ならないようにするから。……私達の生きた証を、後世に頑張って残すからね」


────────────


 次の日から私は。

 お客さんとして来た男の人を、値踏みするようにして見るようになりました。

 勿論、私の伴侶となってくれそうな人を探す為に。

 《錬金術》に造詣ぞうけいが深い人が居てくれたら言う事ありませんが、まぁそう都合良くそんな人が現れてくれる筈もありません。

 そうですね……、最低限、優しそうで、性格が合いそうな人が良いです。後、《錬金》の素材を外で集める事が出来る人でしょうか? 材料となる物の中には、危険な場所でしか手に入らない物や、凶暴な《魔物》の骨なども必要になるので。

 よく、お父さんは都市の外に出て素材を集めて来て、お店ではお母さんが主になって《錬金術》をして居ましたから、そういう役割分担が出来る人が良いですね。……私は、両親のように《魔術》は使えませんから。

 となると、やはり相手は《魔術師》の方が良いでしょうか? 《魔術師》の方なら、ちらほらこのお店に来る事もあります。……ですが、私みたいな世間知らずの小娘と一緒になってくれるかどうかは、ちょっと難しいかもしれません。


──────────


 その日、いつも通り仕事をして、お客さんがけた時間帯になって孤独と仲良しになる方法を模索していた夕方、お店の扉が開きました。

「いらっしゃ……」

 そのお客さんを見た瞬間。

 私は、続きの言葉を紡ぐ事も忘れて、その方に魅入ってしまいました。

 黒鳥の濡羽根のような妖艶に煌めく髪。

 こちらを見た流し目は憂いをたたえる切れ長で漆黒の瞳。

 それらとは対照的に、白磁の肌。

 その綺麗な左頬に添えられた、背徳を覚えさせられる古傷。

 彼がまとっている外套がいとうの上からでも分かる長い四肢。

「すみません…、怪我の治療をして欲しいのですが…」

 薄紅色の口唇こうしんは白磁器の花瓶に飾られた慎ましい薔薇の様に見えました。

 そこから溢れる声音の振動は私の耳介じかいを優しく撫でて、耳がくすぐったくなってしまうし。

────一目惚れです。

 ああ、そんな。

 このような方が現実に居るなんて。

 まさに私が子供の頃に好きだった『孤高高邁ここうこうまい物語』に登場する、黒騎士デュードリートのような方が、私のお店に訪れたのです。

「あの……」

 私はぼーっと彼に魅入ったまま硬直してしまったので、彼は困惑した声を掛けて来ました。きっとその時の私は顔は赤くなっていたと思うし、下手をすると胸の前で両手を組んで、だらしない乙女の表情をしたかもしれません。そんな事を考えると、余計に顔だけ熱湯に浸かったようになってしまいます。

「ご、御免なさい。ええと、こちらの椅子をお使い下さい」

 一先ひとまず、彼は右脚を引き摺って如何にも辛そうでしたので、受付の卓の前の、待合の椅子に座ってもらう事にしました。

「どうも、ありがとうございます」

「……それで、怪我と言うのは?」

 そう訊くと、彼は外套の足元をまくり、その程良く引き締まって筋の浮くももを私の前に露わにしました。何の躊躇も無くそうして見せたので、思わず目を伏せてしまいましたが、きずを見ない事にはどのようにして薬を《調合》するか段取りが付きません。

 私は垂らした自分の前髪の下から窺うようにして上目遣うわめづかいに彼の腿の創を見ました。今はよこしまな気持ちを抑えてしっかり視診しないと、彼の怪我を治す事が出来ません。

 顔を近づけて創を見てみると、大腿外側に大きく、斜めに切り裂いたような一直線の創があってそれは開放創となっており、中々塞がらないようでした。布を当てていたようですが、そこから溢れる滲出液しんしゅつえきは覗いている皮下脂肪をてらてらと濡らして溢れ、布では間に合わなくて、今も溢れていて、腿をしたたって、何と言うか。

 勿体無いと思ったので。

 それが床に落ちる前に私は唇を腿にわせ、その彼の細胞から滲出した体液を、口に含みました。


 ああ。

 つい、やってしまいました。

「……っ、あの……?」

 当然、彼は驚いたようです。

 一体、何処の《錬金術師》が、お客さんの創を、口唇で触診するんでしょうか?

「あっ、その……、御免なさいっ。だ、唾液に含まれる酵素には抗菌作用があるので、それで……、それで……、二次的に感染症を起こさないようにと思いまして……」

「は、はい」

 全く、酷い言い訳です。こんな言い草じゃ《錬金》に携わる人にしか理解出来ないと思うし、……と言うかそもそもこんな気持ち悪い感染予防の仕方なんてありませんし、それっぽい事を言って煙に巻いて、自分の行為を正当化しようとしてしまいました。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 絶対、気持ちの悪い女だと思われてしまいました。

「と、ともかく、後、怪我した状況を教えて下さい。見た所、《魔術》による創に見受けますが……」

 話を別に逸らす為に私は、そう彼に問いました。実際それは必要な情報だったので、羞恥を紛らわす為の発言だったとしても、彼には不自然には見えて居ない筈です。

「はい……、先の第四次の魔術戦争で受けた創で、中々塞がらなくて……。命からがら戦地から落ち延びて、行く当ても無くあちこちを彷徨って来ました。ですが、……生きて帰って来た所為か、何処にも診てもらえなくて。……貴方が、この創、初めて診てくれました。……ありがとう」

 そう彼が静かに弱く笑うのを見て、私は。

 彼を伴侶にする事に決めました。


 受傷からだいぶ経っているので、創部の状態をしっかり観察する為、処置室の寝台に横になってもらいました。外科的治療が必要だとも思ったのです。

「こちらに、横になって下さい」

「はい、よろしくお願いします」

 そう言って彼は横になると、ふぅ、と息を吐いて目をつむりました。その御顔おかおはまるで、夜の床で伴侶の接吻せっぷんを待っているようにも見えました……。

 ああ、もう、いけません。

 彼の創を治療しないと。

 私は材料庫に入って必要な物を一通り盆に乗せて、寝台横のエンドテーブルに置きました。

 先ず、創部を洗浄しなければいけませんから、《雪花水》で創を洗い流す事にしました。雪溶け水を含んだ抗菌作用のある、飲料水としても親しまれるお水です。

 本当は、私の舌で全部綺麗にしてあげても良いんですけれど。

 ……冗談です。

 洗浄を始めると、滲みるのか、彼は小さくうめきました。御顔を見ると、眉間には少し皺が寄っています。そんな苦悶の表情を見せられると、この創に酸を流したら彼はどうなってしまうのか、想像してしまいます。

 ……想像するだけです。

 大まかに洗浄したものの、膿や、細かい塵、創部に張り付いてしまっていた布の繊維が残ったりしたので、鑷子せっしつまんで慎重に取り除いていく事にしました。

 少し手元が狂って、彼の露わになっている筋を、鑷子の先で、かり、と引っ掻いてしまいました。

 ……わざとじゃないですよ?

 すると、彼は腿をびくっ、と跳ねさせて。

「ご、御免なさい」

 そう面映おもはゆそうに、謝罪しました。眉尻を下げて、初めの印象からは想像出来なかった可愛らしい御顔です。

 私は一度、深呼吸しました。

 私の胸に在住している倒錯的とうさくてき嗜虐心しぎゃくしんを追い出す為、呼気と共にそれを追い出そうと試みます。何度かそうしてから平静を取り戻し、治療を続けます。

 創部周囲の汚れを取り除くと、次は縫合ですが、念の為、殺菌作用のあるものでもう一度、洗浄しましょう。

 何で洗浄しましょうか?

 うん、私の唾液を元に、何か触媒を入れて、それで洗浄すれば良いでしょう。

 唾液には、色々と都合の良い作用がありますから、触媒の元にするには打って付けなんです。

 ……本当ですよ?

「少々お待ち下さい。必要な物を取って来ます」

「ええ」

 材料庫に入った私は硝子瓶に自分の唾液を溜めて《雪花水》で希釈した後、《ボルドーゼリーの体液》と《釣鐘草マンドラゴラの叫び》を入れて混ぜ合わせました。

 硝子棒でそれを掻き混ぜている途中、ふと材料庫の棚の奥に、何か光って見えました。

「……?」

 気になったので、手を伸ばして確かめる事にしました。手に取ってみると、何だか茶色の薄い雲母うんものような物が硝子瓶に入っていました。栓に刻まれた文字を見てみると、《艶蛇ラミアうろこ》と書いてあります。

 初めて見る材料でした。薄い皮のようで、突ついたらすぐに崩れてしまいそうです。

 解らない事が見つかると、それをすぐに解決しておきたい、というのが私のさがなので、私は《調合帖》の何処かに《艶蛇の鱗》の効能が載っていないか探しました。

 程無くして、本棚下段の端っこに立て掛けられていた《調合帖》の一冊の中に、それが書いてあるのを見つけました。


『ラミアの鱗……、触媒として用いる。生理的浸透液に粉々に砕いて入れ、他に術者の粘膜から分泌する体液を混ぜる。出来た液体を他者の粘膜に多量に触れさせればその者に対する一種の魅了効果が得られる。機序としてはこれを粘膜から吸収した他者が、触媒となった体液の持ち主の生理活性物質フェロモンに過剰に反応するようになり……


────────────


「御免なさい、お待たせしました」

「いいえ、お願いします」

「もう一度、創を洗浄します。先程より少し、滲みるかもしれません」

「分かりました、大丈夫です。やって下さい」

 その言葉を受けて、私は《調合》してきた液を、彼の創部にゆっくり塗りたくり始めました。やはり、滲みるのか、彼は先程よりも呻いて固唾を呑むようにして、喉仏を動かしています。私の方と言えば生唾を呑むように、てらてらとぬめる創部を窃視するようにめ回しました。

 殺菌作用を増幅させる《ボルドーゼリーの体液》と《釣鐘草の叫び》の所為せいで大分滲みるのかもしれません。

 それか、他にも《艶蛇の鱗》に加えて。

 私の髪、睫毛、爪、垢、涙、唾液、その他にも──、──、──や──まで入れて《調合》してしまいましたから、それが効いているのでしょうか?

 ふふ。

 彼の創部粘膜の中で、私の体の一部だった物と体液が混じっていくに連れ、彼の出す吐息が湿っぽくなって来ているような気がしました。

「……大丈夫ですか?」

「……ええ、大丈夫です」

「創部周囲の細胞に、魔力の残り滓が入り込んでいます。おそらく、《魔術》を受けて怪我した際に深く入り込んだのでしょう。今塗った薬がそれを中和してくれる筈です。このまま四半刻ほど放置して薬を吸収させますので、このままお待ち下さい。その後、縫合します」

「丁寧にありがとう。待たせてもらいます」

 彼は瞑っていた目を半眼に開いてこちらを向き、うるみ、にごったような瞳でそう言いました。

 そうして私は処置室を出て、材料庫に入ると、薬の吸収を待つ四半刻の間、彼の創から出た浸出液を拭いた巾を自分の鼻に当てがって、─────────────────────────────してしまいました。


 時間を潰して処置室に戻ると、彼はすぅ、すぅ、と穏やかに寝息を立てていました。

 創部に触れても発赤や熱感等、良くない所見も無いので、このまま縫合してしまっても良さそうです。

 触診していると、彼の寝息がまた湿っぽくなって、胸郭の上下運動が少し早くなりました。

 私は指でなぞるようにして、そのまま彼の腿の内側に手を這わせました。

脚の付け根近くに、太い動脈が走っているので、そこで脈を見るだけです。

 ……本当ですよ?

 まぁ、こんな所で脈を取る人は、私くらいかもしれませんが。

 ふふ。

 彼はどちらかと言えば細身なので、やはり簡単にその血管の拍動に触れる事が出来ました。

 少し、脈は早いようです。

 もう、《艶蛇の鱗》の効果が出ているのでしょうか? 私の体の一部を一緒に、沢山混ぜたお陰かもしれませんね。

 まぁ、縫合に支障は無いでしょう。

 《木の傀儡》の樹液を触媒にした麻酔液を掛けても良いのですが、このままやってしまいましょうか。

 ……悶える彼が見たい訳ではありません。素材の節約です。

 私は針と糸を準備して、それを創部の一端に引っ掛けます。

「うぅ」

 彼は鋭い痛みに、夢の中で痛みに悶えます。火照ほてった頬で、花弁のような唇から漏れる吐息はまるで《幻視蝶》の催眠鱗粉のようです。

 勿論そんなものに当てられながらでは、私も縫合がおろそかになってしまいます。

 なので。

 我慢出来なくなるたびに深呼吸して、彼の創部粘膜に接吻して、少しずつ縫合する事にしました。


 そのようにしてようやく閉創を成し遂げると、私は彼のふところから、銭を入れた袋をくすねてから、彼を起こす事にしました。

「終わりましたよ」

 そう何度か声掛けすると、彼は微睡まどろみから戻って来て。

「……んん、あぁ、どうも、ありがとう。もう、動いて良いですか?」

「ええ、ですが、激しい動きは禁物です」

「分かりました……、お代を渡さないといけませんね」

 そして、彼は懐を漁る訳ですが。

「……不味い……、お金を何処かで落としたみたいだ……」

 そう言って火照ったまま眉尻を下げる彼の顔を見ると、何だか劣情のような物を催してしまいます。背徳感が、それを助長して拍車を掛けるのです。

「そう言う事であれば、お代は良いのですよ?」

「……そう言う訳にはいかない。……でも、当ても無い上にこの体では……」

「……では、こう言うのはどうでしょうか? 怪我が完治するまでここで休んで行って下さい。どうせ、糸の抜糸ばっしもしないといけないので、その方が、都合が良いと思います」

「良いのですか? そこまでお世話になってしまって……」

「ええ、どうぞ、二階に空き部屋があるので、使ってもらって構いませんよ。……代わりと言っては何ですが、貴方の怪我が治ったら、手伝って欲しい事があるのです」


────────────


 お店の仕事と並行して、私は両親が遺した《白い野草》の研究を始めました。

 十日程つかって、その効能が明らかになりました。

 実際に試そうと私は、近くの森丘で二匹の《白栗鼠スクイレル》を捕まえました。片方の《白栗鼠》の皮脂をその《白い野草》に塗り、それをもう片方の《白栗鼠》に舐めさせた所。

 二匹は即座に、私の目の前で生殖行動を始めたのです。


────────────


「すっかりお世話になってしまいましたね。本当に、ありがとうございます。……手伝いの件、私に出来る事であれば、何でも致しましょう」

 二十日程経って抜糸を行い、しばらく経過を観察するも良好であったので、私はやっと彼にお手伝いを頼む事にしました。

「……では、お願いしますね。街の外で、取って来て欲しい物があるのです。《水精霊の乳》、《雌龍の逆鱗》、《燦陽花の蜜》、《幻視蝶の鱗粉》を取って来て欲しいのです……」

 それらと、《艶蛇の鱗》と私の皮脂を併せれば、きっと、その日の夜は凄い事になるでしょう。

 だって、《白い野草》のみでも、凄い効果があった訳ですから。

「ええ、必ず、取って来ましょう。……ミィルさん」

 怪我は完治したものの、私を見据える瞳はやはり何処かどろりと潤い、その彼の整った顔の上には唇に加えて、頬に二つ、計三つのあかい花弁が残ったままです。

 きっとこのれ薬を作る共同作業が、そのまま婚礼儀式になるのでしょう。


 そう言えば、すっかり両親からめを聞く事はありませんでしたが、聞かなくて良かったかもしれません。


────────────


 そのようにしてライラロイデ家の錬金屋、七代目の私、ミィルはそうやって子孫を成して《錬金術》を継承した訳です。

 本当は、こういう事は記憶の墓に葬った方が良いとは思ったのですが、私達の子孫が自分達の意志で、自分の選択をしたいと思うなら、手記として遺した方が良いと思ったのです。

 《白い野草》は材料庫の右から七つ目の棚の、下段の抽斗ひきだしの奥に、仕舞ってあります。

 それを使うかどうかは、貴方達が決めて下さい。

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