2-6

「あーははははははははっ!! あんなシチュ笑い死ぬって! はははははははははははッ!!」


 教室からしばし離れた階段の踊り場。紅林凪沙は腹を抱えて蹲り、大きな笑い声を遠慮なくあげる。


「いくらなんでも笑いすぎだろ……。前は凪沙の傍によくいなかったっけ、伊藤って?」


 ようやく笑いが収まりの気配を見せた凪沙はよろよろと膝を伸ばし、目尻の涙を指で拭い、


「あはっ、あたしとは相性よくなかったし。我が強いんだよね、伊藤って。ま、あたしが言えた義理じゃないけど」


 凪沙はアマトの肩をポンと叩いて、


「さてと、笑い倒したところだし戻ろっか? 教室の雰囲気もマシになってるっしょ」

「どうかな、休憩挟むだけじゃ大して変わらんだろ」


 階段に足を掛けた凪沙に付いていこうとした、その時だった。―――パシャリッ、という電子音が、この閑散とした踊り場に響いたのは。


「この音……?」


 凪沙とほぼ同時に、アマトは上の階を見上げると、


「ふふーん、お二人の仲良しさんな光景を写メに収めちゃいました!」


 スマートフォンを顔の前に構え、弾みのある愛らしい声でそう告げたのはあの黒髪の女子。

 彼女はスマートフォンを顔の隣にスライドさせ、イタズラっぽく顔を覗かせて、


「んもぉしのみー。いくら休憩時間だからって、女の子を踊り場に連れ込むのは実行委員として感心しないなー。せめて密室のトイレに連れ込むとかしないと」


 アマトは「コイツわかってないな」とでも言いたげにやれやれと、けれども遊奈の手に持つスマートフォンを細目で確かに捉え、


「トイレよりも知的な資料室のほうが女子は喜ぶぜ? それに、わざわざトイレを選ぶほど俺は汚れた人間じゃないからね」

「ほぉー、さすがは潔癖症くん。女の子が口を付けた焼きそばパンも、すっごい嫌そうな顔して絶対に手を出さなかったもんね」

「シチュエーションが具体的すぎるだろ……。そんなに根に持ってたの、あの件?」


 大きめの胸を強調付けるような前屈みの姿勢で、遊奈は人差し指を立ててウインクし、


「もうじき休憩も終わるから、お楽しみはほどほどにね。じゃあね、先に戻ってるよ、しのみーとカノジョさん」


 こうして彼女はシャギー混じりの黒髪をフワリと靡かせ、教室の方向へと向きを変える。


「凪沙はカノジョじゃねーし、勘違いをしなさんな。って、カノジョと言ったら……。あのー遊奈、西春とはどうなん?」


 かつては文学部でともに活動をしていた小太りのアニメ好き、西春。その彼と遊奈の交際が、間接的に部を解散する引き金にはなったのだが……。


「ああ、そういえば付き合ってたっけ」


 遊奈は歩みかけていた足を止める。


 それまでの弾んだ女の子の声が嘘のように、彼女は平坦に告げた。


「……遊奈?」


 遊奈は元部活仲間にクルリと向き直し、申し訳なさそうにパチンと両手を合わせ、


「ごめん、こないだ別れちゃった! しのみーにもいつか言おうと思ってたけど」

「……別れるの、早くない? 付き合ってからまだ数週間じゃ……」


 遊奈はうーんと悩ましげに目を瞑り、


「西春くんの部屋で一緒にマンガ読んでたらね、キスを迫られちゃって。遊奈がまだ早いよーって言っても……、なんか手を握られて……。あたし、怖くなって……」

「そ、そう……、温厚なヤツだとは思ってたけど……それは残念……」


 そうして遊奈は「早めに戻ってきてね」と最後に告げ、今度こそ教室へと一人戻っていった。


(相変わらず仮面を被ってやがる……。いったいアイツの何が本心なのか、やっぱ読めたものじゃない……)


 それにしても、とアマトは心の中で前置きをし、


(あの西春が……キスを迫った? 信じられん……。まあ遊奈ほどの美少女前にすると、男としての本能が抑えられないとか? うーん、本人に訊いてみないことには……)


 と、思慮を巡らせかけたが、ハッと前方のギャルに気づき、


「ごめん、ちょっと話が長くなった」


 知り合い同士が話に夢中になる中、第三者が一人蚊帳の外状態では、おそらくいい気分はしないだろう。アマトも経験でそれを知っている。……が、


「あまっち、アイツと知り合いなの?」


 顔は向けず、冷めた口調で問いかけた凪沙。


「前の部活で一緒だったんだよ。そういう凪沙も知り合い?」


 彼女はピクリと微動するものの、明確には返答しないまま一人階段を登ってゆく。気づいたら、凪沙の脚を覆う白のルーズソックスが真正面に見えていた。


「…………?」


 とはいえ、アマトは追求しない。こういう雰囲気を出す女子は刺激しないほうが得策だと知っているのもあるが、


(この様子、ひょっとすると――……)

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