第2話 怪物、あるいは人間を超えた何か
甘粕錦には見えていた。相対する怪人の鋭い蹴りが。まるでスローモーションの中にいると錯覚する程に、遅く見えていた。
だが、それは怪人も一緒のこと。二人は、奇しくも同じタイミングでスローモーションの中に陥っていたのだ。
これがシンクロニシティである。
「〜ッッッ!!!」
錦は、右手を押さえ痛みに悶えた。そもそも、虫の怪人の硬い外骨格に素手で挑もうなど、狂気の沙汰でしかないのだ。
しかし、怪人も脚を押さえていた。
「!? この凹み……何という怪力……!」
『錦すげええええ!!!』
「どうだ!? この錦様の怪力を見たか!?」
『良く言った錦ぃ!』
何と、錦の剛腕が、怪人の外骨格を貫き、陥没という形でダメージを与えたのだ。これは驚愕に値することである。
そして、錦は痛む右手を我慢し、今度は左手で構える。やる気マンマンの構えなのだが、怪人はもう構えることはしなかった。
「……その右手では最早戦えまい。少しの間眠ってもらうぞ」
怪人はゆらりとした、しかしとてつもなく素早い動きで錦に肉薄した。
すでに怪人の速さに慣れた錦ですら、目で追うのがやっとの速度だった。
「気絶してようがなんだろうが、薪島さんは渡さねぇぜ!」
『あぁー! 甘粕がやられる!』
「俺の人生の中でも、お前程の根性を見せた者はなかなかいなかったぞ」
『避けるなりなんなりしろよ! 甘粕!』
一瞬で錦の死角に回り込むと、怪人は手を手刀の形にし、振り上げた。
「許せとは言わん。恨め、奪い返しに来い」
そしてその手を振り下ろ……すことをしなかった。
「……何だ、この気配は。これはまるで……」
怪人は一旦錦から離れ、辺りを警戒しながら見回す。しかし、彼の言う気配の持ち主は見当たらなかった。
「いや……これは……近付いて来る……?」
レーダーの役割を果たす二本の触角がピクピクと動き、気配の持ち主の接近を示した。
「あ、あの怪人があそこまで警戒するって……?」
「別の強い怪人とか……?」
「もしかしたらたけどさ……」
「いや、俺も思ったよ」
生徒達が何かを察する中、それがついに姿を表す。
「よくやった、錦。後はこの私にまかせろ」
どこからともなく吹き荒(すさ)ぶ、
裂けるのではないかと思う程に、綺麗に噛み合う乱杭歯の見える口角をつり上げる。
大きな目の中の、極端に瞳の小さくなった四白眼が、怪人を真っ直ぐに捉えている。
指の関節をボキボキと鳴らし、拳の調子を確かめているようだが、その音は明らかに人体から出てはならない重低音だ。
あまりにも暴虐過ぎる気配を身に纏ったこの少女を……否、この怪物を知らない生徒は、この矢倍高校には存在しない。
「む、無敵だ! 来てくれたんだ!」
「どこで迷ってたんだよぉ〜!」
「無敵さんが来てくれたならもう安心だわ!」
「おお……主よ。願わくば、あの怪人に鋼鉄の魔神の天誅が下らんことを……」
『むーてーき! むーてーき! むーてーき!』
最強無敵。彼女が登場した瞬間、錦を応援していた生徒達の間で、さらに異様な熱気が巻き起こる。
『究極! 超人! む・て・き!』
『絶対! 王者! む・て・き!』
『激烈! 無双! む・て・き!』
『最強! 不滅! む・て・き!』
『天元! 突破! む・て・き!』
『『『我らが! 不死身! む・て・きっ!!!』』』
「な、何なのだこれは……」
生徒達の無敵コールは鳴り止まない。彼らは、不死身の魔神を讃える為、命を懸けてでも声援を続けるのだ。
今や、怪人は場の雰囲気に飲まれかけてていた。
◇
不死身無敵の持った金属バットが、風を切り裂く轟音とともに振るわれた。それだけで金属バットからミシミシと不快な音が鳴り響く。
一見すると速そうな一撃だが、別にそんなことは無い。無敵の、錦を超える埒外の膂力による力押しでしかない。力isパワーのゴリ押しだ。
無論、このあまりにも粗末な一撃を、怪人はひょいと避けた。
「ふーん、避けるか……」
『錦よりも遅い攻撃が当たる訳ないだろ!』
「それもそうか……ギア、上げっか」
「何を……ッ!?」
先程まで、技の欠片も無い遅い攻撃だったのが、突如速度を増した。
これは、無敵の筋力による底上げである。またしても、怪物的な力でのゴリ押しだった。
横に、縦に、上から、下から、斜めから。
相変わらず技は感じられないが、残像が見える程の速さ。怪人は避けるのに必死である。
そして、縦横無尽に振るわれるその金属バットは、徐々に軋みを上げ……
「あっ、折れた」
『ウソー!?』
あまりの怪力に、金属バットの方が耐えられなかたのだ。
「素手でやる」
『ステゴロキター!!!』
金属バットを失った無敵は、バットの柄を捨てると、手をゴキゴキと鳴らした。やはり、あまり小気味の良くない音がした。
彼女はずかずかと怪人へと歩み寄り、右腕を振りかぶった。
「ウラァッ!」
「ッ!?」
まるで瞬間移動のような踏み込みに、怪人が反応できたのは奇跡としか言いようがなかった。
無敵の踏み込み跡には、クレーターの如き地割れが起こっていた。
しかし、一気に振り下ろされた拳は避けられたのだ。
そして、無敵が勢い余って突っ込んだ地面には、小さいながらも深い穴が出来上がっていた。
狭く、嵌ったものが容易には抜けないだろう穴が。
「むぅ? 抜けん」
『何やってんだよー!?』
「奴以上の怪力……! しかし、好機!」
『あァーッ! 怪人の蹴りが無敵にィーッ!?』
右腕の肩口までを地面にめり込ませ、身動きの取れなくなった無敵は、全くの無防備だった。
その大き過ぎる隙を狙い、怪人は得意の蹴りを放った。それも、錦に放ったものよりも力をこめて、である。
そして見事、怪人の蹴りは彼女へと命中した。
「チッ、抜けねぇ」
「!?」
『凄え! 怪人の蹴りでも何ともないぜ!!!』
しかし、無敵は気にした様子も無く、拳を引き抜こうと奮闘していた。
これは異常なことである。全力ではないとはいえ、常人ならば大怪我ではすまない程の威力のはずだったのだ。
それを受けてケロリとしている彼女は、本気で人間か疑わしいところである。
「ふんっ! はっはぁ! 抜けたぜ。こいつは八つ当たりぃ!」
『裏拳! 疾いッ!』
「当たりはせん!」
振り向きざまに無敵は拳を振るう。だが、虫怪人は余裕を持って避ける。
警戒して距離をとっていたのが幸いだったのだろう。
そして、余りにも攻撃が当たらないので、やはりというか、何というか。無敵はついに痺れをきらした。
「チッ……中々当たんねぇなぁ……ああ、クソッ! むしゃくしゃするぜぇッ!」
『あっ、無敵、やめ――』
「くっ! 滅茶苦茶だ……!」
自身の攻撃が当たらないことに痺れをきらした無敵は、滅茶苦茶に暴れ出した。
あちらこちらへ地面を高速で転がり、飛び跳ねながら手足をジタバタさせる。まるで子供が駄々をこねるような動きの延長線であるが、破壊力はその比ではない。
周囲への被害を一切気にせず大暴れする様は、まさに怪物そのもの。一応校舎に気を遣っている怪人の方が、余程人間味があった。
「……ん? ありゃ? ありゃりゃりゃ? お前ら、どうしたんだ?」
一通り暴れて飽きたのか、無敵が起き上がる。しかし、彼女に声援を送る者はいなかった。
何故なら、生徒は皆気絶していたからだ。
「……まぁ、仕方無ぇよな?」
「しめた!」
「あっ」
頭を掻きながら立ち尽くす無敵を見て、怪人はこれ幸いと気絶した嶺緖を連れ去った。
人間大の虫による跳躍力には、流石の無敵もお手上げだった。
「……」
「はっ!? か、怪人は!?」
「逃げた」
真っ先に起き上がった錦に対して、無敵はそう告げた。一応、本当のことである。
「ま、牧島さんは……?」
「……」
「……あ」
錦は気づいた。自分が気絶している間に薪島音緖を攫われたのだと。
「……嶺緖が攫われたのは私の責任だ」
「だ、だったら……」
「だが私は謝らない」
「む、無敵ぃーッ!?」
錦の声が、学園中に木霊した。
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