第34話 再び動き出した時間 #34

           ✳︎✳︎


 「アスカさん、今日もお疲れ様です」

 「はーい。お疲れ様。残り少ないチームでの練習楽しんできてね」

 「はい。もちろん」


月日が巡り、彼女の事故から約一年ほどが過ぎた。あの夜、隠し事を吐露されて以前までの関係が全て壊れそうだったアスカさんとも何も壊れることなくこうして今まで通りアスカさんの店で働かせてもらっている。僕は店を出て車に乗り込み、そそくさとエンジンをつけた。冷え切った空気の中置きっぱなしの車を温めるために僕は暖房をつけた。冷たい空気が今年も僕の体を冷やしていると、改めて季節が巡っていることを実感する。車が温まる間、僕はこの一年を頭の中で振り返った。ヒロキのおかげで彼女と再会できたこと、彼女のおかげで自分に自信が持てて、目の前にそびえる大きな壁にも挑むことができたこと、大切な人と腹を割って話すことができたこと。それによって以前よりも近い距離で人間関係を築くことができたこと。僕の原動力を辿っていくと全て彼女に行き着く。


 「うし。そろそろ行くか」


十分に温まった車をゆっくりと動かし始め、僕は作戦を実行し始める。まずは彼女を迎えに行こう。


 『準備は出来ているよ!』


彼女から届いたメッセージを確認した僕は、彼女の家に車を走らせた。そういえば、僕の中で以前とは大きく変わったことが二つあった。自分の心の中でその二つを思い浮かべた矢先、スマホが僕に叫ぶようにけたたましく鳴った。通話ボタンを押し、その流れでハンズフリー状態にして車のマイクに口を近づけた。


 『もしもし』

 『タッくん、仕事おつかれさま!もう、私ん家近かったりする?』

 『うん。あと五分もしないうちに着くと思う。ユカリもすぐ動けるようにしておいて』

 『ふふ、そう言われると思ってもう公園の前で待ってるよ』

 『やっぱりユカリには敵わないよ。寒いのにありがとう、じゃあそこに向かうね』

 『はーい!気をつけてね』


彼女は僕にそう告げると同時に通話を切った。彼女のせっかちさは相変わらず変わらないが、僕と彼女の関係性は大きく変わった。公園に着き、駐車場に車を停めてメッセージを送ろうとしていると、彼女はとととっと駆け足で近づいてきた。僕は運転席から腕を伸ばし助手席のドアを開けた。


 「おまたせ。今日も元気だね」

 「今日はこれから楽しい時間だからね!」

 「フフ。そうだね」

 「北村くんも準備出来てるって?」

 「うん。まだかって催促のメッセージが来るぐらいだから多分いつでも大丈夫だよ」

 「あはは!用意周到なところ、北村くんらしいね。じゃあ早速行こ!」

 「うん。行こっか」


彼女も車に乗り込み、僕らは今日の主役を迎えに行った。時間帯もあるのか十分もしないうちに目的地であるヒロキの家の近くの花屋の駐車場が見えてきた。すると、そこにはかっちりと純白のスーツに真っ赤なネクタイを見に纏ったヒロキが赤い薔薇の花束を大切そうに抱えて立っていた。日が暮れて外灯の光しか見えないなかで、そのスーツは太陽のように煌びやかに光っているように見えた。僕の車に気づくと、ヒロキは右手を軽く上げて笑った。ヒロキの目の前に車を停めると、ヒロキは勢いよくドアを開けた。


 「よぉ!待ちくたびれたよ」

 「一応待ち合わせの時間には間に合ってるけど」

 「北村くんの準備が早すぎるんだよ」

 「まぁ今日は一世一代の大勝負だからな。いつもよりソワソワしてるんだよ」

 「じゃあ別の話題出して気分変えよっか」

 「おぉ。タク。名案だな」

 「じゃあヒロキ。最近あった面白い話して」

 「いきなり無茶振りかよ!」


車内で混じり合う僕らの笑い声がヒロキの緊張していた表情を和らげたようだった。アップテンポのラブソングが僕らのテンションを上げるように流れている。そして僕はゆっくりと車を動かし始めた。


 「あ、じゃあおれの話になるけど聞く?」

 「おぉ、もちろん。タクから話題出すのなんて珍しいな」

 「尾形先生いるだろ。おれらの中学時代の顧問だった人。あの人からVリーグに挑戦してみろって声がかかってさ」

 「え?あの人、今プロの監督やってんの?」

 「いや、正式にはオファーの後押しをしてくれたのかな。尾形先生と仲の良い真柴さんって人がおれが大会でMVP獲った時に声かけてくれてさ。その間を尾形先生が取り持ってくれて」

 「...もしかしてすげぇスケールのデカい話か?それ」

 「うん。かなり大きいと思う。結論、おれは来年プロでバレーに挑戦してみようって思う。まぁこの歳からだけどね、笑っちゃうでしょ」


僕の声に耳を傾けるヒロキの表情が一層明るくなっていく。僕の隣に座る彼女も明るい笑顔で見守ってくれている。


 「俺、いつかタクはいっぱいスポンサーのついたユニフォームを着てバレーするんだろうなって思ってたんだよ。ついにそれが来年から実現されるんだな!何か嬉しすぎて言葉が出ねえよ」


赤信号で止まっている間にヒロキの顔を見ると、暗くて分かりにくかったけれど瞳が潤んでいるように見えた。


 「ヒロキ、泣いてんの?」

 「泣かねえよ!泣くのはお前が来年、そのレベルで同じようにMVPを獲るか、今からのサプライズが成功した時かどっちかだ」

 「フフ。おれは絶対今日のうちに泣いてると思うなぁ」

 「私も。タッくんに一票!」

 「じゃあ絶対泣かねえ!タク!心の準備が整った!もっとスピード出せ!」

 「いや、法律は守らないと。消防士がそんなこと言っちゃダメだよ」

 「ここで真面目に返してくんな!」


僕らの笑い声は途絶えることなく、目的地に着くまで車内に響いていた。その車内にはいつしかアスカさんの好きだと言っていたスローテンポのラブソングが流れていた。そしてついに目的地である、アスカさんの店に着いた。僕は戻ってきたと表現するべきか。その頃にはヒロキの顔にも再び力が入っているように硬くなっているように見えた。


 「北村くん!柔らかくね、顔」

 「おう!分かってらぁ!」

 「体に力入れる必要無いからね」

 「分かってらぁ!」

 「ボキャブラリー、多くしていこう」

 「早く行こうぜ!二人とも!心臓が俺の口から飛び出そうになってる!」


滅多に見ることのない焦るヒロキをからかいながら、こんな調子で僕とユカリは一足先にアスカさんの店に向かって歩き出した。

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