第19話 踏み出す勇気 #19
✳︎
「順調? 最近?」
今日の営業を終え、シャカシャカと音を立てて手際よく食器を洗っているアスカさんは突然口を開いた。
「順調? バレーがですか?」
「うん。バレーも」
「はい。割といい感じっすよ」
「そりゃあ良かった。ファンとして嬉しい限りだよ」
普段からゆっくりと話すアスカさんの口調がいつにも増して遅く感じた。けれど、その表情は、ちょうどさっき見えた山の間に隠れる寸前の陽の光みたいにとても晴れやかなものだった。
「大会、もしかしたらもしかするかもしれません」
「本当に? でも油断しちゃダメだよ。そもそも怪我とかする可能性もあるわけだし」
「分かってますよ。良からぬフラグみたいなの立てないで下さい」
「ふふ、ごめんごめん。今日は仕事後に予定あるの?」
「あ、はい。今日は親友のヒロキってやつとご飯に行くんです。何かありました?」
「あ、そうなんだ。ううん、また予定無いならハンバーグでも作ろうかなって思ってただけだから」
笑顔のまま話す彼女だったけれど、何か申し訳ない気持ちが込み上げた僕の脳内で、刹那的にアイデアが浮かんだ。そして、素直にアスカさんのハンバーグも食べたくなった。
「マジっすか! なら、ヒロキをここに呼んでもいいすか? もちろん食事代は払うんで」
「ふふ、もちろん。あと、食事代はいらないよ。私がしたくてするだけだから」
「え、いいんですか?」
「うん。今日も頑張ってくれたお礼だよ」
「へへ。じゃあお言葉に甘えます」
アスカさんには正直甘えまくりの僕だから、今考えた計画が少しでも良い方向に転ぶといいなと心の中で呟いた。
✳︎
『もしもし』
『あぁヒロキ。お疲れ。もう合流出来そう?』
『おう。タクに合わせていつでも行けるよ』
『そっか。じゃあ悪いんだけどさ、おれの勤め先に来てくれる? 分かるよね、喫茶店』
『あぁ、何となくはな。けど、そこってもうこの時間閉店してるんじゃないのか?』
『店長がね、あぁアスカさんっていう人なんだけど、今日はここで食べていかないかって勧めてくれて。ヒロキさえ良けりゃ今日はここで食べてかない?』
『もちろんオレはそのアスカさんが良いんならそこで良いぞ!』
『決まりだね。じゃあいつでも大丈夫だからここに来てくれる?』
『はいよー! この距離なら十分ぐらいで着くだろうからもう少し待っててくれ』
『了解。気をつけてね』
ヒロキもあっさり快諾した。店の外で話したヒロキとの会話だったけれど、いつの間にか陽が落ちた時間帯の気温は薄着で過ごすには厳しい季節になっていて、そのことを全く対応する気のない服装で立っている僕自身に少し腹が立った。まぁヒロキが言う十分以内は実際のところ十分もかからないだろうからもう少しだけこの場で待ってようと決めた。すると、本当にさっきの電話から五分ほどでヒロキの車が駐車場に入ってきた。慣れた手つきで車を僕の隣につけたヒロキがいそいそと車から出てきた。
「悪いな! そんな薄着で待っててもらって」
「いや、そんなに待ってなかったし心を落ち着かせるのにちょうど良かったよ」
「ん? 心を落ち着かせる?」
「ま、まぁ一応自分の親友を店に上げるわけだからね」
「ハハ、何でオレよりもお前が緊張してんだよ。まぁそこがタクらしいけどな」
「おれらしさは今いち分かんないけどね。じゃあそろそろ店入るよ」
「おう、よろしく!」
僕の心が落ち着かない理由は、多分すぐにヒロキも分かる気がした。まぁこの緊張も最初だけだ。そう前向きに捉えながら僕は店のドアを開けた。チリンチリンと、ドアに設置されたベルが鳴った。僕に続いて入ってきたヒロキはすぐにアスカさんを目の当たりにした。ヒロキは雷に全身を打たれたような衝撃が走っている表情をしていた。アスカさんは彼女の手のひらの何倍も大きくなったひき肉をこねている手を止めていらっしゃいと微笑んだ。
「アスカさん、親友のヒロキです」
「初めまして。ヒロキくん、タクヤくんがいつもお世話になってます」
「は、初めまして! こ、こちらこそタクが世話になっておりますです」
「何で二人ともおれの親みたいな言い方してんの。てか、ヒロキ言葉おかしい」
僕の勘はそれほど鋭いわけじゃないけれど、ヒロキをここに呼んだのは結構良いアイデアだったと自分を褒めたくなった。さっきまで全く緊張していないような振る舞いを見せていたヒロキが、今は体の中に花火を入れられたみたいに慌てふためいている。
「ふふ、たまにヒロキくんの話もタクヤくんから聞くよ。ゆっくりしてってね」
「あ、ありがとうございます!」
「じゃあアスカさん、おれらはあっちの席で喋ってますね」
僕はお気に入りの窓際のスペースを指さした。あそこならキッチンにいるアスカさんにも話を聞かれないはずだ。
「はーい。まだもう少しかかると思うから、二人で楽しんでて。あ、ゴハン作れたら私もそこの席に座ってもいい?」
「へへ、もちろん。な、ヒロキ」
「お、おぉ! あ、はい! もちろんですよ」
「ふふ、ありがとう。じゃあ今はボーイズトークを楽しんでてね」
足早にアスカさんはキッチンの方へ戻っていった。僕とヒロキもその席へ座った。
「おい、タク」
「ん?」
「お前、今まで黙ってたのか」
「え? 何を?」
「あんな美人と二人で働いてたことだよ」
「あぁ、そっか。言ってなかったね。アスカさんは姉の友達なんだ。それで、働き口に困ったおれを拾ってくれたんだ」
ヒロキの反応を見て僕自身もテンションが上がった。僕の狙い通り、アスカさんはヒロキのタイプだったようであからさまにヒロキの声色が普段と違っている。
「マジかよ……。え? じゃあタクの姉ちゃんと一緒だったら、歳は」
「あぁ、28歳だよ」
「あんなに若く見えるのにオレらより歳上なんだな」
「あ、あんまり年齢のことは声を大きくしない方がいいよ。アスカさん、多分けっこう気にしてるから」
「あ、そうなんだ。分かったよ」
「ぶっちゃけどう? 第一印象」
「まだ見て少し話しただけだろ……! 何も分かんねえだろ」
「タイプの顔だった?」
ヒロキは僕の質問に対して、少しだけ黙り首を縦に小さく一回だけ振った。その問いにだけ声を出さないヒロキを見て、僕はもっと二人の距離を近づけたくなってテンションが上がった。
「まぁ今からたっぷり話す時間あるからアスカさんがどんな人かヒロキなりに確認しなよ。この前、おれを同窓会に呼んでくれた礼と思ってさ」
「オレはみんなが楽しんでほしいって思ったのもあるから!」
少し頑固っぽい性格なのも昔からヒロキは変わっていなくて少し嬉しかった。
「実際、みんな楽しんでたと思うし結果的におれも今、そこから良いことに繋がってると思うからさ。まぁとりあえずおれは今回、二人を見守ることにしようかな」
眉間に皺を寄せたままのヒロキだったが、焼きたてのハンバーグを乗せた鉄板を運んできたアスカさんが僕らの座るテーブルの上にそれを乗せた。
「はい。二人ともお待たせ。焼きたてだから肉汁とかに気をつけて食べてね」
「あ、ありがとうございます! うわ、マジで美味そうなハンバーグだ...」
「アスカさんは日々美味しい料理をお客様に提供してますから」
アスカさんの作った美味すぎるハンバーグにヒロキは感動しながらガツガツと夢中になってそれを食べている。初めは緊張しながらアスカさんと話していたものの、それも時間が解決して、あっという間にヒロキはアスカさんと仲良くなった。
「へぇー、ヒロキくん消防士なんだ。通りでガッチリした体格なはずだ。しかも、小、中とタクヤくんと同じバレー部だったんだ」
「はい。タクヤとはもう昔からの腐れ縁ですね! あと、火事とかがあればすぐにでも駆けつけます。何なら火事が無くてもハンバーグを食べに駆けつけたいですが」
「あはは。笑いのセンスもあるね」
アスカさんの方もヒロキと話していて満更でもない様子に見えた。これはもしかすると、もしかするかもしれない。僕は嬉しくなりながら二人の様子を見守る。
「タクヤくんもヒロキを見習って筋肉つけた方がパフォーマンスが良くなるんじゃない?」
「おれはなかなか筋肉がつきにくい体質なんですよ。それに、自分のちょうどいい筋肉量や体重は分かってるつもりっすから」
「ふーん。足だけなら絶対私よりタクヤくんの方が細そうだから嫌味に受け取っちゃうよ」
「そんなつもりで言ってませんよ」
「タクは仕事中もヘラヘラしてますか?」
「うん。してるね」
「アスカさん、返答早すぎ。もう少し思い返してくださいよ」
「だってヘラヘラしてるんだもん。でも、お客さんが過ごしやすく居れる空間にもしてくれてると私は思ってるけどね」
「へぇー! ただサボるようなことをしてるわけでもないんですね」
「当たり前でしょ。おれだって仕事してんだから」
「ふふ。そうだね。タクヤくんがいるから二人だけでもここはやっていけてるのかも」
アスカさんの褒め言葉が、まるで頭を優しく撫でてくれたような気がして少し照れくさくなった。
「今日は優しいこと言ってくれますね」
「え? 普段から優しいですけど?」
「ハハ! 良い関係性だね。お二人さん」
僕らそれぞれの笑い声が響く店内は、仲のいい三人兄弟が食事を楽しみながら笑い合うように僕には思えた。
「時にアスカさん、彼氏とかいたりは?」
唐突なヒロキの質問に対し、アスカさんはゆっくりと微笑んだ。
「いないよ」
「いないんだ! いそうなのに!」
「それはおれも思う」
「好きな人なら最近までいたけどね」
「え?」
あからさまにヒロキの表情が曇った。見兼ねたアスカさんは慌てて続けた。
「あ、でも今はもういないよ」
「て事は、今は?」
「うん、恋人絶賛募集中だよ」
「アスカさん!」
「はい?」
「北村ヒロキがそこに立候補してもよろしいですか!?」
毎日上司へ挨拶をしているような声の大きさと勢いでヒロキはそう言って立ち上がった。
「おいヒロキ。職業出てんぞ」
「あはは! 今日知り合ったばかりなのに分かんないよ。けど、友達にはなりたいな」
「アスカさん! ぜひお願いします!」
「はい。こちらこそ」
「ふふ、良かったね。ヒロキ」
「タクヤ! 今日最高の日かもしんない!」
「気が早いなぁ、ヒロキくんは」
予想以上に盛り上がりを見せた即席食事会も残念ながら終わりを迎え、今度は別の店でヒロキが僕とアスカさんをご馳走する話になった。気を利かせた僕が二人で行ってきたらと勧めると、まだヒロキの方は心の準備が出来ていないと猛烈に釘を刺されたので仕方がないから僕も次の食事会も付き合ってあげることにした。
気のせいかもしれないけれど、アスカさんの口数がいつもより少なかった気がした。これが、ヒロキに対する恥じらいとかだったら一層ニヤつく展開になるのに。と、心の中で僕は今後の進展を願っていた。さっきまで見えていた満月が雲にかかり、妖しく幻想的に光っていた。
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