第11話 あの頃と今 #11
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心臓が口から飛び出そうなほど脈を強く打ったまま僕は目的地に車を走らせる。仕事終わりに会うだけあって、汗のにおいがしていないか入念にチェックした後に石鹸の香りがする香水を少しだけ振った。振りすぎて逆効果になっていなければいいが。
今は彼女を困らせたくない気持ちで頭がいっぱいだった。ナビの案内によると、あと数分で目的地の駐車場らしい。店の名前は聞いたことがあったけれど、そこで食事をしたことは無い。お洒落な人たちが通っていそうな肉バルだ。
腹は減っているものの、緊張でそれどころでない不思議な心持ちのまま僕はついに店の駐車場に着いた。まだ彼女は来ていないらしいので、僕は必死に気を紛らわせるためにスマホを開いて今ハマっているゲームを起動した。すると、起動して数分後に吉田さんからメッセージの通知が来てスマホを豪快に放り投げた。鈍い音がしてスマホがフロントガラスに衝突した。色々な無事を確認してからスマホの画面を覗いた。
『ごめんね! もう着いてるかな? あと信号二つ越えたら着くからしばしお待ちを!』
メッセージと一緒に茶色の可愛らしい猫が謝っているスタンプが送られてきた。それを見ただけで僕はほっこりとした気持ちになった。それと同時に心臓の動きが少しずつ激しくなってくる。深く息を吸って落ち着いていると、不意に車のヘッドライトが駐車場を照らし、白い車が入ってきた。運転席を見るとそこには彼女がいて、彼女も僕に気づいたようで僕を見てはブンブンと左手を振りながらハンドルを回した。ますます鼓動が速く、強くなっていく。僕は意を決して車から出た。車を手際よく停めた彼女もすぐに車から出てきた。
「ごめんね! お待たせ! 遅くなっちゃったね」
「う、ううん、おれも今来たところ。吉田さんもお疲れ様」
「ありがと! 何かイメージだけど森内くんは待ち合わせとかの時間があったら絶対余裕持って行動してそうだよね」
「え、どうだろ。けど慌てるのは嫌だね」
「あはは。結構的確だったかもね。とりあえず店に入りますか、ここのお肉、めっちゃ美味いからビックリするよ!」
彼女に促されるまま僕も足を運んだ。思っていたよりも冷静に話せている自分を褒めたい。予約を入れてくれていた彼女が店員とやり取りを交わしてから僕らは席へと案内された。ガヤガヤと耳に入る色んな人たちの声も聞こえるが、個室に案内されたことで僕らの声も聞こえやすくなった。それと同時に二人きりの空間ということで、落ち着いていたのに、また緊張してしまった。
「森内くんもとりあえずビールでいい?」
「あ、うん。お願いします」
「はは。同級生なんだからタメ語でいいよ」
「あ、うん。分かった。けど今のは礼儀として、みたいなノリだから」
「フフ、なんとなく分かるよ」
グレーの薄手のカーディガンをハンガーにかけ、紺色のセーター一枚になった彼女。首にかけられたネックレスが大人っぽい印象を持ったが、やはり顔は中学時代の面影が残っていた。そして、やっぱり彼女はとても可愛かった。どこがどうとか説明する必要もないくらいに可愛い。
強いて言うなら、僕の三倍くらいはありそうなクリッとした大きな目が特に僕は好きだ。こんなに可愛い彼女と二人で食事に来れるというだけで僕は幸福感を感じ、それと同時に明日からの自分に災難が訪れないか身構えをした。同窓会の時よりも彼女を近くに感じ、顔を眺めているだけで学生時代に戻れた気分になった。ちなみに体のラインを強調するセーターだったために、僕は必死に彼女の大きな胸から視線を逸らす。
「この前の同窓会、楽しかった?」
彼女が不意に僕に尋ねた。激しく動く心臓を抑えるように平然を装い、彼女の顔を見た。あ、可愛い……。
「うん。久々に中学時代に戻った気持ちになったよ」
「私も! 最近だともうチハルとしか交流が無いからさ。懐かしい面々に会えて嬉しかったなぁ!」
「吉田さんは色んな人と喋ってたよね」
「そうだね。何か話さないともったいない気がしてさ!」
「うんうん。まぁ時間も限られてたしね」
「そうそう! 楽しまないとって思ってさ。あ、来た来た!」
僕らの前に、見るからにキンキンに冷えているビールのジョッキが二つゴトンと置かれ、いつの間に彼女が頼んだのか分からない赤身の肉も一緒に置かれた。
「もう肉、頼んだんだ。これ、生肉?」
「違うよ! これはお通し。ユッケだね」
「そういうことね。ユッケとか久々だ」
「めっちゃ美味いからいっぱい食べてね」
僕は必死に頭を回転させながら彼女とジョッキを豪快にガチンと合わせ、ユッケを口に運んだ。確かにめちゃくちゃ美味かった。ひと口噛んだだけでプルッと弾力のある肉の食感と、甘辛い味噌のような調味料が口の中で広がっていく。体の疲れがそれを食べることによって忘れさせてくれる感覚になり、ずっとこのまま食べ続けていたくなった。
「森内くん、分かりやすいね」
「え?」
「絶対今、うま! って思ったでしょ」
「うん。めっちゃ思った」
「何か表情はあんまり変わってなかったけど、雰囲気がそんな気がした」
「すごい観察力だね」
「人を見ることが多いからね」
「吉田さんは何の仕事してるの?」
「心理カウンセラーだよ」
「……心理カウンセラーって、人の悩みを聞いたりする人?」
「まぁすごく簡単に言ったらそんな感じ! 一人ひとりが抱える悩みや問題を聞いて解決策を考えたり、心が安らぐ方法を考えたりしてるんだ」
「へぇ。すごいね」
「森内くんは?」
「おれは喫茶店で働いてる」
「えー! お洒落だね」
「そう聞こえるだけだよ。個人でやってる所に手伝わせてもらってるんだ」
「いや、ますます隠れ家感あってお洒落じゃん」
「そうかな? けどハードルは下げててね」
「あはは、大きい体なのに謙虚だね」
始まる前は心臓がどうにかなってしまいそうだったけれど、彼女の顔を見ながら言葉を交わしていると、そんな緊張はどこへやら僕は彼女と会話を楽しむ余裕と、肉とビールを味わう余裕さえ出てきた。もしかしたら今日は今年で一番良い日になるかもしれないと思った。
「そういやさ、大会の結果聞いてなかったよね。どうだったの?」
「結論から言うと準優勝だったね」
「へぇー! すごいじゃん! おめでと!」
「ありがとう。でも全国に行けるのは一チームだけだから結局行けなかったんだけどね」
「それでも準優勝はすごいよ! 何チームぐらい出場してたの?」
「えっと、二十チームぐらいかな?」
「マジで!? 相当すごいじゃん!」
「んー、まぁ全員で頑張れたし、結果も出て良かったなとは思ってるよ」
吉田さんの輝く瞳が一層光っているように見えた。それが眩しすぎて流石にじっと目を合わせることはできなかった。
「森内くんってセッターだったよね?」
「うん。てか吉田さんもバレーのルール分かるの?」
「私ね、結構バレー好きなんだよね。伊達に隣でずっとバスケしてたわけじゃないし」
彼女の言葉を理解する度に、彼女から当時のことを言われる度に僕の心臓は大きく跳ねる。
「へぇ、そうなんだ。何でか分かんないけどちょっと嬉しいかも」
「セッターってすごい大変でしょ? 常に頭回転してそう」
「そうだね。一番ボールに触る回数も多いしね。吉田さんもポイントガードだったよね? 競技は違うけど似たようなところがあるかもね」
「森内くんもバスケ知ってるの?」
「知ってるよ。伊達に隣でずっとバレーしてたわけじゃないからね」
今日一番のドヤ顔を彼女に見せた。彼女はそれを見て今日一番の笑顔を僕に見せた。
「それ、言いたいだけでしょ」
「バレたか。でも本当にバスケも好きだよ。吉田さんも今もバスケやってるんだよね?」
「うん。森内くんみたいに真剣にはやってないけどね。お遊びって感じだよ」
「でも、今もやってるのはすごいよ」
「いやいや、私よりすごい人が目の前にいますけど?」
「おれはルーティンみたいなもんだから」
「よく分かんないけど褒め合いは終わりが見えないからやめとかない?」
「そうしよっか」
再び彼女はあははと笑って、喉を鳴らしながら美味そうにビールを飲んだ。ガヤガヤと聞こえる他の客の笑い声が僕たちの会話を途切れさせないように合いの手を入れているみたいに聞こえた。
「プロは目指さないの?」
「え?」
「バレーボーラー。あるんでしょ? プロ」
僕は彼女と目が合うと、逃げるように視線を逸らして負けじとビールを体に流し込んだ。
「あるにはあるけど、狭き門だからね」
「挑戦しないの?」
「んー、今のチームが好きだしね」
「ふーん」
彼女のテンションが明らかに変わった。今さっきまで合いの手のように聞こえていたざわつきもタイミング悪く静かになって本当の沈黙が訪れた。何か言わなければせっかくの空気感が悪くなってしまう。焦れば焦るほど話題が出てこない。
「それこそさ」
「うん?」
僕の声に彼女は耳と目を同時に傾けた。
「それこそ全国大会に行けたら自信がついてたのかもしれないね」
思ってもいないタラレバを彼女に放つも、彼女は沈黙を続けた。本気で僕は焦りだした。
「私、今の森内くんがバレーしてるとこ見てみたいなぁ」
時間が止まっていたようにも感じた沈黙から一変して彼女が不意にそんなことを言い出した。そんなことを言い出したものだから、僕の心臓がまた大きく動いた。
「あ、あぁ。じゃあ練習見に来る?」
「いいの?」
「うん」
「邪魔にならない?」
「むしろみんなやる気出るんじゃない?」
「え? 何で?」
「か、女の子が見に来たらさ」
可愛い女の子が、と言いそうになった言葉を寸前で止めた。彼女を困らせたくなかったしそもそも恥ずかしくて言えない気がする。
「そういうもんなの?」
「うん。みんな単純だからね」
「まぁ確かに可愛い女の子が見に来たらモチベーションは上がるか」
……自分で言ってしまう辺り、彼女は色んな意味で想像を超えた。
「そうそう。そういうもんだよ」
「いや、突っ込んでよ。私、ただのナルシストみたいじゃん」
「あ、あぁごめんごめん」
彼女がまたふふっと笑った。何だかもう終始主導権を握られっぱなしだ。でも、彼女と会話しているだけでやっぱり心が暖かくなる。それに、素直にとっても楽しく思った。
「森内くん、面白いね」
「そうかな? 滅多に言われないけどな」
「また飲みに行かない?」
「え、うん。おれで良ければ」
「決まり。じゃあ来週ね」
「え? オ、オッケー。確認しとくよ」
「あぁ、練習日も教えてね」
「うん。また連絡するよ」
「よろしく! じゃあ今日はそろそろお開きにしますか」
「そうだね。結構居座っちゃったしね」
「森内くん、明日仕事大丈夫?」
「うん、昼からだから全然大丈夫だよ。吉田さんこそ大丈夫?」
「うん。明日はゆっくり起きれるからね。私も仕事、昼からなんだ」
「めっちゃいいじゃん」
「ゆるっと生きてるからね」
「はは。羨ましいや」
それから僕らは会計を済ませて店を出た。そしてお互いそれぞれの車に乗り込み僕は彼女の車を見送った。満足感がありすぎて僕はしばらく車の中で余韻に浸った。普段はこんなに笑顔になる回数が多くない僕の表情筋が既に悲鳴をあげていた。今日でまた僕は彼女のことを知りたくなった。車内に流れるスローテンポのバラードが、まるで今日の僕を労ってくれているような気がした。
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