平民と平民のお話
レジェ王が治めるアンファング国、小国でありながらも穏やかな時間が流れていることで有名だったその国にもフィーネ国を拠点とした『金獅子』であるユーベル王子の魔の手がかかっていた。皆に慕われていたレジェ王は周りの者の手を借り、多くの犠牲が払ってようやくアンファング国を脱出した。『金獅子』の手から逃れるこができたのは周辺国を含めレジェ王ただ一人。
生き延びたレジェ王は生き残った民たちと共にもう一度国を立て直そうとした。苦汁を舐めながら、あらゆる逆境に耐え抜いた王は再び栄光を取り戻す。次第に民は増え国は栄え、一つの大国へと成り上がる。彼のその手腕に人々は感服しその名はやがて大陸を轟かせた。レジェ王の望みはただ一つ、もう一度アンファング国を蘇らせることであったが結果は彼の想像以上のものとなっていた。
今もこの国があるのはレジェ王の恩恵の賜物であり、こうして学園が成り立っているのは彼の手腕があってこそ。今この大陸はレジェ王なしで語れることはない。
そしてレジェ王が生き延びることができた要因は多くあるが、その中でもレジェ王の娘アグリット・ベリス・レジェを語らずにはいられない。女性の身でありながらも大軍が押し寄せてくる中その命を賭して己の父を守りぬいたのだ。最愛の娘を忘れぬようにと建てられた銅像は今や『戦乙女』として必勝祈願のシンボルとなっている。
一方、周辺国を蹂躙していた『金獅子』ことロータス・ザガン・ユーベル。彼は落とした国を自分の物としていたものの、結果ロータス・ザガン・ユーベルが亡き後拠点としていたフィーネ国を含めすべて滅んでしまっている。統括者がいなくなったこともあったが何よりも無法地帯であったため、あらゆる犯罪が横行され国の内部から腐れていった。真っ当だった人間はいち早くレジェ王の元へ逃げ延びていたため、ある意味成るべくして成ったと言っても過言ではない。
「さて、では自分がレジェ王であった場合、果たしてどういう行動を起こしたか。はたまたユーベル王子に対しどのような処遇にするか、隣の人と話し合ってみましょう」
この学園では席は自由に選べる。友人と隣同士で座る者もいれば、空いている席に適当に座っている者も。私はその後者だった。空いている席に座ったものだからあとから隣に座っていた生徒が誰なのかもわからないし、特にまじまじ見ようともしなかった。歴史の説明をした教師の声でようやく隣を見たのだ。
「……!」
何がとか、どう、口にするべきか。何も言葉にできない。
やや切れ目だけれど鼻筋はスッと通っていて、恐らく社交界であれば貴婦人たちが黄色い声を上げて喜ぶほどの見目潤しさだ。周りにいる女性生徒の視線もチラチラと隣の男子生徒に向かっている。確かに黙っていればモテそうだ。
けれど、どうしても駄目だ。腹の底からじわじわと迫り上がってくるものに感情すらも流されそうになる。黒髪に、そして映えるような真っ赤な瞳。
細胞レベルで、いいや、もう魂に刻み込まれている――この男を倒すべきだと。
「……なんだ、誰かと思ったらまさかお前だったとはなぁ……?」
どうやらそれは男も同じだったようで。私と目が合った瞬間瞠目したと思ったらすぐに忌々しそうに眉間に皺を寄せ、口角を上げた。その笑顔を見た途端チリチリと自分の中の何かが燃え上がる。
「金髪ではなくそんなドブみてぇな茶色だとすぐには気付かねぇな」
「……あらあら、あなたこそ金髪ではなく夜に同化しそうな黒髪だなんて私もまったく、気付かなかったわ」
「あぁ? 俺に腹を刺された女が何言ってる」
「負け惜しみ? 結果勝ったのはこっちのほうよ」
「なんだと……?」
「事実でしょ。それにあなたの国も滅んでいるじゃない、私が『昔』言っていたとおり」
「なんだやるか? 剣を持ってきたっていいんだぞ。その細っこい腕が剣なんて握れるもんじゃなさそうだけどな!」
「アルト・ヴァリエンテ、レリィ・プラヴァス、私語は慎みなさい!」
そのままデッドヒートしそうな言い争いの中教師の声がピシャリと響き渡る。教室内にいる全生徒の視線が一斉にこっちに向いて、頭を下げて渋々前を向いた。隣では小さく舌打ちをする音が聞こえる。舌打ちをしたいのはこちらのほうだ。
私、レリィ・プラヴァスは不思議なことに前世の記憶を持っていた。物心つく頃にはすでに思い出していて当時今いつなのかあのあとどうなったのかわからず大変両親を困らせた。突然二百年も前のことを言い出した娘に対し両親はどう思ったのだろうか、けれど私を不気味がることもなく逆に歴史に興味があるのだとそれから色々と本を渡してくれた。そのおかげで私はあのあとお父様がどうなったのか、そしてアンファング国の行く末を知ることができ、お父様の恩恵で今この国は平和なものになっていたのだと知った。
当時は王の娘であったけれど、今世では王族でもなければ貴族でもない至って平民の子だ。今通っているこの学園が近くにあったためここに入学したものの、まさかこの男まで色んな意味でここにいるだなんて。
結局授業はまったく集中できず、自然と沸き起こる苛々を抑えつけるのに精一杯だった。だってずっと魂が言っている――隣にいるこの男に剣を突き立てろと。前世の死の直前までずっと強くそう思っていたせいなのかもしれない。けれどまさかそれが今世まで続くなんて誰が思っただろうか。前世を覚えている分尚更その感情が色濃く出て質が悪い。
チャイムが鳴り立ち上がると急いで教室をあとにする。ずっとあの男の隣にいるとはストレスが凄まじすぎる。折角平民の子として生まれたのだから今世は心穏やかに過ごしたいのだ。賑やかな周囲を気にすることなくズンズンと大股で廊下を歩いた。
のだけれど。なのだけれど! あの男はきっと前世からどこか頭のネジが一本どころか数本抜け落ちてしまっているに違いない。
「おい、無視すんな」
「何か用?!」
さっきからずっと後ろから聞こえる声に気付いていた、だから無視をし続けていたのだ。それに気付け。
「俺と決闘しろ」
「はぁ?」
争いもない今世では『決闘』という文字すらあまり聞かなくなっていた。聞いて『喧嘩』程度。そのくらいとても平和な国なのだ。二百年前の争いを省みた王族たちは平和条約を築き今もそれは続いている。容赦なく蹂躙された暴力は『悪魔の所業』として語り継がれているからだ。それこそ教科書に載るぐらいに。
その『悪魔の所業』をしてみせた男が平然とそんなことを言えば、顔を顰めて嫌そうな声を出しても仕方がない。
「誰がそんなことしたがるのよ。嫌よ」
「ふざけんなお前のせいで俺はただの本にあんなみっともない姿で書かれているんだぞ。責任を取れ」
「それはあなた自身のせいでしょ。歴史は歪められることなく正しく伝えられているわ」
「お前の腹の底は言ってねぇのか?」
何を、と訝しげながら足を止め視線を向ける。ああ嫌だ、学園の廊下だというのにこの男が目の前にいるせいで――あのときの光景がフラッシュバックする。鎧姿の『金獅子』が、私の目の前にいる。
「『目の前にいる人間を殺せ』ってな」
男が私に向かって突進してくる。剣なんてもの持っているわけではないのに、構うことなく私に殴りかかろうとしてくる。撲殺してくる気か。さっき自身で私のこと「細っこい腕が剣なんて握れるものでもない」と言っていたくせに、そんなか弱い女の子に暴力を振るおうとするなんて。
「……相変わらずね、そのクズっぷりが!」
持っていた教科書とペンケースを投げ捨て男の拳を掌底で受け流す。攻撃を躱されたとわかった瞬間すぐに蹴りを繰り出してくる。後ろに飛び退き胸ポケットに入れていたペンを素早く取り出して相手の手のひら目掛けて振り下ろした。もう少しで突き刺すことができたのに手首に拳を喰らい弾かれてしまう。
「……ははっ! 剣があればなぁ! もっと楽しめただろうに!」
「戦闘狂に付き合うほど暇じゃないのよ!」
「相変わらず姑息な手を使いやがって!」
ペンを奪われそうになったけれど身を翻して今度は私が顎下目掛けて蹴り上げる。それも躱されたけど相手の頬を掠った。ちょっとスカート姿でみっともないことをしてしまったかしら、とは思ったけれどスパッツを履いているからセーフだろう。体勢を整える前に男の拳が眼前に迫っていて、身体を後ろに仰け反らせた。そのとき少しできた隙をこの男が見逃すわけがない。
左から回し蹴りが来る――そう思い身構えたけれどその衝撃はこなかった。代わりにふわりと風が頬を撫でる。
「アグリット様に手を出すなこの下衆な男がッ……!」
「ぁあ?」
誰もが遠巻きに私たちを見ていたのに、そんな中一人の生徒が私たちの間に割って入った。しかも、私の前世の名前を口にして。後ろ姿しか見えないけれど私はそれだけでその生徒が誰なのか、わかってしまった。
「……シトリー?」
「アグリット様! ああ、よかった、お会いしたかったです!」
「やっぱりシトリーなのね?! あなたもまさかここにいるなんて!」
それは前世で最期の最期まで私に仕えてくれた、心強い右腕であり従者であったシトリーだった。まさかシトリーもこの学園にいるとは思っておらず、しかも記憶持ちだなんて。感動の再会とはまさにこのことだとお互い両手を握りしめ合った。
「ああシトリー……! まさかあなた、男性になっているなんてね」
私もあの男も見た目も髪の色も変わっているのだからシトリーだってそうなのだけれど、でもまさか女性ではなくて男性として生まれ変わっているとは。私と同じぐらいだった身長は今や視線を上に上げないと目が合わない。しかもネクタイの色からして私たちよりも一つ学年が上だ。つまり先輩。
「私もまさか男に生まれるとは……ですが今なら、アグリット様を必ずお守りできます」
「……羨ましいわ、シトリー。私だって男に生まれてみたかったわよ」
「それは……申し訳ございません」
「あなたが謝るようなことでもないんだけど」
生まれた瞬間性別が自分で決めれるわけではないから仕方がないと言えば仕方がない。シトリーが悪いことなんて何一つないのだ。ただちょっと……少し、羨ましいと思ったぐらいで。
「ああそうだ、私は今レリィ・プラヴァスっていう名前なの。レリィって呼んで?」
「レリィ様。私は今エリエス・ヴァン・スクエアと申します」
そっとシトリー、改めエリエスから距離を放す。なぜ私がそんな行動を取ったのかわかっていないエリエルは少し悲しげな顔をしたけれど、腹立つことにこのときばかりは私と男はまったく同じ顔をしていた。
「エリエス、私にそんな行動しては駄目よ」
「な、なぜですかレリィ様」
「お前貴族じゃねぇか」
「そうよ、今のあなたは貴族で私は平民よ?」
貴族が平民に跪くなんてあってはならない。一体どこの貴族が平民に向かって「様」なんて付けるだろうか。見た目も名前も性別すらも変わってしまったけれど、でもまさか地位すらも変わっていたとは。もしここで私と男が騒ぎを起こしたとしてもエリエスが一言物申せば私達は言い返すことが難しい。
「そ、そんなレリィ様……!」
「様なんて付けては駄目、レリィでいいのよ」
「よし女、決闘の続きだ。次は剣を持ってくるぞ」
「持ってこないわよ何言ってんの。そもそも学園でやり合ったら騒ぎになるでしょ!」
「ならそのへんの広場でいいだろ」
「レリィ様を傷付けようなどと決して許してなるものかッ……!」
「だからレリィって呼んで」
ああ、折角平民に生まれて心穏やかに今世を過ごせると思っていたのに。たった二人に出会っただけでこうも騒がしくなってしまうものなのか。私の目の前では男とエリエスがいがみ合っていて、今この状況を目撃した生徒が「女の取り合いか?」だなんて冷やかしてくる。
取りあえず、今私が思うこと。次の休みの日広場に行ってもいいかもしれない。『金獅子』に目を向けて、そしてにっこりと笑顔を浮かべる。
「取りあえず『金獅子』、今度の休日やり合いましょうか」
悲鳴じみた声を上げたエリエスに、勝ち気な顔で口角を上げた男。悲しいかな、いくら御託を並べようとも。
やっぱり私の魂はこの男を殴りたくて仕方がない。
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