第5話
腹が減った。
休日の夕方5時。事件から一週間が経ち、ようやくまともな空腹感が得られるようになってきた。これまで身体が空腹なのに食欲がわかない日々が続いていたのだ。
だがいまのこの私はすっかり健康である。肉体的にも、精神的にも。
うむ、腹が減った。
さて、おまえたちならどうする? コンビニに行くかね?
ふむ、こういうときにこの私がどうするかというと、どうすると思うね?
教えてやろう。
コンビニに行くのだ。
そこは
コンビニなんてものは、
しかしあいにく、この私の家からは
車を降り、コンビニ《L》の自動ドアとチャイムをくぐった。青い
この店舗の品ぞろえはそこそこ豊富なのだが、いかんせん商品の入れ替え頻度が少ない。空腹なのに食欲が刺激されないという
たまには赤いほうのコンビニ《S》に行くべきだったか。
舌打ちを我慢してお馴染みの弁当を手に取り、微糖コーヒー缶と併せてレジへ運ぶ。
「弁当は温めますか?」
「かまうな」
凡夫め!
指定時間を無視して安易にレンジの弁当ボタンを押す凡夫などに、この私の弁当を温められてたまるものか。いつになったらこの私が決して他人に弁当を温めさせないと覚えるのか。
この私は
凡夫どもよ、この私の堪忍袋が大きく、そしてその
当然口にはしないが、そんなことを考えながら駐車場を横切って車へと向かう。
その途中のことである。
この私の意表を突く出来事が起こった。なんと、何者かがこの私に向かって親しげに話しかけてきたのである。
「日暮先輩じゃないですかぁ? お久しぶりですー」
誰だ、こいつは! こんな奴は知らぬ!
そこに立っていたのは、二十代前半と思しき若造であった。
横に流した少し長めの黒髪、女のように白い肌。目線はこの私より低く、細身であるが、しかし筋肉の付きはまあまあといったところだ。総じてインテリ系の印象を受ける。キザ野郎の臭いがする。
凛とした大きめの瞳と上弦に開いた口で笑顔を作り、走ってきてこの私のプライベートゾーンへと無断で侵入している。
この私は自分の車を前に、
さて、おまえたち。この私はいま、記憶にない旧知との
覚えている
あるいはテキトーに話を合わせてやり過ごすかね?
はたまた素直にどこの誰でいつの知り合いだったか
うむ。はっきり言うが、それらどの選択肢を選んだとしても、それは凡夫の判断だ。
この私は違う。こんな奴はこの私の知人などではない。赤の他人、まったくの他人だ。
最初に言ったろう。こんな奴は知らぬと。こやつは知人を装った詐欺師の
だからこの私は面と向かってはっきり言う。
「貴様、何者だ? 何を
はっきりと言ってやったぞ。さあ、どう出る? 程度の知れたカタリならば「人違いでした」と残して退散するだろう。しかしこやつはきっと粘る。見ていろ、きっと粘るぞ。なぜならこやつは、この私を「日暮先輩」と呼んだのだからな。
「なに言ってんすか。僕ですよ。船橋です。覚えていないんですか?」
ほうら、粘った。この私の名前を周到に下調べしているのだから、簡単に引き下がるはずがないのだ。
「覚えていないのではない。知らぬ。貴様は誰だ? 貴様がこの私の知人だと言い張るのなら、その接点について、時期と場所と関係を詳細に述べてみろ」
「うわぁ、ひどいなぁ。本当に覚えてなかったかぁ……。小学校の運動会で、紅白対抗リレーで一緒に走ったじゃないですか」
うむ、たしかにこの私は小学生のころに紅白対抗リレーなるものに出場した。紅白対抗リレーは
しかし、こやつの認識は甘い。この私を出し抜こうなど、蜂蜜に
こやつがこの私と、そのリレーのメンバーだったというだけのつながりだったならば、それはこの私が覚えていないのも当然のこと。そう、当然なのだ。だからこやつが覚えていることがおかしい。
すなわち、こやつはカタリである。
リレーの学年の枠を超えた全体練習は一度か二度しかなかったし、練習でも本番でもメンバーと語らうことなど皆無であった。印象に残る出来事もなかった。
ゆえにリレーのメンバーは一人として覚えておらぬ。
にもかかわらず、メンバーの記憶があるというのはおかしい。しかも十年以上経っていて容姿も大きく変化しているのだ。
「この私は凡夫に友人などおらぬ。ゆえに、凡夫であろうと知人はすべて記憶している。貴様は断じてこの私の知人ではない。貴様にこの私をたぶらかす機など存在せぬと早々に知れ。 貴様は何者だ? 正体を現せ!」
さすがにここまで
「そうですか、はぁ、そうですか。なるほど、手強い人だ。私は船橋理と申します。探偵業を
そうら、化けの皮を
ふん、間抜けめ。とんだ間抜けではないか。ミイラ取りがミイラになっておるわ。かっかっか。
……しかし、待てよ。探偵がこの私に何用だ?
探偵?
まさか……。
「何か探し物かね?」
「ええ、やっと辿りつきました。あなたを探していたのです」
「ほう、この私に何の用だね?」
「
「何だね?」
「私はあなたを
む……。この男、大変な無礼を
「暴く、だと?」
「ええ、そういうことです。それでは、また」
男は軽い会釈を残し、黒いフルフェイスヘルメットを頭部に被せると、黒い中型二輪に
エンジン音とガスの臭いを残し、代わりにこの私の食欲を奪って
いままで胸に抱えていた軽いモヤモヤが一気に質量を増し、
不本意ながら、しばらくこの私に
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