こちら地域守備局メンタルケア課~配属されたばかりですが、結構可愛いスーツの眼鏡君が大剣担いで戦ってました~
kayako
第1話 スーツと大剣と眼鏡君
白い月へ舞い上がる、紫紺の血飛沫。
腰を抜かして、冷たいコンクリの道路に座り込んでしまった私。畜生、お気に入りの白のフレアスカート、あいつの血で紫になっちゃったじゃない。
そんな私の3倍もの体長を誇り、今の今まで視界をいっぱいに覆い尽くしていた異形が、どうと音を立てて倒れていく。
人の形こそしているものの、頭部からは二本の角が生え、腕も脚も胸筋も、ほぼ全ての筋肉という筋肉が異様に膨れ上がり、全身の皮膚が真っ黒に染まった怪物――
元々は肩だったらしき膨張した肉のあたりで、白いぼろ布のようなものが弾け飛んだ。
あれは、ワイシャツ……だろうか?
いかにも妖怪だの鬼だの言われそうなこいつの姿だが、政府が定義した名称は『魔獣』。
紅に染まり、爛々と輝く眼球。
二つの眼球の間、額にあたる部分には、都会の夜空とは対照的な、恐ろしく澄み切った大きな青水晶が出現していた。
数瞬前まで私を喰らおうとしていたこの怪物は、今――
一人の男によって、一撃の下に斬り伏せられていた。
その灰色のスーツ姿だけ見れば、ただの若いサラリーマンにしか見えない。
だが彼は、閃光の如く私と魔獣の間に割って入り、背中に負った大剣で、一瞬で魔獣を切り裂いた。
もう一度言う。背中に負った大剣で。
鞘に収納されていた時点では、彼の身長程度の長さしかなかったように見えた大剣。
抜き放たれた刹那、その刃は一気に身の丈の3倍以上もの巨大な武器に変化した。
聖剣アロンダイトとでも言うべき形状の剣が、きらりと月光を反射したかと思うと――
次の瞬間には、もう魔獣は血を噴いて倒れていたのである。
恐るべき魔獣を一閃のもとに叩きのめしたその男に、私は見覚えがあった。
「あ……あの……
魔獣に襲われたという現実自体、私は未だ把握出来ていない。
喉から絞り出された声は、自分でもびっくりするほどか細かった。
当然だ、私はしがないただの派遣OLなんだから。
目の前の男はゆっくり振り返り、静かに微笑む――
「間に合って良かった。
大丈夫ですか、
少し紅を帯びた黒髪に、白い肌。
大きな瞳は、綺麗に透き通ったエメラルドグリーン。
だがそのエメラルドは、街灯を反射したノンフレームの眼鏡、そしてちょっと長めの前髪のせいで、半分以上が隠れてしまっている。
そこそこ整った顔つきだが、どちらかといえば可愛らしい部類に属する。イケメンだけど童顔といったところか。
だがその容姿で最も印象的なのは、眼鏡よりも何よりも、額の殆どを覆い隠した包帯だろう。
無造作に頭に巻かれたその包帯は、この状況の異様さを端的に表現していた。手にした大剣と同様に。
夥しい血液と共に飛び散った、無数の硝子片。
それは虹色に輝き、月光を受けて雪のように煌めく。
そんな中で静かに微笑む彼の表情は――どこか、とても哀しげにも思えた。
――それが私の、地域守備局メンタルケア課・勤務初日の夜の出来事であり。
そして、八重瀬
*****
私は
昨日から新しい職場、地域守備局メンタルケア課の事務員として勤務している。
地域守備局というのは市役所の組織の一部らしいけど、それまであまり聞いたことがなかった。
勤務直前に派遣元の担当に尋ねたところ、どうやら『魔獣』撃退に関わる組織らしい。
企業のブラック化が進行した結果、この国の労働者は次々に心を病んでいった。
その結果、極限まで疲れてしまった心は、人を『魔獣』へと変化させてしまうに至った。
メンタルを病んだ人間が何故、突然怪物に変化し始めたのか――
原因は誰にも分からなかった。政府も企業も、人々の魔獣化をどうすることも出来なかった。
額に水晶を埋め込んだ異形・『魔獣』によって、次第に混乱していく社会。
そこで急遽国が創設したのが、地域守備局という名の超法規的機関。
その一部たるメンタルケア課は、周辺地域の人々が魔獣化するのを未然に防ぐと同時に、魔獣を退治する能力を持つ者たちの集まりでもある――らしい。
――そんな部署に派遣された私が、人生で初めて魔獣に襲われた。
それは単なる偶然だったのか、それとも――
*****
「おはようございます!
昨夜は本当に無事でよかった、豊名さん!」
翌朝出勤すると、まず最初に出迎えてくれたのは八重瀬さんだった。
ちょっと恥ずかしいな。昨夜の出来事が出来事だったもんだから、そこそこ自慢の栗色のボブカットが寝起きのままだ。
比較的こぢんまりとしたオフィスは、窓際に課長の席、それに連なるようにメンバーのデスク、通路とオフィスを隔てるような形でカウンターがある。古びた蛍光灯の光、ブラインドから僅かに外が覗ける窓、何の書類だかよく分からないファイルがびっしり詰まった本棚、達筆すぎて初見では何を書いているのかさっぱり分からない『日々晴天』の書道額。ちょっと昔の刑事ドラマを思い出す。
私を助けてくれた彼は、カウンターごしに私に挨拶しながら微笑んでいる。あの出来事が何でもないことだったように。
ノンフレームの眼鏡の奥、大きなエメラルドの瞳は、昨日の朝初めて挨拶を交わした時と変わらず、柔らかな光を湛えていた。
だが、その頭の包帯はしっかり巻かれたままだ。
挨拶もそこそこに、訝しげに自分を見つめてくる私に気づいたのか。
八重瀬さんはふと笑みを消し、静かに呟いた。
「やっぱり、初めてだと混乱しますよね。
でも、昨夜みたいな戦闘、ここでは日常茶飯事なんです。
まさか勤務初日から、豊名さんが襲われるなんて思いませんでしたけど……」
本当に申し訳なさそうに肩を落とす八重瀬さんに、私は思いきり文句を言ってしまった。
「そ、そうですよ。ホント、びっくりです!
私、データ入力と電話対応の事務員として派遣されたのに。
現場に出ることはないし危ない目に遭うことはないからって、担当からも説明ありましたけど?」
「ですよねぇ……
今まで、事務員さんまでが襲われたことなんて、滅多にないですから」
ため息をつく八重瀬さんの背後から、もう一人の職員がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「なぁ八重瀬。
もうちょっとちゃんと説明した方が良いんじゃねぇの? 魔獣と、俺らの役割分担についてさ」
そう言ってのけたのは、ちょうど八重瀬さんの後ろのデスクに座っていた男性職員。
名前は
童顔の八重瀬さんもかなり若く見えるが、この彼はもっと若い。ぱっと見高校生にしか見えない。
澄み切った青い瞳の持ち主で、顔こそアイドルみたいに可愛いが、綺麗な蜂蜜色に染まった頭はボサボサ、額にかかる前髪には紅のメッシュが入っている。
ワイシャツはかなり着崩され鎖骨まで見えており、ネクタイも緩みっぱなし。どこぞで殴り合いの喧嘩でもしたのか、右頬には不格好にガーゼが貼りつけられている。
小柄で細身ながら筋肉はしっかりついており、ちゃんとスーツを着ればカッコイイだろうに……
これが若い男子のファッションだというなら、流行の方が間違っていると言いたくなる。
そんな職員が、両脚をデスクに乗せてふんぞり返っている姿は、今までの私の社会人経験からすると異様と言うしかない。ここ一応お役所でしょ?
しかも彼が今、丹念に磨いているのは――何アレ、ロケットランチャー?
現代日本のオフィスで、堂々とロケランを磨いている光景って、ナニ?
そんな巴君に、八重瀬さんは申し訳なさそうに笑った。
多分八重瀬さんの方が年上だろうに、何故か巴君は彼を呼び捨て。
明らかに舐められてるよ、八重瀬さん。
「そうですね、巴君。
昨日は勤務初日だったし、まずはお仕事に慣れてもらってからと思っていたんですが……」
と、その時。
不意にドアが開いて、ロマンスグレーの年配の男性が入ってきた。
「メンタルケア課に配属されたからには、たとえ派遣社員といえどもその一員。
我々がどう魔獣に対応しているか、その基本程度は抑えてほしいものですね」
メンタルケア課課長、
いつもニコニコ穏やかな雰囲気を醸し出している、糸目のおじさん。
前時代的なチョビ髭で、微妙に口元が隠れている。
だがその背後では、長身の男性職員――
がっしりした黒いスーツ姿に、金色に染まった短髪。他の童顔職員二人と比べ、この人は正統派の美形と言ってもいいほどの顔立ちだったが、全身から滲み出るいかつさと凄味がイケメンぶりを覆い隠してしまっていた。
何と言っても――背中に担いだ巨大斧。アレが全てを台無しにしてる。
ともあれ、巴君のみならず課長にも忠告され。
私は八重瀬さんから改めて、レクチャーを受けることになった。
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