とある異端審問官の調査報告書
落光ふたつ
魔女の拐し
——とある村にて女児が失踪。周辺には魔女の目撃情報あり。二つを関連付け異端による事件と断定。迅速な調査を要請する。
——承認。二名の審問官を派遣する。
鬱蒼と茂る草木を掻き分けた先、小川に削られた天然の石垣の上に佇む一軒の小屋。
周囲に背の高い木々はなく、昼間なら充分に暮らせるだろうが、陽が沈んだ現在は闇に呑み込まれている。
光源は、小屋を囲むように灯る松明のみ。それは生活の証拠だ。
「こんなところに隠れ家を作っていたんですね……」
「小さくはあるが、それなりの造りだ。周辺の整備具合から、恐らく目撃情報よりも前から住み着いているな」
踏み入るのは二人の男女。金髪の男と赤髪の女。どちらとも二十にようやく届いたと見える年齢。言動から男の方が目上の様だ。
真っ黒な法服のようでありながら、袖口は絞られ履くのはブーツ。腰には長剣が備えられている。儀礼的であり機能的。それが彼らの制服だった。
二人はランプを手に、小屋の前に立つ。
「……開かないな」
男が小屋の扉を押し引きするも、開きそうにはない。
施錠方法は、木材を通すだけの簡易的な閂だ。外側は外れている。ならば、内側にも同じような仕組みがあるのだろう。
塞ぎ切れていない扉の隙間。そこからは薄っすらと明かりが漏れていた。
「中にいるのは間違いありませんね。他に入れる場所がないか探しますか?」
「いや、これくらいなら手間じゃない」
男はそう言うと、一歩下がって右足を持ち上げた。
——バキッ!
鋭い蹴りは正確に、施錠部位をへし折る。扉は勢いのままに小屋の内部へと倒れていった。
「ら、乱暴ですね……」
「相手の方がもっと野蛮だ」
苦笑する女には構わず、男はズカズカと小屋の中へと押し入る。続く女は怯えながら、倒れている扉の上に足を乗せた。
漏れていた明かりは、出入り口の左右に括られた松明によるものだった。奥の壁にも同様に二つ取り付けられている、それだけで、最低限の視界は確保出来ていた。
「いませんね……」
何者かの反応はない。隠れているか。逃げられたか。
松明の長さから、火が点けられてそれなりに時間が経っている事を確認し、男は小屋の中を見渡した。赤髪の女は途端に鼻をつまむ。
「す、すごく臭いますっ」
「集会の場はもっと酷いぞ」
男も異臭は感じているようだが、行動に支障はない。
小屋の内部は外見よりも狭く見えた。それは、あらゆるところに散乱する≪素材≫のせいだ。
毒々しい草花や、得体のしれない虫に、無惨な獣の一部。
ぱっと見では何かも分からない。だが間違いなく日常には必要のないだろうそれらが、整頓もされずに散らかっている。蹴り倒された扉の下にもいくつか下敷きになっている物があるだろう。
その他には簡易的な寝台と傾く机に今にも崩れそうな暖炉。素人仕事が目に見えるが、充分に生活は出来る環境だ。
そして、女が顔をしかめた原因。臭いの出所は、中央に鎮座する壺からだった。
それは、人間が丸ごと入りそうなほどに大きい。既に中では、あらゆるものが混ぜ合わせられ、そのせいで異常な臭気を放っている。
「……出鱈目ではあるが、一応の規則性がある。一番厄介な人格だ」
「これが、魔女の仕業ですか……?」
「いや、そもそもこの世界に魔女はもういない」
恐る恐る女も壺の中身を覗いていたが、男が零した言葉に頭を捻る。しかしその疑問を解消する前に男が見つけた。
「……人体も入っているな」
「えぇっ!? ヒッ!」
「騒ぐな」
近くに放られていた木の枝で壺の中身をかき混ぜると、確かに腕らしきものが浮かび上がってくる。男は冷静だったが、女の方はかなり狼狽していた。
「今回って、危険な任務なのでは……?」
「そういえば初任務だったか」
「は、はい。運が悪いんですかね」
「いつであっても、生きている時点で充分に強運だ」
男は言い捨てて、壺から視線を外し小屋の中を物色していく。
松明で最低限の視界が確保出来ているとはいえ、闇は多く死角もある。
足を前に出しランプを掲げた事で、ようやく気づけた。
「……いるな」
「え? ま、魔女ですか!?」
「だから騒ぐな。寝ている」
寝台と壁の隙間。僅かに出来た空間。
足音を消す男に女は肩を震わせながらついていき、頼もしい背中から視線を投げた。
「……すぅ。すぅ」
そこにいたのは、幼女だった。
まだ10にも届かないだろう女児が寝息を立てている。
「お、女の子? もしかして、この子が魔女ですか?」
「それはない。よく見ろ」
男に言われ、女は歩み寄る。顔だけしか見えていなかったが、近づいてその全身をくまなく視界に入れ、息を飲んだ。
「こ、これって……」
「刺青だな」
女児の姿は悲惨なものだった。
衣服は引き裂かれ、局所を隠すという意味合いしか保っていない。
そうしてむき出しにされた肌には、首から足の指の裏にまで、おびただしい数の文字が刻み込まれていた。
それはまるで、少女の存在そのものを否定するように。
「失踪した女の子、ですか……?」
「そうだろうな。彫り方を見れば本職ではない。それに、先ほどの壺の中身にも感じた、下手ながらのこだわりがある。同一の者の仕業だろう」
「これって、どういう意味なんですかね。魔術的なものとか……?」
その推測を、男はすぐに否定する。
「この文字列が何らかの力を発する事はない。魔女を名乗る者達が語る法則は、全て思い込みによる偽物だ」
「そ、それじゃあ、自分勝手に押し付けてるってわけですね」
「だが、この刻み付けが洗脳として十分な効果があるのは確かだ。痛みを与えながら語り掛ければ、嫌でも思考を誘導される。そう言った理屈を考えず、結果だけを見て奇跡を扱えたと信じ込んでいる者は極めて多い」
「それなら、早く魔女を見つけましょうよ! 被害は少しでも抑えないと!」
女は義憤に駆られて意気込むが、小屋の中に女児以外の姿はない。探す目的は、どうやらいないらしい。
恐らく外へと出ているのだろうが。
そう推測しかけた男は不意に違和感を覚え、解消するため再度小屋の中を見渡す。
魔術に使うための≪素材≫で辺りは散らかっている。出入り口付近は蹴り倒した扉のせいだろうが、床や机、寝台の上にまで置き場を選ばず放られている。
そこには、壺の中身や刺青の文字列に感じたこだわりはない。それに、外側だけ外れていた閂も妙だ。
……まるで。
浮かびかけたところで、女が提案する。
「先輩、とりあえずこの子を保護しましょう。刺青の傷も塞がっていない箇所がありますし、こんな不潔な場所では体に障ります」
「そうだな……」
頷きながら、取りこぼした答えを拾おうとする。
この小屋の中の惨状に何を思ったのか。
改めて情報を整理して、男はようやくたどり着く。
まるで争いがあったかのようだ、と。
「あ、起きましたよっ」
男が答えを導いたのと同時、女の明るい声が聞こえた。女児の側でしゃがみ込み、その体を抱えようと手を伸ばしている。
そこには一切の警戒心がない。弱者を救おうと、受け入れようと腕を広げている。
対して女児は、血塗られたナイフを握っていた。
「——っ!」
「ちょっ、先輩ッ!?」
男はとっさに女の首根っこを掴んで引き寄せる。
瞬間だった。
——ブンッ!
輝きが残像を作る。それは、松明に照らされた金属の輝き。女の顔があった空間を切り裂いた。
女を後ろへ放り投げ、男は即座に抜剣する。
「ここまでだと、己の奇跡と信じ込むのも無理はないか」
「せ、先輩、どういう事で……」
続けようとして、しかし女も女児の姿を見て、気付いたようだった。
ゆっくりと女児が立ち上がる。
全身に記された傷に痛みなど覚えず。悲惨に汚された己の姿にも嘆かず。
陶酔した瞳で、まるでその凶器に縋るように、ナイフの刃をそっと頬に当てる。
「あなたたち、誰? もしかして、魔女様の邪魔をしに来たの?」
その幼い声には明確な意思があった。
無邪気さが犯した信仰。
男は、正面の女児の人格を把握し、すぐさま現状を理解する。経験に培われた思考速度は最速で事件の全容を掴んだ。
そして、彼は名乗りを上げる。
「我々は異端審問官! 審問の結果、貴様を異端と見なし、この場で処刑する!」
「先輩!? この子は被害者じゃ!?」
尻餅をつく後輩の声など関係なく、男は剣を正眼に構えた。
明確な敵意を向けられた女児は即座に飛びかかる。
「邪魔をしないでッ! わたしは魔女になるんだから!」
低い位置からナイフが閃く。男は引かず長剣で受け止める。
圧倒的な体格差だ。力で押し負ける事はない。
女児は細かな動きで翻弄しようとするも、一歩踏み込む男に退かざるを得ない。それでも女児は己の持つ力を最大限に駆使した。
子供ながらのしなやかさと小回り。
そして、信仰心による蛮勇。
女児は躊躇いなく、長剣を左手首で受け止めた。骨に切り込みが入るが、痛みはもう忘れてしまっている。
そして、揺るぎもせずまっすぐに、男の首元へとナイフを突き出す。
だがその体は、とんっと後ろに押された。
「かふ……っ」
女児の口から赤い液体が漏れ出す。彼女の体は宙に浮いていた。
その胸に、長剣を突き立てられて。
「子供を相手取ることも少なくない。身長や体重の差は、どうやっても埋められない」
金髪の男は、既に視線の焦点が定まっていない女児へと告げた。
左手首で受け止められた長剣。強引に押し込み、女児へと突き出したそれは、あっさりと彼女の胸の中心を突き刺していた。ナイフよりも先に達したのは、単純な腕の長さの差。
女児の魂が抜けると同時、男は長剣を地面に下ろした。ずるり、と重さで勝手に刃から体が落ちる。
ぶんっ、と血を払ってから長剣を鞘に納め、男は背後の女に伝えた。
「任務は終わりだ」
「せ、先輩……? その子は、助けるんじゃ……?」
未だ状況が分かっていない後輩に、男は呆れる事もなく淡々としていた。
「聞いただろう。奴は『魔女様の邪魔をするな』『わたしは魔女になる』と言った。つまりは異端に加担した。処刑対象だ」
「でもそれは、洗脳されていたからでっ」
「壺の中身は見ただろう」
「えっ?」
男に言われて、女は空間の中央にある壺を眺めた。先ほどかきまぜたせいで、中身が少しはみ出ている。人体の腕。それと、女性のものと思われる長い頭髪。
「この女児を攫った自称魔女は既に死んでいる。その死体がその壺の中にあった人体だ」
「えっ、え?」
困惑する女に、男は周囲を見渡しながら全容を説明する。
「この小屋の中には、住人の下手ながらのこだわりが至る所に見えた。自尊心の高い、融通の利かなさだ。それに対して、素材やらは散乱している。そして、この小屋を施錠していた閂。あれが閉じていたのは内側だけ。中にいたのは間違いない。外に出ているなら、女児を置いておくんだから外側からもかけるだろう」
「つ、つまり……」
「自称魔女は、この小屋の中で女児に殺された。争い合った結果で散らかり、あのナイフで切り刻まれたんだ。きっと壺で作ろうとしていたのは、人体が必要な≪秘薬≫。無論、何の根拠もない自作レシピだろう。それを完成させるために女児は、目の前の人体を刻み投入した。≪魔女様≫から褒美を得るために。壊された思考では、人間の区別もつかなかったというところだろう。すなわちこの女児は、既に殺人を犯した異端者だ」
「そ、そんな……。けどそれは、その子が悪かったことになるんでしょうか……」
女は立ち上がって、息絶えた女児の側に歩み寄った。
誘拐されたために、壊され狂わされた者の末路。あまりにも無惨な姿を、女は逃げずに視界に収める。
対する男は、女とすれ違うように、開け放たれた出口へと向かった。
「悪であるかどうかは関係ない。俺達の職務は異端を始末し、人類を繁栄させる事だ。この女児は間違いなく、繁栄において邪魔になった。それだけだ」
「そ、そんなのって……。全部魔女のせいじゃないですか!」
先を急ごうとする背中に、女は振り返って声を上げる。
立ち止まったのは、考えを改めたからではない。むしろ改めさせるために、男は女の視線に応えた。
「だから言っているだろう。この世界には魔女などいない。そうと呼ばれる存在は既に滅んでいる。ここにいたのはあくまでも、自称魔女だ」
それは、女が求めていた解答ではなかった。
魔女が繁栄した時代があった。
しかしそれらは、壮絶な魔女狩りによって絶滅した。
だが、異端審問はなくならない。
魔女を名乗る者も、魔女に縋る者も、後を絶たなかった。
無論、根拠なく魔女と裁かれる者も。
歴史上の事実における間違いを指摘しただけの男は、だが続けて、後輩に示すように口を開いた。
「その女児は、思想すら拐されたと言える。思想は感染症と同じだ。即座に断ち切らなければ継承される。中途半端に残せば再発する。因果は関係ない。害なす者を排除するのが、異端審問官の務めだ」
女は納得がいかないというような視線をぶつける。だが男は取り合わずに背中を向けた。
「それでも疑問を抱えるのなら、自分で答えを見つけろ。世界に正しさを問うな。二分出来る程、世界は綺麗な形をしていない」
務めを終えた男は去っていく。
女は言葉を受けて、ぐっと下唇を噛んだ。
「……っ」
女児の骸を一瞥すると、彼女は勢いよく立ち上がる。
そして、男の背中を追いかけた。
答えを得るため、まずは前を向くのだと。
——報告。魔女が住むと思われる小屋を発見し、調査を決行。小屋内で、失踪したと思しき女児の襲撃に会い、これを撃退。女児は洗脳を受け、異端に加担しているようであった。魔女と思われる存在は、既に女児の手によって殺害されていた。
——異端の痕跡となるため、調査した小屋はその場で焼却。遺体も同様。女児の遺族については、異端に踏み入る可能性があるため監視を推奨する。
——今回初任務であったミェナだが、知識と判断力が欠けていた。意欲は十分であったので、多くの経験を積むことで改善を期待する。
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