第十三話 仇敵

――憎むべきものと守るべきもの

        救うべきものと壊すべきもの――


  *


 カエデを一時間ほど追って辿り着いたのは、荒れ果てた牧場だった。その牧場は、生存協会の家畜を育てていたオーナーが、以前に経営していた牧場だった。

 生存協会が襲撃される際に牧場が襲撃され、オーナーが殺されたのは、ザビーと共にゾンビの研究をしていたオーナーが不死戦線の壊滅を知り、ザビーへの協力を拒んだ結果のことだった。

 牧場にアネットたちを送り届けると、カエデはどこかへと走り去っていった。

 連れてきた馬車に乗り、デヴィッドは生存協会へ応援を呼びに向かった。

 道のり的には、二十分ほどで生存協会に着くだろうが、応援が到着するにはまだ時間がかかるということでもあった。

 アクセルの判断で、ザビーの不意をつくべくすぐに乗り込むこととなった。


  *


 静かに牧場へ入っていく。

 半ば崩れかけた建物の中を覗くと飼育員らしき人が家畜にエサを与えていた。生存協会の牧場から連れ去られた動物たちだろうか?

 気づかれないように中の様子を伺っていたが、アネットは家畜が食べているものに違和感を持った。よく見てみると、家畜たちが食べているのは、ただの飼料では無かった。

 ニワトリや豚が食べているのはトウモロコシではなく、牛が食べているのは牧草などではない。

 すべての家畜が生肉を、それもおそらく、骨の形などを見るに人間の肉を食べているようだった。

 アクセルとアリスは目配せをし、アクセルが建物の中へ入った。

 アリスはエサを与えている飼育員の足に狙いを定め、ショットガンで打ち抜いた。

 大きな音とともに飼育員の足が吹き飛ぶ。バランスを崩して倒れこむ飼育員の悲痛な声は、アリスの放った銃声にかき消されて聞こえなかった。その間に、アクセルは飼育員の元へ近づいていた。

「よぉ、久し振りじゃねぇか」

 足を吹き飛ばされた飼育員の後頭部に銃口を向け、アクセルが声をかける。おそらく、ザビーと共に生存協会からいなくなった人間なのだろう。

「その声は、アクセルか」

 背を向けたまま、くぐもった声で飼育員から返答があった。

 ショットガンでの銃撃による痛みで声が歪んでいるのだろうが、アネットにはそんな痛みは想像もできなかった。

「ザビーさんを殺して、お前が生存協会のトップになったらしいな。でも、ザビーさんがリーダーの方が、世界は絶対に良くなっていた!」

 そう言いながら飼育員が振り向いた。その口元は赤く染まり、手には先程まで家畜に与えていた肉が握られていた。

「……やっぱりお前らも、ゾンビなのか」

「ああ、ここにいるのは全部ゾンビだ。生存協会だって、これからゾンビの町として栄えられるんだ。……そこにお前らはいないかもしれねぇがな。こんな場所で、人間の代わりに動物をゾンビにしているのには、もう飽きた」

「そんなに退屈なら、とっとと死んだらいいんじゃねぇか?」

 アクセルはそう言うと、手にした銃を飼育員の眉間に打ち込んだ。飼育員はドサリとその場に倒れる。

 アクセルが銃を構えて辺りを見回し、周囲に敵がいないことを確認して合図を送る。

 アネットたちが建物内に入ると、奥の扉から一人の男があらわれた。

「でもよぉアクセル! ここのゾンビたちは、お前なんかよりよっぽど優秀なんだぜ?」

 その声に共鳴するように、家畜たちの唸り声が響いた。

「ブモォォォォ!」「ココココ、コケェッコォォ!」「ピギィィィッ!」

「ザビー!」

 アクセルが睨むのは、生存協会の元リーダー、ザビーだった。

「じゃあ、突然のお客様をもてなしてやるとするか。こんなにたくさん足を運んでもらって、今日はパーティーだな! よし、エサの時間だ、食い殺せ家畜供!」

 その掛け声とともに、ザビーの背後から飼育員たちが現れ、家畜小屋の扉を次々に開け放った。

「飯の時間だ、みな殺せ」



 生存協会の戦闘員たちが家畜に立ち向かう。

 戦闘員たちの武器はシャベルや斧がメインであり、互いにサポートしながら戦っていた。

 アリスとアクセルは距離を取りながら銃を撃ち、戦闘員たちをサポートしていくが、弾の装填には隙が出来るため周囲に気を張りながら戦っていく。

 アネットは戦闘員と同様に武器を持ち、リョウが弓を引くサポートをする。家畜を薙ぎ払いながら、リョウが放った矢を回収して渡すのもアネットの役割だった。

 体の大きいウシには積極的に銃を使い、走って攻撃してくるニワトリにはシャベルや斧で立ち向かった。

 ザビーと飼育員たちはそれを見届けると、建物の奥へと引っ込んでいった。アクセルが数人を連れてザビーたちを追いかけた。

 その間も、動物たちは次々に迫ってくる。

 ニワトリは動きが速く的が小さいため、攻撃がなかなか当たらず厄介な敵だった。翻弄されていると足元を突かれてしまうので、慎重に対処する必要があった。

ウシは巨体を活かして暴れまわりながら噛みついてくるのだが、足を破壊してしまえば一時的に動きが鈍るため、その間に脳天へと銃弾を撃ち込めばいいと分かると、対処は容易になった。

 ウシとニワトリが襲ってきている間は、状況をみながらなんとか牽制ができていた。しかし、ブタが前線に出てくると、その流れが変わった。

 ブタは噛みついてこようとするのではなく、まず突進を放ってきた。その動きの速さに銃や弓の照準がうまく定まらず、シャベルの攻撃も上手く当てられなかった。

 突進してくるブタに対し、戦闘員がシャベルを振り下ろそうとしたが、間に合わずに突進を食らい、よろけて転倒したところをのしかかられた。

 戦闘員は叫び声をあげながらブタに顔面を食べられていく。戦闘員は必死にもがくが、どんどんと他のブタも集まってきては、身体中を食べ始めた。

 他の戦闘員たちはその様子にたじろいたが、ブタは食事をしている間は無防備であった。そのため、ブタの捕食を利用して攻撃ができた。

 しかしそれは、ブタに食べられている戦闘員ごと攻撃するということでもあった。シャベルの一撃でブタが倒れれば下敷きの戦闘員がうめき、銃を放てばブタを貫通して戦闘員身体に銃弾が埋まった。

 また、ブタは身体の大きさの割に脳みそが小さい上に、切り落とせる首も存在しなかった。それに加え、唯一隙ができる食事の際は、頭が下を向いているために脳を的確に攻撃するのは至難の業であった。

 ブタとの戦闘が続いていくと、ブタたちも自分が攻撃されていることに気が付いた。戦闘員が攻撃をしようと近づいて来ると、食事を中断して突進を放ってきた。

 戦闘員たちは、ブタとの突進を避けながら攻撃するという駆け引きを強いられることとなった。だが、ブタに気を取られているとニワトリがすかさず攻撃をしてくる。

 必死で戦う仲間たちをよそに、生きながら顔面を食べらる様子を見て、腰が抜けてしまった戦闘員がいた。

 彼はその隙に、ニワトリに足を突かれてしまった。

 ニワトリに突かれた傷口を確認すると、彼はすべてを諦めたような表情をした。しかし、少しの間をおいて大声をあげながらブタの元に駆け寄り前足を執拗に攻撃をし始めた。

 戦うことを諦めればブタやニワトリに生きたまま食われることになる。彼はそれが酷く嫌だった。ブタは攻撃に必至で抵抗したが、執拗に足を攻撃されて体勢を崩した。彼はとどめを他の戦闘員に託すと、次の獲物を求めて叫びながら走っていった。

 今は必死に戦っている彼も、これからゾンビ化が進んでいくのだろう。だが、ニワトリからの攻撃では、ゾンビになるまでにラグが生じる。彼はゾンビになるまでに少しでも多くの敵を殺すことを心に決めたのだ。

 ニワトリを手掴みで捕まえては、首の骨を折っている。どれだけニワトリに身体を突かれても、もうまったく気にしていないようだった。ゾンビ化が進んでいくことで、痛みへの耐性もついたのだろう。ゾンビへと変わっていきながらも、人間でいる間は最期まで戦ってくれるつもりのようだ。

 リョウは戦闘が始まってから、弓を使ってニワトリを的確に撃ち、攻撃の足止めをしていた。近寄ってくるニワトリにはシャベルで牽制しながら、矢が刺さって行動を制限されたニワトリにとどめを刺し、死体から矢を引き抜いて新たなニワトリを射抜いていく。また、リョウの遠くで息絶えた獲物に刺さった矢は、アネットや戦闘員が回収してくれた。

 アネットは、どのゾンビからも敵として認識されているようだった。

 しかし、食料としての優先度が低いのか激しい攻撃は受けていなかった。そのため、気配を消しながらサポートに徹している。

 アネットがリョウ矢を回収すべく動いていると、死角からブタの突進を食らってしまった。アネットはその衝撃に大きくよろけたが、すぐに立て直すと豚の頭部に斧の一撃を振り下ろした。

 自分の突進をものともしないアネットに対してブタは困惑したようで、あっけなくその命を落としたのだった。

 アネットはそのあとも、攻撃をされながら動物を次々に撃退していった。

 戦闘が続くにつれ、生存協会の面々は少しずつ動物たちに殺されていった。飛び道具をメインに距離を取って戦うアリスとリョウ以外の戦闘員は、何かしらの攻撃を動物から受けたようで、ゾンビ化の兆候が出てきている者も多い。

 仲間がゾンビに変化してしまってはまずいので、ゾンビになる前に命を奪うべきなのだろうが、そのタイミングが掴めない。

 敵が増えるのも、戦力が減ってしまうのも考え物なのだった。

 そうして家畜との戦闘が続いていったのだが、あるときを境にして家畜たちはアネットを一切認識できなくなった。

 何がきっかけなのかは分からなかったが、アネットは残された動物たちを次々に殺していった。


  *


 アネットが家畜をすべて殺したとき、戦闘員はほとんど全員が負傷しており、ゾンビになりかけていた。

 また、アネットはゾンビ犬をまだ見ていないことが気がかりだった。

「アリスさん、俺たちがゾンビになる前に、終わらせてください」

「分かったわ、今までありがとう、デイブ」

 ――バンッ

「生存協会を頼みますよ!」

「ええ、エリスのことは任せて。ありがとう、チャーリー」

 ――バンッ

「ザビーなんて、アクセルさんと一緒に倒してくださいね?」

「もちろん! アクセルに、トーマスは最期まで勇敢に戦っていたと伝えるわね」

 ――バンッ

 戦闘員たちは自分の終わりを悟り、アリスに想いを伝えていく。

 アリスは一人ずつの言葉に真摯に答え、弾を撃ち込んでいった。ゾンビ化の兆候が見られる最後の一人を撃ったとき、牧場に大きな声が響いた。

「あーあ、せっかくの家畜が全部殺されちまった。まぁ、ほとんどのザコは倒せたようだし、よしとするか」

 ザビーが飼育員の死体を担いであらわれた。頭部に銃弾が撃ち込まれているのを見るに、アクセルたちが倒したのだろう。

「こいつらも死んじまってよ。それに、そっちにもゾンビがいたのは想定外だった。せっかくゾンビ同士も認識が出来るようにして、エサにもしてたのに。こいつらが殺されたら意味がねぇとはな。まったく、使えねぇ」

 ザビーはアネットを睨みながらそう呟く。

 その言葉を聞き、アネットは考えていた。飼育員が殺されたら意味がないと言ったが、ゾンビに命令が出せるのはハナだけではなかったのか?

(なんにしても、アクセルさんに感謝をしないと。でも、そのアクセルさんたちはどうしたのだろう? ザビーと飼育員の死体しか見当たらない)

「ゾンビと人間が一緒に戦うなんて反則だろ?こっちはゾンビだけで戦ってんだから、そっちは人間だけで戦って欲しいもんだ。まぁ、早いところ残ったお前らをぶっ殺して、生存協会の人間をなんとかゾンビにして、戦力を補充しねぇとな。不死戦線の奴らもゾンビにしたかったんだが、自害しちまって餌になった。次は気をつけねぇとな」

 ザビーは自嘲気味にそう言うと、持っていた飼育員の死体を地面に放り投げた。

 すると、ザビーのうしろからぞろぞろと、数十匹のゾンビ犬があらわれた。ゾンビ犬たちは飼育員の死体に貪りつく。

「こいつらには本当に助けられてるんだ。小回りが利くからどこにでも入れるし、すばしっこいから攻撃も当たりにくい。大型もいたんだが、半年前に襲ったグループに殺されちまってな。まぁ、その死肉を食ってグループ丸ごとゾンビになったのは滑稽で面白かったがな。まぁ、戦力にならねぇから、餌なんかになったんだ」

 ザビーはゆっくりとアネットを指さし、ゾンビ犬に命令を下した。

「あのゾンビを食え」

 その言葉にあてられ、三匹のゾンビ犬がアネットに襲い掛かった。ゾンビ犬たちは三方向から詰め寄ってくる。

 左側を走っていたゾンビ犬をリョウが弓矢で打ち抜いた、見事に犬の眉間に矢が突き刺さり、ゾンビ犬はその活動を停止した。しかし、手足の動きはすぐには止まらず、失速しながらアネットの横を走り抜けていった。

 右側を走っていたゾンビ犬には、まだ正気を保っていた戦闘員が立ち向かった。

 彼は左腕の肘から先を失っていた。というのも、ゾンビに噛まれた腕をアリスが切り落として止血を行ったのだった。ゾンビ化が進むことなくこの場にいられたのだが、出血が酷く息が上がって来ていた。彼は雄たけびを上げながら、ゾンビ犬へ立ち向かっていく。

 彼に襲い掛かろうと態勢を整えているゾンビ犬に、アリスが銃弾を放った。ゾンビ犬は身体を貫かれ、よろけたところを戦闘員に攻撃されて活動を停止した。

 正面からとびかかってくるゾンビ犬は、アネットの目の前で大きく跳躍した。ゾンビは頭が弱点なのを知っているのか、脳の味を知っているのかは分からないが、殺意を持って頭部に飛び掛かってくる。

 アネットは左腕を出してゾンビ犬に噛みつかせ、その腕でゾンビ犬の胴体を思いっきり掴んだ。そのままゾンビ犬を手元に引き付けると、右手に持ったシャベルを逆手に持ち直し、眉間に一撃を与えた。

 なんとかゾンビ犬を捌ききれたと思った矢先、ザビーは次の三体を走らせていた。先程と同様に三方向から走ってくる。

 一斉に襲ってこないのは、一度に命令を出せるのが三体までなのだろうか? 先程まで戦っていた動物たちも、前線で明確な殺意を持って襲い掛かってくるのは一部であった。飼育員一人あたり三体しか命令を出せないのだろうか? 不死戦線に入ってきたゾンビ犬は五匹だったし、生存協会に攻めてくるゾンビの量がそこまで多くなかったのも、そういうことだったのだろう。

 アネットが考えている間に、左側からの攻撃は先程と同様にリョウが止めた。

 右側のゾンビ犬は先程の彼に頼みたかったが、出血が酷いのか動けずにいた。そのため、アリスがハンドガンで狙っているのだが、素早く動く小さな標的にうまく当たらない。

 それでも、アネットに向かって走ってくる足になんとか一発銃弾が当たり、ゾンビ犬は体勢を崩してアネットの足元に滑って来た。アネットはシャベルをゾンビ犬の頭に振り下ろす。

 残るは正面のゾンビ犬である。

 とはいえ、また新たにゾンビ犬が迫ってくるのも分かっていた。アネットはザビーとの距離を縮めるべく前進しながら、飛び掛かってくるゾンビ犬に脚を突き出した。  

 ゾンビ犬が噛みつくが、アネットは既にシャベルを振りかぶっていた。アネットが振るったシャベルとゾンビ犬が飛びつくタイミングが重なり、ゾンビ犬は吹っ飛んでいった。しかし、その攻撃では致命傷にはならず、ゾンビ犬はすぐに起き上がろうとする。そこに、素早くアリスが拳銃を打ち込んだ。動きの鈍い的であればアリスにはお手の物で、ゾンビ犬の眉間には深い穴が開いた。

「ゾンビは三体までしか操れないんでしょ? 何度試しても無駄、諦めなさい」

 アネットがザビーとの距離をつめていく。

「ご明察だ、一度に大量のゾンビに命令は下せねぇ」

 言いながら、ザビーは距離を取るべく後退し始めた。

 その間もゾンビ犬は三方向から襲い掛かってくる。アネットは中央のゾンビ犬を倒しながらザビーに迫る。左からはリョウの弓が、右からはアリスの銃弾が飛び、アネットをバックアップする。

ザビーは少しずつ後退していったが、気づけば壁際へ追い詰められていた。ザビーを守るように、ゾンビ犬たちはザビーの周囲を取り囲んでいる。

 もう少しでザビーに手が届くと思ったアネットは、ザビーに向かって走り出そうとする。

「おいゾンビ女! うしろを見ろ、人質だ!」

 ザビーは叫ぶと、近くにあった扉へ入っていった。

 アネットが足を止めて振り向くと、アリスの元に二匹のゾンビ犬が迫っていた。

(三匹ずつ襲ってきていたからそれが限界だと思っていたけど、他の二匹にあらかじめ命令を出していたのか……)

「アネット、私のことは気にしないで!」

アリスがアネットに告げる。

「それだけじゃねぇ、こいつも人質だ。俺に気をまわしていたら、お前以外は死んじまうぜ?」

 声と共にザビーが戻ってきた。その腕には一人の男が捕まっている。

「すまない、罠が張られていて捕まっちまった。こういうときは、俺のことなんて気にせずっていうのが普通なんだろうけど、俺は死にたくない! アネット、どうか立ち止まってくれ!」

 ザビーに羽交い絞めにされて出てきたのは、生存協会に応援を呼びに行っていたはずのデヴィッドだった。

 アネットはその場に立ち止まり、リョウは弓での攻撃を止めた。

「このまま追いつめるべきよ! 既に多くの犠牲は出ている。私やデヴィッドだからって攻撃の手を休めないで! ザビーに体勢を整えさせるべきじゃない!」

 アリスはザビーを撃とうと銃を構えたが、その射線上にゾンビ犬が立ちはだかった。もう一体のゾンビ犬は、いつでもアリスを噛める位置にいる。

「アリスさん、デヴィッドさんは戦う予定ではなかった人です! 助けられるなら助けたい! それに、アリスさんとリョウの援護があるから戦えてるんです! アリスさんを失えば、形勢は悪くなるかもしれません!」

「……分かったわ」

 アネットの言葉に、アリスは銃を下ろした。

「おいアリス、お前の銃、弾がほとんど残ってないんじゃないか?」

 ザビーはアリスを追い詰めるようにそう言い放つ。

 アリスはその問いかけに表情を崩さなかったが、残弾数は多くないように思われる。

 そして、戦闘は膠着状態に陥った。

 ザビーはゾンビ犬をけしかけず、アネットたちも手を出せずにいる。だが、人質を取られている以上、アネットたちがどうしても不利だった。

 ザビーはその状態に痺れを切らし、アネットに問う。

「なぁゾンビ女、俺と一緒に来ないか? こっちの勝ちは目に見えてるだろ? ゾンビ犬はまだまだいるんだ。家畜どもは動かなくなっちまったが、それはつまり。俺たちの食糧はいくらでもあるってことだろ?」

 どう答えるのが戦力的に正解か迷ったが、アネットはひとまず率直に返答する。

「私はあんたの部下なんかにはならない」

「おい、どっちが得かよく考えろよ。それに、俺と一緒に来れば、お前だってゾンビを操れるようにしてやれるんだぞ」

(私もゾンビを操れる?……手下になるつもりなど毛頭ないが、操り方を聞ければ勝機はあるかもしれないし、ハナちゃんを助ける手掛かりになるかもしれない。しかし、そんなことを敵に対して話すだろうか?)

 そう思いながらも、アネットは現状を打開すべくザビーに返答する。

「どうやったら、そんなことができるっていうの?」

 アネットの返答に、ザビーは口元を歪ませながら返答する。

「興味が湧いたか? それとも、仕組みさえ分かれば、俺を倒せるかとでも思ったか?」

「どうかしら? 話したそうにしているから、聞いてあげないこともないって言ってるの」

アネットはザビーを挑発する。

「……まぁいいか、簡単なことじゃねぇんだ。ゾンビを思い通りに動すのはハナの能力ってのは、知ってるんだろ? 俺たちがゾンビに命令を出すためには、ハナとハナが作ったゾンビの両方を噛めばいいんだ。とはいえ、ハナとは違って一度に操れるゾンビに限界があるのが問題だがな。操れる数も、個人差があるしな」

「やっぱり、ハナちゃんはここにいるのね。そして、あなたはハナちゃんの能力に縋っているわけだ。でも、どうやってそんなことに気づいたの?」

 会話をしながら、ザビーを倒す方法を考える。

「あー、俺が正気を保っているのもハナのおかげだからな。……よし、正気を保ったゾンビになる方法を、特別に教えてやる。人間はな、ハナを噛むことで正気を保ったゾンビなれるんだ。俺が気づいたのはハナに捕まったときだった。俺はどうせ死ぬならと思って、俺はハナに噛みついたんだ。アイツは俺に噛まれたことに気づかず、アクセルに俺を引き渡した。アクセルが俺の心臓を貫いたとき、俺はもうゾンビになっていたんだ。俺は自分が生きていることに驚き、そのまま逃げようと思った。だが、少しでも回復しようと思ってハナが見張りとして残したゾンビに食いついたんだ。そうしたら、そのゾンビが俺の命令を聞くようになった。俺はそのゾンビの背中に担がれて、仲間と共に生存協会を抜け出したんだ」

「お前に噛みついても、その効果はあるのか?」

 リョウが聞いた。

「面白い質問だ。だが残念、そうはいかねぇ。俺の肉を食わせたやつは、ただのゾンビになった。だからハナに噛ませてぇんだが、ハナは中々人間を噛んではくれない。だからといって、ハナの肉を食べてゾンビになれば、ゾンビに命令を下せるようになっちまう。だからむやみに仲間を増やすことができず、ハナの肉を動物に食わせるしかねぇんだ。……そういや、お前はハナの兄貴だったな。どうだ、お前もゾンビになるか? そうすれば、そこのゾンビ女ともハナとも一緒にいられるだろ? うん、我ながらいい考えだ。ハナのやつもまともに動いてくれるかもしれねぇ」

「リョウをゾンビにするなら、俺もそうしてくれ!」

 デヴィッドが叫んだ。

 だが、彼の言葉に返答するものは一人もいなかった。

「リョウ駄目よ! ザビーの口車に乗らないで!」

「おいアリス! お前、アクセルと一緒になりたいんだろ? アクセルをゾンビにして、お前が命令できるようにさせてやろう。お前もゾンビになって、仲良くやっていこうぜ?」

「あんたと仲良くなれる奴なんて、この世に存在しないわ!」

「そうか、じゃあ、お前はもういいわ。おい、そいつを食ってい……」

 ザビーがゾンビ犬にアリスを殺させようとしたそのときだった。二階の扉を開け放ち、何かを抱えたアクセルが息を切らしてあらわれた。

「おいザビー良く聞け! ハナは俺が助けた。ハナがゾンビ犬に命令を出せば、形勢逆転だよなぁ!」

 アクセルの手の中にあるのは、ハナの頭部だった。

 首から上だけの状態で、口には猿轡が付けられている。ハナを見つけたアクセルは、アリスの危機を察し慌てて出てきたのだった。

「アクセル! 生きてたのね」

 アリスが安堵の表情で言った。

「アクセルぅ……。お前はいつもいつも汚い手を使いやがって。どうして俺の邪魔をしやがる!」

 ザビーがアクセルを睨む。

「お前だって人質取ってんじゃねぇか! 昔から人を競わせては、都合のいいように仕向けてたお前が何を言う? とにかく、今すぐ人質を解放しろ!」

「バカは競わせれば全力を出すだろ! だったらそれを使わない手はないんだ! お前もジョーも楽しそうにやってたじゃねぇか! ……まぁいい、とりあえずこいつは解放してやる」

 ザビーはデヴィッドを躊躇いもなく開放した。

「アクセル様! ありがとうよ!」

 デヴィッドはザビーの元から逃げるように、建物の奥へと姿を消していった。

「デヴィッドを見逃してくれたことには感謝する。だがザビー、俺は汚い手を使うんだろ? それに、俺がハナを助けるのは当然だよな? さぁハナ、すぐに外してやるからな」

 そう言うと、アクセルはハナにつけられた猿轡を取り外しにかかる。

「アクセルお前は大馬鹿だ! お前に従うやつらも全員馬鹿だ! 俺の言うとおりに動いていれば、みんな幸せになれるんだ!」

「ザビー、お前は状況が分かってないのか? ベラベラ喋ってるが、お前は終わりなんだ」

「……」

 ザビーは、さっきまでの威勢がどこかへ消えてしまったように立ち竦んでいる。

 その様子を見て、アクセルが再びザビーに話しかけた。

「なぁザビー。何でこんなことになったんだろうな」

「……あ?」

「こんな世界だからこそ協力しなきゃならねぇって、生存協会を作ったときにお前言ってたよな? なのに、なんでこんなことになっちまったんだよ?」

「お前が裏切ったからだろ!」

 ザビーはのどが張り裂けそうな声でアクセルに叫ぶ。

「俺がお前を裏切ったんじゃない、お前がみんなを裏切ったんだ!」

二人の会話は、ことごとく噛み合わないようだった。

「……なぁアクセル。アリスにも言ったがお前にも聞く。俺と一緒にゾンビになって、もう一度この世界を楽しまないか?」

ザビーの言葉を聞き、アクセルはその言葉に迷うことなく告げた。

「せめて逆だな」

「……は?」

「お前が謝って、生存協会で身を粉にして働くのなら殺さないでいてやる。デヴィッドを逃がしてくれたしな。どうする、帰ってくるか?ザビー」

「アクセル、あなた何を言ってるの! 一度はそいつを殺したでしょ!」

 今度はアリスがアクセルに向かって叫ぶ。

「ああ殺したさ! 一度殺したからこそ、叶うことならもう殺したくないんだ! 勝手なことを言ってるって思うよな? 俺自身がそう思ってるよ。でも、一度くらい希望を持ってもいいだろ? ……さぁ、ハナの猿轡は解けた。こいつを外せば、ハナは俺の気持ちなんか関係なくお前を終わらせるだろう。ザビー、その前にお前の答えを聞かせろ!」

 アクセルはハナの猿轡に手をかけたまま言い放った。

「……アクセル」

「……なんだ、ザビー?」

「俺はお前の手下にはならねぇ。俺を殺さねぇと、生存協会は守れねぇぞ?」

 ザビーが笑いながらアクセルに告げる。

「ザビー……」

「生存協会はお前が導け! 俺のことは忘れて、何度でも建て直すがいいさ!」

 ザビーは今、何を思っているだろうか?

 その姿はまるで、自分で自分の存在を否定しているかのようだった。

「……あぁ。ザビー、さよならだ」

 そう言うと、アクセルはハナの口枷を外した。

「ハナ、頼んだ」



「……」

 ハナは黙ったままだ。

「ハナ?」

「ハハハハハハハハハ!」

 ザビーが笑い始める。

「ハナ! 僕だリョウだ! なぁ、ザビーは殺さなきゃならない! ハナも散々ひどい目に遭ったんだろ? ザビーにとどめを刺してくれ、ハナ!」

 リョウがハナに叫ぶ。

「……」

 ハナは、一向に言葉を発しない。

「まさか、ハナはザビーの手下に……」

「そんなわけ無いですアリスさん! ハナ、ソイツは父さんと母さんの仇なんだ! なぁ、頼むよハナ!」

「無理だ無駄だ、諦めろぉ! なぁアクセル、お前まだ気づかないのか?」

 ハナは、アクセルの手の中で必死に口を開いていた。

 アクセルは、ハナの口の中を見る。

「ッ……」

 ――ハナの口の中には、舌が存在しなかった。

 ハナは話さなかったのではない、話せなかったのだ。

「ハナは命令なんてできねぇんだよ! ゾンビを作るには、肉を削げばいいし、命令で着るようにするにも、歯だけ生えてりゃあいいからな! それに、下手に命令をされたらたまったもんじゃねぇ。ゾンビが手紙を書いてたり、ゾンビ犬が帰って来なかったりしたからな。舌なんて、残しておくわけねぇだろ?」

「ザビィィィィ!」

「あばよ、アクセル」

 そう言うと、ザビーは懐からピストルを取り出し、アクセルの胸を打ち抜いた。

「っぐ……」

 アクセルはその場に倒れこむ。

「ザビー!」

 アリスがザビーに向かって拳銃を放った。しかし、放たれた銃弾はゾンビ犬が代わりに受けた。

「ッハハ! おいおい、アクセルの最期の言葉だぞアリス! 邪魔してねぇで、しっかり聞いてやれ!」

 笑いながら告げられるザビーの言葉に、アリスは拳銃を下した。

「……ハナごめん。せっかくリョウと会えるのに、本当にごめん。お前の笑顔が、もう一度見たかった」

 ハナを見てアクセルが告げる。ハナがどんな表情をしているのかは、アネットからは見えなかった。

 アクセルは視点が合わなくなってきている目を空に向け、最後の力で言葉を絞り出した。

「リョウ、色々と悪かった! でも、お前と再会できて良かった! ザビーを殺して幸せに生きてくれ! アネット、リョウを育ててくれてありがとう! これからも幸せに生きろ! アリス、俺は死んじまうみたいだごめん! 生存協会のこと、カタリナのこと、任せていいか?」

 血を吐きながら叫ぶアクセル。

 アリスは涙を流しながら首を振っていた。

「最後にザビー! とっととくたばりやがれ!」

 そう言うと、アクセルはザビーに向けて銃を放った。しかし、アクセルが放った弾丸はザビーの足元に虚しく当たっただけだった。

「おう、お疲れアクセル。……惨めだな」

 アクセルは最期にハナをきつく抱きしめた。その手から少しずつ力が抜けていく。

 ハナの頭がアクセルの手から零れ落ち、階段を転がってとなりの厩舎へ入っていった。

「ハナ!」

 ハナの元へ、リョウが駆け寄ろうとする。

「おい待て待て、行かせる訳ねぇだろ!」

 アリスの周囲にいた二匹のゾンビ犬がリョウの周囲を取り囲み、ザビーは銃をリョウへと向けた。それを見て、今度はアリスがザビーに銃を向ける。

「また膠着状態かよ。……よし。一つ、競争でもしてみるか?つまんねぇ死に方をした、アクセルへの手向けだ」

ザビーが言う。

「なんだと?」

 ザビーを睨みながらリョウが聞き返す。

「アクセルとジョーにやらせてた競争を、お前にもさせてやるって言ってんだ。俺はゾンビ犬にハナの頭を取って来させる。お前、ゾンビ犬と競争しろ」

「……競争?」

「リョウ、落ち着いて。ザビーが自分に不利なことを提案するはずがない。……でも、アイツを倒すチャンスもあるかもしれない」

 アリスが小声でリョウに言う。

「アリスぅ、俺にも聞こえてるぜ? だが、俺は調子に乗っているわけじゃねぇ。さっきも言ったが、これはアクセルへの手向けだ。こんなつまんねぇ最期じゃ、俺はあいつのことを忘れちまうからな! ブレーキ・トラウムっていうちゃちな名前をな! ッハハハ!」

「リョウ」

 アネットは気持ちを伺うように、リョウの名前を呼んだ。

「……分かった、受けよう」

リョウは、アネットの顔を一度見てからザビーに告げた。

「よし。じゃあお前と競争するのは……。コイツにするか、名前はモミジだな。よし、じゃあ位置につけ、合図は俺が出す」


  *


 リョウとモミジが横並びになる。

 ザビーは右手をポケットに入れ、左手に持った銃は天へ向けられていた。

「3」

 ザビーがカウントダウンを始める。

「2」

 リョウとモミジは、ハナが消えていった厩舎を見つめている。

「1」

 アネットとアリスはその様子を見守ることしかできない。

 バンッ

 銃声が響き、リョウが走り出した。ゾンビ犬も少し遅れて走り出す。

 そう思ったとき、悲鳴が響いた。

「あがぁぁぁぁ」

 リョウが脇腹を抑えており、そこからは血が噴き出していた。

「リョウ!」

「あーあ、頭を狙ったのにな。まぁ、ノールックで撃てばこんなもんか」

 ザビーはポケットから、銃を握った右手を出して言った。

「ザビー!」

 アリスがザビーに銃を放つ。しかし、その銃弾が当たることはなかった。

「アリス、冷静さを欠いて銃を撃っても当たるわけないだろ? まぁ、これ以上の手出しはしねぇから、最後まで見届けようぜ?」

 ザビーはアリスの頭に銃口を向ける。アリスは息を整え、今度はしっかりとザビーの頭を狙って構えた。

「こんなの、競争でも何でもない!」

 アネットが叫ぶ。

「ああ、俺が楽しむためのもんだからな。アクセルへの手向けの、ショーなんだ」

 アネットたちが話している間も、リョウは脇腹から出血しながら必死にとなりの厩舎を目指す。そんなリョウを尻目に、ゾンビ犬は一足先に厩舎へと入って行った。

 少し遅れてリョウも厩舎へ辿り着き、リョウとゾンビ犬が争うような音だけがアネットたちの耳に聞えてくる。

 しばらくして、厩舎の扉から顔を出したのはリョウだった。

 だが、リョウは扉に寄りかかり、その場へ崩れ落ちる。

「リョウ!」

 アネットが叫ぶと、リョウの後ろから一匹の犬が顔を出した。その犬は、口にハナの頭を咥えている。

「残念だったなぁ!」

 ザビーは満面の笑みでその様子を眺めていた。

 ゾンビ犬は厩舎から走り出てくると、ハナの頭をアネットの足元に置いた。

「えっ」

「おいモミジ、何をやってる! こっちに持ってこい」

 ザビーの声に答えるように、となりの厩舎からゾンビ犬の鳴き声が聞こえてきた。

「アネット、その子はモミジじゃないわ!」

 アリスに言われ、アネットはハナを連れてきた犬を見る。

 ――それは、サクラだった。

「サクラ! 家にいたはずなのに、どうしてここにいるの!」

「ワン!」

 アネットの声に、サクラは一度大きく吠えた。

「ワン!」

 そんなサクラの声に呼応するように、もう一つの鳴き声が聞こえた。その鳴き声の先にいたのはカエデだった。アネットたちの案内が終わってから、カエデはサクラの元へ戻っていたのだ。

 生存協会に空いた抜け穴を通り、サクラとカエデは駆け付けたのだった。

「いや、ハナがお前らの手に渡ったところで、お前らは何もできない!」

 ザビーが叫ぶ。

「ハナちゃんは、舌を抜かれている……」

 諦めたようにアリスが呟く。

「残念だったなぁ! アクセルは死に、ハナの兄貴はもう虫の息。俺に銃を向けているのはアリス一人だ。今から少しずつ、お前らを殺してやる」

「ザビー、あなたにそんなことはできない」

 アネットは、ザビーの目を見て冷静に告げる。

「虚勢を張っても無駄だぜ? たかが一匹のゾンビと二匹のゾンビ犬、何もできない女に腹を打ち抜かれたガキ、おまけに喋れもしないゾンビの頭だ。この状況は、どうやっても変えられないんだ!」

「……それはどうかしらね!」

 そう言うと、アネットは右手をハナの口へと突っ込んだ。

 ハナはその意味をすぐに理解した。アネットの指先に強烈な痛みが走る。

 そのまま、ハナはアネットの右手を食べてしまった。

「おいやめろ!」

 ザビーも何が起こっているのかを理解し、銃口をアネットに向けようとする。

「動かないで!」

 しかし、ザビーはアリスに牽制されて身動きが取れなかった。

 そのままアネットは、右腕をすべてハナに食べさせてしまった。

 アネットはハナに左腕も差し出す。左腕が手首のあたりまでなくなったところで、痛みは止まった。

「ハナちゃん、もういいんだね?」

 ハナは頷く代わりに、ゆっくりと一度瞬きをした。

 アネットはハナの口から左腕を引き抜く。

「ありがとう、アニー」

 ハナがアネットにそう告げる。

「うん、キャシー。どういたしまして」

 その言葉を聞き届け、ハナは大きく息を吸い込むと力いっぱいに叫んだ。

「ここにいるすべてのゾンビ犬、ザビーを食い殺しなさい!」

 その声に呼応して、残されたゾンビ犬が一斉にザビーへと襲い掛かった。


  *


 ザビーがいた場所には、骨一本すら残っていなかった。それを確認し、アネットはリョウの元へ駆け寄ろうと、ハナの首を抱きしめる。

 アネットの右腕は少しずつ再生していたが、手首から先が治らず、両腕とも手首から先がない状態だった。

 空腹を感じ始めたアネットだったが、今はそれどころではない。

 一方アリスは、アクセルの遺体の元に向かおうとしていた。

「待ってアリス。一つだけ確認がしたいの」

アネットの腕の中で、ハナがアリスに話しかける。

「……どうしたの? ハナ?」

 ハナの言葉にアリスは立ち止まる。

「ザビーに私の居場所を教えたのは、あなただったのよね?」

 ハナは鋭い目つきでアリスに問いかけた。

「……そんなわけないじゃない」

 アリスが気まずそうに返答する。

(ザビーにハナちゃんの居場所を教えたのが、アリスさん?)

「でも、私の居場所を知っていたのはあなたとアクセルだけ。そしてザビーは、私を見つけた時『本当にいやがった』って呟いたのよ?」

「……」

アリスは黙ったままだ。

「もうすべて終わったじゃない。アクセルもザビーも死んだ。今、リョウお兄ちゃんだって死のうとしている。私もこの世界には疲れた。ねぇ、だから最期に教えて?」

 その言葉を受け、アリスは決心した表情で口を開いた。

「……ええ、確かに認めるわ。ザビーにあなたの居場所を教えたのは私。でも、しょうがなかったのよ。教えなければアクセルを殺すと脅されたんだから」

「それに、私がいたらアクセルのとなりにアリスはいられなかった」

 それを受け、アリスは悲痛な声で訴える。

「私がどれだけ近くにいても、アクセルは妻のことしか考えてなかった。それでも私は良かったわ、結婚して地位を上げ、信頼される相手としてアクセルのとなりにいられればよかった。でも、アクセルの妻が死んだのに、いつの間にかとなりにはあなたがいるようになった。……アクセルを守れて、あなたがいなくなるなんて、私には他に選択肢なんて無かったのよ! 私の夫もこの前の襲撃で死んでしまったし、これからはアクセルと二人で生きていけると思ったのに……」

「……そう。私は誰かを愛したことなんてないからよく分からないけれど、あなたが言いたい意味は分かるわ。すごく人間的だと思う。もう人間じゃない私は、あなたを恨んだりはしない」

「……ごめんなさい」

 アリスは感情を殺してハナに告げる。泣くことも許されないと考えたのだろう。

「謝らなくてもいいわ。あなたはあなたの優先順位を守っただけ。どんな被害が出たとしても、あなたは自分を生きただけでしょう? 私はそれができなかった。自分なんてもの、許されなかったんだから」

「ハナちゃん……」

 腕の中のハナを見つめ、アネットはその名前を呼んだ。

 自分の意志など無視されて、大人たちに利用され続けたゾンビの少女は、一体何を思うのだろう。

「私も、あなたみたいに生きたかったのかもね。――さぁアリス、あなたはアクセルのところに行って。私はリョウお兄ちゃんのところにいくから。それじゃ、さようならアリス」

「さようなら?」

「いえ、何でもないわ。……さぁ、行きましょうアニー?」

「ええ」

 ハナは、初めて会ったときのリョウのような眼差しをしていた。


  *


 リョウは脇腹に受けた銃弾による出血が酷く、身動きもとれないようだった。

 サクラとモミジがリョウに寄り添っている。

 ハナはまず、サクラとモミジに言葉をかけた。

「久しぶりだねサクラ、ありがとう。モミジ、お兄ちゃんと会えてよかったね」

 ハナの言葉を受け、サクラとモミジは元気よく返事をした。

「「ワン!」」

 それを横目に、リョウはアネットに話しかける。

「アネットごめん。……僕は死ぬみたい」

「リョウ、あまり喋らないで? まだ助かるかもしれない」

 アネットを見つめて必死に言葉を紡ぐリョウ。

 アネットは、リョウを助ける方法を考えていた。

「僕は、アネットと出会えてよかったよ」

 リョウはそう言って、視線をアネットの顔からハナへと向ける。

「リョウお兄ちゃん」

「ハナ、久しぶりだね。何にも変わってないや」

「それはそうよ、私は人間じゃない。今なんて、頭しかないんだもん」

「君にもう一度会えてよかった。でもごめんね。僕はもう死んじゃうみたい」

「ううん、謝らなくていい。それに、私もずっと死にたかったの。ねぇ、リョウお兄ちゃん、私と一緒に死のう?私、ずっと前から疲れちゃってたんだ」

 ハナの言葉に、リョウは少し考えて口を開く。

「……君が本当に死を望むなら、僕はもう君を一人にはしない。でもハナ、もしよかったら、ハナはアネットと二人で生きてみない? 僕は二人が幸せに生きていけるって分かっているんだ」

 リョウの言葉に、アネットはリョウが消えてしまうのだと理解した。

「……ねぇお兄ちゃん。私からも一つだけ提案をしてあげる。私がお兄ちゃんのことを噛んだり、お兄ちゃんが私を噛んだら、お兄ちゃんはゾンビになれるかもしれない。そうしたら、お兄ちゃんはこれからもアニーと一緒に居られるわ? もしそうするのなら、二人で私のことを終わらせて欲しい」

「ハナ……」

 ハナの目を見つめ、リョウは考えている。

 その視線は、再びアネットの顔へと向けられた。

 アネットはどんな表情をしていいのか、何を言えばいいのか分からずに、ただただリョウを見つめ返した。

 ――私は、リョウと生きたい。

 口には出さなかったが、アネットはそう思いながらリョウの瞳を見つめ返した。

「……僕は、僕はゾンビにはならない。ねぇアネット、アネットさん。覚えていますか? 僕が死を望むなら、それを認めてくれるって、アネットさんは言ってくれましたよね?」

 アネットは、図書館でのリョウとの話を思い出す。

「覚えていますか?」

「リョウ……」

 ――私は、リョウと生きたい。

「今が、その時なんです」

「覚えて、いるよ」

 ――私は、リョウと生きたいのに。

「アネットさん」

「……うん。約束は守らなきゃね」

 ――私は、リョウと生きたかった。

「じゃあ、二人で死のう? アニーごめんね、私はお兄ちゃんといくね」

 アネットは、リョウが死を望むのなら自分も死にたいと、心のどこかで思い始めていた。

「……うん。あのさ、私も……」

「アネットさん。アネットさんは、この世界で生きていてくれませんか? 僕が勝手なことを言っているのは、分かってます」

『私も一緒に死んでいい?』その言葉を遮るように、リョウはアネットに告げる。アネットと出会った時の口調で。

「リョウは、今になって反抗期なんだね」

「そうかもしれません。……家族を失い一人になってから、僕の中には死にたいという気持ちがありました。でも、今はないんです。それはアネットさんのおかげです。でも、死にたい気持ちはないけれど、生きたいという気持ちも、ハナと再会できた今はないんです。だから僕は、今死にたい」

リョウの真剣な眼差しを、アネットは美しいと思った。

「……分かった」

 (本当は何も分からない。死にたくないなら死なないでいてくれればいいじゃないか、私と一緒にいてくれればいいじゃないか)

「じゃあ、死に方は私が選びます。死んでからお兄ちゃんと一緒のところに行けるように、同じ死に方をしたいんだ。アニーとサクラは気づかれないから大丈夫。アリスは生き残れるといいね。リョウお兄ちゃん、痛いかもしれないけど、すぐに死ねるからね?」

「ハナ……?」「ハナちゃん?」

 ハナの言葉の真意はアネットにもリョウにも分からなかった。でも、ハナの次の言葉ですべてが分かった。

「みんな! 私を食べていいよ?」

 ハナの声が響き渡り、アネットの手元からハナが消えた。

 アネットが抱いていたはずのハナは、飛びかかって来たゾンビ犬に咥えられていった。ハナは地面に転がされ、周囲にいたゾンビ犬もそれに群がり、ハナはすぐに跡形もなくなってしまった。

 ゾンビ犬たちはあとに残されたのは二人の人間に向かって、腹が減ったと言わんばかりに唸り声をあげる。ゾンビ犬たちの目に映るのは、リョウと階段の上でアクセルに寄り添うアリスだけだった。

「ハナ……」

「ハナちゃん、なんでこんな!」

 アネットたちが動揺している間にも、ゾンビ犬はじりじりと近づいてくる。

 アネットはリョウとゾンビ犬の間に立ちふさがるが、ゾンビ犬はハナという統率者が消えたことによって、アネットを捕食対象として感知できなくなっていた。

(……ハナちゃんが言っていたのはこういうことか)

「ねぇ、アネット」

「なに、リョウ?」

二人はゾンビ犬を見ながら言葉を交わす。

「僕は、ハナが望んだことだからこのまま食べられて死んでもいいって思ってる。でも、アリスさんのことは助けられないかな? ハナのことをザビーに話したっていうのも聞いたけど、アリスさんは生存協会に必要な人間だ。それに、メグも帰りを待っている」

「私はさ、アリスさんだけじゃなくて、リョウも人間のまま死ねるようにしたい。ハナちゃんの思いを裏切っちゃうけれど、いいかな?」

アネットは申し訳なさそうに、リョウに聞く。

「アネットがそうしたいなら、僕は止めないよ。最後まで、迷惑をかけてごめんね」

「迷惑なんかじゃない!」

 アネットは目の前にいるゾンビ犬の頭部を砕くべく、足を振り下ろした。

 ゾンビ犬がアネットのことを認識できないのなら好都合である。ハナには悪いが、アネットはリョウをゾンビ犬のエサになどしたくなかった。

 しかし、ゾンビ犬はアネットの攻撃を後ろに飛んで避けた。ゾンビ犬は、じっとアネットのことを見つめ返す。

「ガルルルル、アウッ、アウォォォォォンンンン!」

 その咆哮に共鳴するように、周囲のゾンビ犬たちが一斉にアネットを視界にとらえた。アネットを見据え、ゾンビ犬たちの鳴き声が響き渡った。どうやら、アネットのことを再度認識したようだ。

「……ハナちゃん、このままだと、みんなで再会できるかもしれないね」

 絶望的な状況に、アネットは何故だか笑ってしまう。

「アリスさん! あなたはそのまま階段の上に隠れていてください!」

 リョウがアリスに向かって叫んだ。

「ありがとう! 残弾数は少ないけれど、私はここからゾンビ犬を撃つわ!」

「お願いします!」

 アネットは両手を失った身体で、大量のゾンビ犬に立ち向かった。

 アネットたちの攻撃はほとんど避けられたが、それでも少しずつゾンビ犬は数を減らしていった。

 だが、それも長くは続かなかった。

 アネットはゾンビ犬からの攻撃が蓄積し、リョウの傍で意識を失った。


  *


 サクラとカエデが、アネットたちを取り囲むゾンビ犬たちを追い払った。

「僕は、ずっと死にたいと望んでいた。でも、アネットには生きていて欲しい。僕が死にたくなったらアネットの手で終わらせて欲しいっていう約束は、最初に会った時の約束に戻すよ。さぁアネット、アネットが僕を終わらせて?」

 リョウは、意識を失っているアネットの口に自分の腕を突っ込んだ。


  *


 アネットが目覚めた時、リョウは頭だけになっていた。

 周囲では、サクラがゾンビ犬に噛みつかれていた。それをなんとかカエデが追い払い、アリスが二階からアクセルの持っていた銃で牽制する。

 アネットはすべてを理解し、リョウのおかげで治った身体で、すべてのゾンビ犬たちを殺した。


  *


 戦いが終わった。

 サクラはなんとか生き残ったが、カエデは身を挺してサクラを守り、ゾンビ犬に殺されてしまった。サクラはカエデの遺骸に寄り添っている。

 アリスは階段の上から、アネットたちを見下ろしていた。

「リョウ……」

 アネットは頭だけになってしまったリョウを見つめる。

(ありがとう、大好きだったよ)

 アネットはリョウにキスをした。

 ゾンビであるアネットには、人間であるリョウの感触なんて分からないはずなのに、リョウの唇の柔らかさをアネットは感じた気がした。

 たとえそれが錯覚でも、アネットは構わなかった。

 いつまでもいつまでも、こうしていたかった。



 唇に、痛みが走った。

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