緋《フェイ》──訳アリ少女が拾った男は、最強の狼

十二田 明日

第1話 俺を拾ってくれないか

 西暦2062年の五月。

 横浜の繁華街は夜中とは思えないほど活気に満ち溢れ、煌々と輝いている。しかしその喧騒も表通りだけで、一本裏通りに入ればとんと人気はない。

 寂れた雑居ビルが並び、その合間を轟々と風が吹き抜けていく。


「ふぅ……」


 とある雑居ビルの照明の落ちた一室で、一人の男が佇んでいた。

 風に雲が流れて、月明かりが雑居ビルを照らす。

 闇に浮かび上がったのは、一種異様な光景だった。


 事務所と思わしき室内に、佇んでいたのはスーツ姿の赤い髪が特徴的な長身瘦躯の男だ。

 そこまではいい━━問題は足元に転がるいくつかの死体だ。


 しかもただ死んでいるのではない。

 ある者は頭蓋骨を陥没させ、ある者は内臓を破裂させ、ある者は頸骨を折られていた。

 おおよそまともな殺され方ではない。


「……」


 赤毛の男は何も言わず、月明かりの中で、足元に転がる死体と自分の手をジッと見つめる。

 とその時だった。


 部屋の扉が勢いよく開いて、人相の悪い男たちがなだれ込んできた。

 着崩した派手なスーツに、趣味の悪いギラギラしたアクセサリーを付けている。

 明らかに堅気ではない━━いわゆるヤクザだ。それぞれが手に拳銃を持っている


「くっ!」

(しくじった━━まだ控えている奴がいたのか!)


 赤毛の男は反射的に身をひるがえすと、咄嗟とっさに近くの頑丈そうなソファーを倒して、その裏に身を隠した。


「っの野郎ぶっ殺す!」

「頭の仇だ‼」

「死にさらせぇ!」

 男たちは銃を乱射し、銃声と罵声がこだまする。 

 ソファーはボロボロになってなっていくが、弾は貫通していない。 

 赤毛の男はソファの陰で、逃げ出す隙を伺う。

「どけ! 俺がやる!」

 このままでは埒があかないと思ったのか、一人の男が射撃を中断してバッと左手を掲げる。

 袖を捲ると人の肌ではない、メタリックな質感の前腕が覗く━━男の腕は金属で出来た義手だった。

 手首でスライドして、金属の砲口が露わになる。前腕に榴弾砲グレネードランチャーが仕込んであったのだ。


(正気か⁉)


 ソファーの陰からそれを見た赤毛の男は、即座に背後の窓へと体当たり。窓ガラスを突き破って外へ出た。

 榴弾が発射されたのは一瞬後。

 爆風の熱さを背中に感じて、赤毛の男は宙を舞う。


 部屋は地上三階。約十メートルの高さから、赤毛の男は投げ出された。しかし猫のような身の軽さで、空中でクルリと回転し体勢を立て直す。

 時間にして一秒あるかないか。すぐに地面が迫ってくる。

 着地と同時に限界まで関節のバネを使って衝撃を和らげる。それでも逃がし切れなかった衝撃は、受け身を取るように前転して逃がす。


「逃げんなオラぁ!」


 榴弾の爆発で焼け焦げた窓から、男たちが身体を乗り出して撃ちまくる。降りかかる弾丸の雨を避ける為、赤毛の男は即座に物陰へと走った。


 それでも全ては避け切れない。

 何発かは当たった。

 それでも赤毛の男は止まらない。走り続ける。


「クソッ!」

「追え! 絶対に逃がすんじゃねぇ‼」


 男たちは凶悪な形相をさらに歪め、口々に叫んで後を追った。




 繫華街から離れ、寂れた商店街が残る下町の一角。

 夜気に吹かれながら、一人の少女が気怠い表情で歩いていた。


 十代後半くらいだろうか。メイクの濃い派手な少女だ。ダメージ加工の入ったシャツにホットパンツという露出の多い格好をしている。

 意志の強そうなパッチリとした目が特徴的だ。

 体つきはまだ細いのだが、化粧と服装のせいか、幼い感じはしない。


 広い間隔で設置された街灯の薄明かりに照らし出された少女は、その厭世的な雰囲気も相まって、浮世離れした美しさを持っていた。

 少女は近道をしようと、通りの角を曲がって細い路地に入る。


 いくつもの商店の裏口が並ぶ。

 それらを何となしに眺めていた少女の視界に、見慣れない異物が紛れ込んできた。


「ん──?」


 建物と建物の小さな隙間、そこに誰かが座り込んでいる。

 体格から察するに男性──黒いジャケットとスラックスに、ダークグレーのシャツ。そしてワインレッドのネクタイを緩く締めている。

 ぐったりと壁にもたれかかり、力なく項垂れた姿からは生気というものを感じなかった。


「ウッソ……もしかして死体……?」


 少女は露骨に顔をしかめると、どうしたものかと頭をかく。

 一般的な良識に従えば警察を呼ぶところだが、正直とても面倒くさい。第一発見者として警察に色々と聞かれるのは、遠慮したいところだ。


「でも後で疑われたりすんのも嫌だしなー……やっぱ警察呼んどくか」

「呼ばなくていいよ」

「うわっ!」


 不意に男がボソリと呟き、少女は驚いて小さく飛び下がった。


「死体が喋った⁉」

「勝手に殺さないでくれ、一応生きてる」


 男は俯いていた顔を上げる。

 思ったよりも若い男だ。

 目は細くてタレ目。まるで自然にしているだけで、笑って見えるような顔をしている。髪は赤く、肌は病的に白い。少しだけ少女の好みの顔立ちで、ドキッとしてまた少女は後ずさった。


「あー……ごめん、てっきり死んでると思ったから。ていうかアンタこんな所で何してんの」

「見て分からないか? 行き倒れだよ」


 情けない事をこんなに堂々という奴を、少女は初めて見た。


「何で行き倒れてんの?」

「ん~……仕事で失敗して、帰る家がなくなってね」

「お金は?」

「カードがこの有り様。現金は持ってない」


 男は懐から真っ二つに折れたカードを取り出す。


「ツイてないね……ちょっと可哀想になってきたわ」


 警戒心を抱かせないからだろう。いつの間にか少女はしゃがみ込んで、男と目線を合わせていた。

 そこで男は妙案を思いついたように、


「お嬢さん──俺を拾ってくれないかな」


 と、そんな事を言った。

 思いもしない事を言われて、少女は反応に困ってしまう。


「──は?」

「一晩でいいんだ、捨て犬か何かだと思って、拾ってくれない?」


 犬の真似だろうか。男は握り拳を作って手首を内側へ曲げると、小さく「ワン」と呟いた。


「プッ! 何それ、ちょーウケる」


 成人男性がするにはあまりにも間抜けな格好に、少女は思わず吹き出した。ひとしきり笑ってから、少女は目尻の涙を拭う。


「うんうん、いや良いわホント最高。ツボったわ、マジで……ああ、何か変に悩んでんのがバカらしくなって来たわ」

「よく分からないけど、ウケたなら良かった。それでどうかなお嬢さん」

「ああ……うん、良いよ。今の芸は面白かったし、アンタのこと泊めてあげる」


 少女は少し考えてから頷いた。


「お嬢さんが優しい人で良かったよ。このまま野垂れ死ぬかと思った」

「大げさだなぁ」 


 少女は男に向かって手を伸ばす。


「それとそのお嬢さんって呼び方止めてくれる? お嬢さんなんて呼ばれると、何か気色悪くて落ち着かないから」

「じゃあ何て呼べばいい?」

「アタシは柚香っていうの」

「ユズカ……柚香ね」

「アンタは?」

「俺はフェイ」


 そう言って少女──柚香の手をフェイは握る。

 これがフェイと柚香の出会いだった。

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