午後の想い出
名波 路加
珍しく、晴れた日だった。太陽の光が部屋に差し込んだのは、何ヶ月ぶりだったか。温かく、過ごしやすい午後だった。小さな赤毛の男の子は、ふわふわと宙に浮かぶ“吊り木”を操っている。緑目の女の子は、涙を流しながら可愛い泣き声をあげる“べびぃちゃん”人形をあやしている。今日は近所の子供達が私の家に来ていて、子供達はリビングで各々が持参した携帯圧縮型のおもちゃ箱を開けて、好きなおもちゃで遊んでいる。みんな楽しそうだ。うちのチビを除いては。
チビは、沢山の“めもりー”をおもちゃ箱に入れていた。いつも一人で“めもりー”を開いては、楽しい思い出を浮かべて眺める。それがチビにとっての遊びだった。ほかの子供達が集った今日も、チビは“めもりー”を眺めていた。子供達は自分以外のおもちゃ箱の中身にも興味を示し、時には互いにおもちゃを見せ合い、共に遊んだ。しかし、チビの“めもりー”にはどの子供も無関心だった。チビにとっては、それは面白くない事だった。
やがて部屋に夕陽が差し込み、門限時刻となった子供達を見送った。いつもなら滅多に見れない、何世紀か前には当たり前に見れた幻想的な夕陽に見向きもせず、チビは私に訴えた。
「みんなひどいよ。ぼくのおもちゃのことを、だれも褒めてくれないんだ。みんなのおもちゃも不思議で楽しいけれど、ぼくの“めもりー”だって、楽しくて綺麗なおもちゃなのに」
そう言って、チビは私にしがみついてきた。私は、特殊シリコンで覆われたチビの頬を撫でた。
「ねえ、チビ。チビが好きなものが、みんなの好きなものとは限らないのよ。そこの本棚に沢山の本が並んでいるでしょう。ママは本が大好きだから、ママにとっては本棚がおもちゃ箱なの。でも、パパは本を読まないから、ママの本には興味がないの。それって悪い事だと思う?」
「ママにはママの、好きなものがある。もちろん、パパにもある。パパの趣味は変わっているから、ママにはパパの好きなものはよく分からないけどね。でも、それでいいの。自分の好きなものを捨てずに持っておく事が大切なんだから。チビの“好き”はチビだけのものだから、それを大切にしなさい」
「…⋯ぼくは、これからも“めもりー”を大好きでいていいの?」
私が笑って頷くと、チビはまたおもちゃ箱から“めもりー”を取り出した。
何度も考えた。私達の大切なチビに、“意識”はあるのかと。今や、世界の子供は十分の一がアンドロイドだ。彼等は人間と同じように産まれ、成長し大人になる。外見も言動も、人間のそれとほぼ変わらない。子宝に恵まれなかった我が家に国から与えられたアンドロイドの赤ちゃん。それがチビだった。チビは人間の子と同じように成長し、言葉を覚え、遊びを覚えた。チビのおもちゃ箱に入っている“めもりー”は、チビの記憶そのものだ。チビは自分の記憶を“めもりー”に保存する。それを可視化して客観的に見る事がチビにとっての遊びだが、記憶を脳内に収める人間には記憶を外部に取り出す事は出来ないし、自分の記憶を見て遊ぶような事はしない。
そう、チビはアンドロイド。人間ではない。人間に意識があるように、アンドロイドにも意識があるという事を否定する科学者は多い。アンドロイドであるチビに愛情を注ぐ事を、周囲から冷めた目で見られる事は多々あった。私は、チビを愛していく自信を無くしていた。
それをパパに打ち明けると、パパは少し驚いた表情を見せた。
「君がそこまで思い詰めているとは思わなかったよ。君はいつも笑っていてくれたから。気付かなくてごめん。ただ、チビの“意識”については、気にしなくていいと思うんだ」
気にしなくていいなんて、この人はチビの事を真面目に考えているのかと思った。しかしその考えは私の中ですぐに消えた。この人は、いつだってチビに夢中なのだ。
「俺が君の悩みを理解出来ていなかったように、チビの意識を理解出来ないのは当たり前だよ。他人の心の内側なんて、誰にも分からないんだから。例えばもし、君が実はチビと同じアンドロイドだったとしても、僕には分からない。アンドロイドに意識がなくても、アンドロイドは人間と同じように振る舞うからね。“チビについて悩む母親”という役を、アンドロイドが演じているだけかもしれない。本当の事は、誰にも分からないよ」
「…⋯私をアンドロイドだと思っているの?」
「まさか」
チビが私にやったように、私はパパの胸に顔を埋めた。チビは、私達のチビだ。私達の愛するチビ。
顔を上げると、部屋にはいくつかの“めもりー”が浮かんでいた。すっかり暗くなっていた筈の部屋は、“めもりー”によって、昼間の太陽の光に包まれていた。その光の中で、私とパパが笑っている。私達の笑顔をみて、チビが笑う。この部屋は今、チビが愛するおもちゃ箱となっていた。
午後の想い出 名波 路加 @mochin7
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