第8話 神、戦うを決める。
亡霊だけが残された滅びた国に、龍の剣が姿を変えた少女の言葉が響く。
二柱の神と一人の人間は、その言葉に聞き入っていた。
「死ぬ瀬戸際で、実丈様は龍の声を聞きました。何故己だけがこうも断絶し、孤立し、並ぶ者がいないのかと。……龍は、孤独で
「……だから群れて栄える人間を滅ぼしていたと言うことか」
「ええ。抑えられない衝動を、黒龍は人里へ叩きつけました。この国も、その他の国も、ただ黒龍が荒れ狂ったときに近くにあったために破壊されたのです」
「龍の激情は地を割り、河を溢れさせ、雷を落とす。だからと言ってそのような、己の孤独から来る理由で……」
「そうかな。それは他人と共に生きて来た僕らの理屈だと思うよ。生まれたときから孤独だったら、衝動の治め方なんて知らないだろう」
「人間、お前は龍の肩を持つのか?」
「いや、まったく。どんな理由があったって、殺される側は納得できない。それで、何百年前の女の子はどうしたの?」
「はい。実丈様は怒られました。死の淵にあって、あの方は己と己の故郷を燃やした黒龍に怒り、龍の疑問を愚かなことと嘲笑いました。何故だ何故だと言いながら、破壊と殺戮を行うお前は邪龍だと。そのまま一匹で死んで行けと」
「……阿丈だったらやりかねんなァ」
「ですがそこからは……そこからは、わからないのです。実丈様はそこで気を失われて、気がついたらその体は龍となっていました。龍として、央山の中へ封じられていたのです」
「馬鹿な!あり得ないだろう、そんなことは!」
海玄がまたも吠え、
「黒龍は、実丈のその言葉を聞いたのか?」
「聞いたように私には見えました。実丈様の意識はそこで途切れてしまいましたので、確認はできませんが」
「だが起きたことを見れば、実丈なる少女は己と家族と故郷を焼いた龍に怒りの言葉をぶつけて力尽き、力尽きたと思ったら龍に転生していたことになる。この転生した龍が阿丈、ということだな?」
こくり、と銀の冠を揺らして少女は頷いた。
あー、と濁った声で髪を雑にかき、鵲梁は天を仰ぐ。
「そしてお前を通してこの星繍国の有り様を見、母上を見た阿丈は己の過去を思い出した。あいつと連動しているお前にもその記憶が分け与えられてこうなった、というわけだな。……阿丈の様子はわかるか?」
「非常に取り乱しておられます。でも、大地を砕くには至っておりませぬ。むしろ内側へ内側へと籠られて、殻をつくられ閉じこもろうとしているように感じられます」
「いきなり自分が人間だったという記憶を見たんなら、無理もないよ。でも白兄さん、どうするの?僕たちは薛公子って人を探しに来たけど、それどころじゃないよね」
神二柱が仰天した事実を聞いても、どこか淡々とした歌雲に鵲梁は思案しながら応える。
「……ああ。阿丈が央山から離れられないのは、国を滅ぼし天下を乱した罪で当時の武神たちによって封印されたためだ。が、阿丈の魂が人のもので、星繍国の際龍へ転生したならあいつは何もしていない。……ただし、この話を真実だと天帝の前で証明できればな」
「待て。今の阿丈龍公女が、人間の記憶を簒奪した龍だとしたらどうなるのだ。人間の記憶を奪い、それを己のものだと思い込んでいるだけの龍だとしたら」
「あり得ません、そのようなこと!」
「ならば、人の魂が黒龍に入って何百年も過ごしたと言う話があり得る話だと言うのか、龍剣よ」
「待った待った、お主ら待った。俺たちの中で喧嘩しても何も始まらぬ」
瞳の奥に炎を灯しかける無丈と海玄の間に鵲梁は割って入り、彼らは渋々と引っ込む。
「無丈、では阿丈の記憶の中に薛不寒に関するものはあるか?薛不寒は、この国が滅びたとき共に死んだのか?」
「いいえ!薛公子は星繍国に黒龍が現れたその日、国におりませんでした。実丈様との婚礼の品を整えに国を出ておられたのです。この国が滅んだ後に戻って来られたものだと……」
「……」
星繍国の生き残りは、いくらかいたとされている。
たまたま国を出ていた者ばかりだが、彼らは焼けた国を目の当たりにして遺民として散り散りになったという。
無丈の話からすると、彼らの中に薛不寒がいたのだ。
「無丈、ともかくお前の視点では六百年前この国にいた実丈なる少女が龍へ転生したのが、今の阿丈なのだな?」
「はい。阿丈様の記憶はこうしてここへ来て、お母様の霊に触れるまで戻りませんでした。薛公子と央山で出会われたとき、阿丈様は薛公子がお分かりになりませんでした。わからないままに、阿丈様は薛公子に恋をしたのです。……これは私の考えなのですが、薛公子は道士か何かの修行を積み、不老長寿の術を身に着けられていたのではないかと思います。外見がお若いままでしたから」
「ん……無い話ではないな」
不老長生を身に着ける修行はいくつかある。鵲梁のかつての師匠も道士で、いずれ修行を積んで仙人となって天界へ昇ることを目標としていた。
天界の別名は、神仙界。
つまり、神と仙人が暮らす世界なのだ。
とはいえ、道士となっても仙人となって天界へ昇れる者は極めて稀だ。ほとんどはただの人間として、多少なり不思議な術を使えるだけになって死んで行く。
「無丈、では薛不寒はこの地で死んだ者の中にはいないのだな」
「それは間違いありません。あの方は、この国が滅びた日、この地におりませんでした」
家族と許嫁の少女、友人、故郷。
すべてが燃え尽きたあと帰って来た薛不寒という青年が何を想ったか、何を考えてその後許嫁が変じた龍と何を考えて出会ったのだろう。
そも、彼は龍が許嫁の少女の魂を宿していると知っていたのだろうか。
疑問は尽きない。尽きないが、今は阿丈のほうが気にかかった。
央山へ戻ろうと、そう鵲梁が口に出そうとしたときである。
ドンッ、と地面が下から突き上げるようにして動いた。
土の上に蹲る亡霊が怯えたように顔を上げ、無丈がその肩を支えて庇う。
「無丈、彼女を支えてここにいろ。歌雲、お前もだ」
言って、鵲梁は海玄と二人で結界の外へと飛び出す。
視れば、そこここの土の上から黒い霞の塊が立ち上がって来ていた。
「海玄、お前には彼らが人に視えるか?」
「いや、わからない。あの人の少年、どういう眼力をしているんだ。本当に人か?」
「俺も段々疑わしくなってきたところだ。最早冥府の冥官並みだな。彼らの中には、確か鬼でも神でも仙でもない人もいると聞いたことがあるが」
軽口を叩きながら、鵲梁は動き出した亡霊たちを眺める。
彼らから友好的な気配は感じなかった。この国へ入ったとき立ちはだかった兵士の亡霊と似た、肌が粟立つような敵意の気配を感じる。
自分たちを焼き殺した龍の気配を放つ侵入者を、彼らは追い払おうとしている。
だがそれにしては、先ほどの地震のような揺れが気になった。
亡霊たちだけならば、鵲梁と海玄がいるならばどうにかなる。
夜果がいるのだから、いざとなれば空へ逃げられるのだ。それがあるから、彼らは焦ってはいなかった。
だが、再び地面が大きく揺れ、鵲梁と海玄はたたらを踏む。
「青義道人、上だ!」
「はっ⁉」
海玄に言われて国の上空を見た鵲梁は、口を開けて固まった。
土地の神々が亡霊たちがさ迷い出ぬよう張ったという金色の網の目結界の内側に、一頭の龍がいたのだ。
鱗は漆黒で瞳と鬣は黄金。鉤爪と牙は奇妙なほどに純白。
央山の底の底にて眠りにつく黒龍、阿丈龍公女の本性がそこにいた。
「何故龍がここにいる!?」
「待て、気配が違う。あれは阿丈の本体ではないぞ」
ぐるぐると巨大をくねらせ空を飛ぶ龍は恐ろしいまでの威容だったが、鵲梁は何か違うものを感じていた。
糸の切られた操り人形がふらふらと動くような、魂のない感じがある。
「白の兄さんが正解だと思う。あれは本当の龍じゃない。この土地に染み付いた幻霊、亡霊たちの記憶から汲み出された記憶の具現だよ」
何食わぬ声で後ろから声をかけてきた歌雲は、鵲梁が叫ぶ前に遮った。
「ごめんよ、外に出てきて。でもあんな龍が出てきちゃあ、どこにいても同じだからね」
「あーもう……そりゃそうだがな!記憶の具現と言うことはあれは幻か?」
「ある意味では。だけど─────」
「危ないっ!」
海玄の声に反応し、鵲梁は彼と共に剣を抜いて掲げた。
二柱の神が抜いた剣の鋒から迸った燐光が半球状の盾をつくり、黒龍の吐いた炎を二筋に分けて逸した。
黒龍は地上の神と人間を意に介してもいないのか、一度炎を吐いただけでまた別の場所へと頭を巡らせる。
「……わかった。幻は幻でも、破壊力のある幻というわけだな」
「呑気に言っている場合か!あれでは鳥の背に乗って飛べもしないだろうが!」
「だろうな。しかもあの龍の下を見てみろ」
龍の影のその下にいる亡霊たちが、蛇体に吸い取られるようにして影を薄くしていく。彼らは苦しむように身を捩っていたが、抗う術はないようだった。
「まずいよ、亡霊たちが飲み込まれた分だけ、龍のあの記憶は存在を強めてく。おしまいにはもっと強くなって手が付けられなくなるよ。倒すなら今のうちだ」
「……飲まれた亡霊は、どうなるのだ?」
「もう駄目だね。魂が砕けてしまう。どうやったって冥府には渡れないし、あれを倒しても諸共消えるしかない」
「……そうか。なら、戦うか」
亡霊の中には、子どもだったと思しい小さな影もいる。
青義道人という神になったとき刻まれた【子を守る】という神格と、元の人間の人格が持っていた性格が、鵲梁にそう言わせた。
とはいえここで逃げる性格だったならば、白鵲梁は神などに至っていなかっただろう。
「おい海玄、俺の正気を測るようなその目はやめてくれないか。逃げるのが無理となったら、戦うしかないだろう。幸いにして、あれは幻が半分ばかり肉を得たようなものだ。本物の龍には程遠い」
「……一理はある。私も龍殺しの眷属神として戦おう」
「応。その息だな」
反対するかのように忙しなく鳴き始めた肩の上のカササギの頭を撫でて落ち着かせながら、鵲梁は巨大な夏の黒雲のように頭上に留まる龍の巨体を睨みつけたのだった。
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