縁結び神、龍の恋路を探すのこと

はたけのなすび

第1話 神、荒ぶる。

 人々が、数多の神々を崇める世の物語である。

 天を押し上げ地を支える央山おうざんの底には、一柱の神が封じられていた。

 

 神の名は、央山龍公女おうざんりゅうこうじょ阿丈あじょう

 

 だが神と言っても、彼女は穏やかな神ではない。

 国を幾つも滅ぼしたために山底へ封じられ、そののちも暴れたために、生贄を必要としたほどの荒ぶる龍神であった。

 

 龍神が封じられた山の奥底からは、今日も唸り声が響いていた。

 

「退屈よっ!退屈なのよ!鵲梁じゃくりょう!もういや!あたし、もうずぅっとここにいるじゃあない!いつまでいればいいのよ!」

 

 山底にある神の宮殿にて喚き散らす龍神・阿丈は、十代半ばの少女の容姿をしている。

 瑠璃瓦の宮殿の寝台の上で転がりまわるのは、緋色と白の衣を纏い、豊かな白髪を黄金の冠で飾る可憐な少女。

 彼女こそ、宮殿の主たる龍神なのだ。

 少女が怒鳴り散らす相手は、鵲梁じゃくりょうという名の青年。

 見た目は二十歳にもならぬ年若い外見をしているが、彼もまた人ではない。

 二百年前ほど前、神に命を捧げたのち転生した元人間であり神であった。

 

 本名は、はくはく 鵲梁じゃくりょう


 鵲梁は白い髪紐で黒の髪を束ね、青鈍色と白の道服を着て背中に黒鞘の剣を吊った道士然とした風貌をしている。

 優しげな整った顔立ちだが目を惹く美男子というほどではなく、ただ人に好かれやすそうな柔和さはあった。

 神らしいきらびやかさや厳かさは欠片もない、どちらかと言えば質素な出で立ちだが、これが神としての彼の正装なのだ。

 尤も、容貌自体は人間として死んだ十八歳から変わっておらず、少女姿の龍神とならべば兄妹と言っても通りそうな年回りとなる。

 特徴なく秀麗な顔に困惑を浮かべ、鵲梁は龍神の少女をどう宥めようかと考える。

 彼も央山州一帯で信仰を集める神なのだが、龍神ほど強大な力はない。

 今回、阿丈の荒れ狂いを察知して普段の住居である廟から飛び出し、山の奥深くへ降りてきたのだ。


 他の神の領域へ踏み込むことは、それなりに力を消費する。

 特に、可憐な見た目の龍公女は、彼と異なり生まれたときからの生粋な神の力を持っているのだ。

 彼女の癇癪の爆発はすなわち地震や火山の噴火に繋がる。

 彼は阿丈の機嫌を宥めるべく、いつものように彼女の宮殿にまで降りてきたのだが、今回の阿丈の爆発は一向に収まりそうにない。

 しかし、いつまでここにいなければならないのかと叫ばれても彼にもわからなかった。

 彼女がここに封じられているのは、数百年前に国を幾つも滅ぼし、地上を荒らしまわるという大罪を犯したためである。

 その際の力があまりに凄まじかったため、人間の間には彼女を神として祀ることでその怒りを抑えようと言う信仰が発達していた。

 

 国を滅ぼした龍に、未だ神としての名が与えられているのはこの恐れが信仰心として扱われているためだった。

 そこに、天地を支える央山への古い信仰が結びつき、央山龍公女は山神と荒ぶる神という二つの側面を持つ女神として今も君臨していた。

 彼女と対照的な崇められ方をしている鵲梁は、首をゆっくり傾げた。


「龍公女よ、俺が神となる前よりここに在る貴女あなたにわからぬなら、俺にもわからんよ」

「うぅぅぅぅっ!」

 

 少女は、枕に顔を埋めて足をばたばたと振る。

 この少女の体は、元々は阿丈が他者と会話するためにつくった器である。

 中に収まっているのは、本来巨大な蛇体に宿る龍の魂のはずなのだが、二百年もこの器を使っているからか央山の龍公女はすっかり少女のようになっていた。

 最低でも五百年は生きている龍神のはずなのだが、阿丈は人間の並みの十三歳の少女よりも言動が幼く我がままですらある。

 さらに今回の癇癪の破裂は、常と異なり終わる様子がなかった。

 

 ひとしきり寝台の上を端から端まで転がったあと、阿丈はがばりと身を起こして鵲梁に指を突き付け、吠えた。

 こうまでじたばたして髪が乱れないのは、最早神通力の類だろうと鵲梁はいささかずれたところで驚く。

 

「鵲梁っ、お願いよ!人を探しなさいっ!あたしのとこから逃げた薛不寒せつふかんを捕まえてくるのっ!」

薛不寒せつふかん?その者は誰だ?」

「あんたが神になる前、ここにいた人間っ!地上に行きたいって言ったから帰したのに、まだ帰って来ないのっ!」 

「……すまぬ。何年前の話をしているのだろうか?俺が神となる前では、二百年は昔になるのだが」

「そんなの知らないっ!あたしはずっと寝てたもん!あんたみたいに口うるさくない不寒を連れて来て!」

 

 天地を支える五つの柱山の一つ、央山を司る龍神にこうまで言われてしまえば、二百年と少しの若い神に逆らえる力はない。

 こうして、人上がりの青年神は龍神からの頼みごとを引き受けることとなったのだった。



■■■



 ある秋の日のこと。

 底に龍神を封じた央山が、唐突に爆発し火を噴いた。

 その火は地上へ落ちて流れることはなく、真っ直ぐ上へ立ち上って火柱となり、天界へも届いた。

 天に至るその柱は天界の神々を恐れさせ、また地上の人間たちの肝を潰し、それを最も間近で見た神は頭を抱えていた。

 

 誰あろう、白鵲梁である。

 阿丈の不機嫌の原因を知る彼は、火柱がついに彼女が爆発した結果の代物だと知っていたし、どうにかせねばまた彼女が山を爆発させるだろうと予想できた。

 幸いにして、彼女は地上へ被害を及ぼすことなく、天界の雲を炎で焼いただけだろうが、いつまでその理性が続くか定かでない。

 ただの我が儘娘ではなく、彼女は封じられるまでに国をいくつか滅ぼした生粋の荒ぶる神でもあるのだ。

 

 彼女の不機嫌の原因はただ一つ、かつて己に仕えていた薛不寒なる人間が行方知れずになったこと。

 そして機嫌を直す方法もただ一つ、その人間を見つけて阿丈の前へ連れて行くことらしい。

 だが、二百年も前の相手となるととうに死んでいてもおかしくない。

 鵲梁のように神になるか、或いは鬼にならない限り、薛不寒という人物はとうに消え失せている。

 だというのに阿丈の騒ぎようは、薛不寒が死んでいるとはまったく考えていないようだった。

 彼は生きていて、何かの事情で己の元へ帰って来ないだけ。ならばその事情を粉砕してでも彼を己の元へ連れて来い、とこう来ている。

 封じられた己は外へ出られないから、自由に外をうろつけるお前が探してこいとお願いされてしまったのだ。

 

 ───原因は理解した。だが、俺に人探しだと?そのような力、持っていないぞ。

 

 彼はそうして、地上の己の住居たる廟で一人悩んでいたのだ。

 央山を中心にした央山州には、白鵲梁を神として祀る廟が幾つもある。

 鵲梁はとある街に建てられた最初の廟を拠点として、普段はそこにいる神だった。

 

 鵲梁が居着く【白橋観びゃくきょうかん】は阿丈の廟と比べれば小さいが、塀の中は常に掃き清められ、線香の煙が常にたゆたい、食べ物が供えられている。

 青色に塗られた瓦屋根を頂く廟の中には、一体の木像が置かれていた。

 木像は剣を右手に持っているが、武神というには顔つきが穏やかで呑気。口も歌でも歌っているかのように微かに開いて、白い歯が覗いている。

 左手には子どもの玩具である毬を手にしており、子どもに戯れ歌でも聞かせている場面を切り取ったようだった。

 それこそが、【青義道人せいぎどうじん】、白鵲梁はくじゃくりょうを象った神像である。

 

 鵲公子かささぎこうしの異名も持つ彼が司るのは、戦いでも財運でもない。

 子どもの守護、そして男女の縁結びである。

 青義道人は手にした剣で子を守りながら、毬と歌で子どもを優しく寝かしつけ、御伴である鵲は男女の仲を取り持って子どもを授けてくれると信じられているのだ。

 一柱で、縁結びと子授けと子守りを司っているため、主に母親と子ども、子を望む若い夫婦や若い娘からの信仰が篤い。

 子を守ることに関しては高い力を持つが、それ以外、たとえば大河の水を操ったり天から雷を降らせたりと言った神らしい派手な能力はほとんど持ち合わせていなかった。

 

 尚、知らぬ間に縁結びの神の面まで与えられた彼だが、人のころは童貞の道士だったので色恋の経験はまったくない。

 

 ───これで、俺にどうしろと?

 

 そう考える鵲梁は、煮詰まった頭をほぐすために空を見上げて仰天した。

 青空を切り裂き、央山の方角から一本の剣が真っ直ぐに飛んで来ていたのだ。

 慌てて一歩下がった鵲梁の脚元に剣は突き刺さり、砂塵を巻き上げながらぶるぶると震えた。

 

 ───この剣を、拾えと言うことか?

 

 央山から飛来してきたのなら、剣は阿丈が送って来た物だろう。

 一応自らの願いのために手助けをしてくれるつもりはあるようだと、鵲梁は柄に手をかけた。

 と、頭の中に声が響く。

 

『初めまして。私はあなたを支えるよう仰せつかって来た龍剣りゅうけん無丈むじょうと申します。よろしくお願いします。白家はくけの若君、白公子はくこうし

「……応。こちらこそよろしく頼む」

 

 剣の柄を握ったとたんに頭の中に響く声に、鵲梁は軽く応えた。

 声は抑揚がないが、しっとりと耳に心地よい若い女性の声だった。

 この剣はおそらく阿丈が自分の力の一部を切り取り剣として投げたもので、彼女の分神に近いだろう。

 両刃の剣で重すぎず軽すぎず、長すぎることもなく、丁度良い。

 鞘は無い剣を両手で目の高さに掲げ、鵲梁は柄を叩いた。

 

「龍剣殿、お前は阿丈と繋がっているのか?こちらの様子はお前を通じてあちらへ伝わると考えてよいか?」

『はい。私は阿丈様の力を分けられ、あの方と感覚をいくつか共有しておりますので。その他、何か質問があればお応えします』

「そうか。ならば、まず薛不寒せつふかんについて教えてくれないか?探せと命ぜられたものの、俺はその者の人相や性格をまったく知らん。男か、女か?」

『男です。薛公子は、阿丈様が好いておられた相手です』

「おっ?」

『はっきり申せば、恋仲であられました。阿丈様は薛公子を、薛公子は阿丈様を慕われていたのです』

 

 意外な答えに、鵲梁は目を瞬かせた。

 

 人と龍が恋に落ちるとは、珍しい。

 

 何しろ、龍の本性は蛇の体に角と髯と鉤爪を持った恐ろしい見た目だ。

 しかも山をひと巻き出来るほどの巨体で、恋をしようにも人が近づくことすら難しいのだ。

 

「俺に、龍神から逃げた恋の相手を探して来いと言うのか?」

「……ええ、そうなります。女人に縁のなかった道士の鵲梁殿に、恋仲の拗れは難しいかと思いますが……」

「はっきり言うなよ。それに俺がこうなる以前なら二百年は前だろう。並みの人なら死んでいるぞ」

『薛公子は力ある道士でした。阿丈様からの気も受け取っておられたので、並みの人間とは訳が違います』

「……となると、生きているはずなのに帰って来ない相手を探せと言うのか?さらに話がややこしいぞ」

 

 自慢ではないが、鵲梁は元々旅の道士であり、無丈の言うように色恋沙汰にはまったく明るくない。

 縁結びの神であるのにもかかわらず、だ。この大いなる矛盾は、訂正される気配もとんとないから鵲梁はもはや諦め気味だった。

 道士になる以前も、女人に歌を送られたこともなければ、手を繋いだこともない。見事なまでに、凪の日々だったのだ。

 

 その自分が二百年も前に姿を消した恋人を探すのは、いくらなんでも無茶に思えた。

 見つけたとしても、阿丈の前まで首に縄をかけて引きずっていかなければならないかもしれない。

 

『しかしこれは、あなたにも無関係な話ではありませんよ』

「ん?」

『阿丈様は時折こうして、薛公子がいないことの寂しさに耐えかねて爆発してしまわれます。二百年前、薛公子が戻られないことを悟ったときの阿丈様はとくに酷かった。己を己で傷つけてしまうほど暴れられ、地を揺らし、人々は恐怖しました。ですが、己の生命を捧げたことで結果的に地を鎮めた者がいました。それがあなたです。白公子はくこうし

 

 それまで他人事に感じていた、龍と人の恋物語がまたも思わぬところから己の方へ転がり、鵲梁は目を瞬かせた。

 確かに彼は、二百年ほど前に阿丈に自らの命を捧げて地震を治めたことがある。その際の行動が、今の彼に向けられる信仰の源でもあった。

 

『伝説はこう語っています。昔々、央山が揺れ、天地が震えたとき、神の怒りを和らげようと自ら名乗り出て、地の底に消えた旅の青年がおりました。彼が地に呑まれたあと不思議と央山の揺れは止まり、人々は安らかに暮らしたと。……ご存じでしょうが、青年に助けられた人々は彼を神として祀りました。これが青義道人・鵲公子こと白鵲梁。つまりはあなたです』

 

 その通りだったと、鵲梁じゃくりょうは廟の中に置いてある石造りの椅子に座り、己の像をふり返って眺めた。

 象は丁寧に作られており、衣のひだや髪も精巧にできている。大きさは鵲梁とほぼ同じ等身大だ。

 青年の脚元と肩にいる二羽の鵲も、今にも翼を広げそうなほど良い作りである。

 剣は銀色に、毬は赤と黄金に、衣は青と鈍色に塗られており、鮮やかだが派手過ぎない色でまとめられていた。

 廟と神像が作られたのは、百年は前のこと。

 だが、信者たちはこの像を大切にし続けているのだ。

 

『付け加えますと、この二百年の間、青義道人に祈れば山の揺れを鎮めてくださると言う信仰もじわじわ広がっているようでして……』

「山神の面まで俺に押しつけるなよ。それを阿丈が知ったら、今度こそ地を割らないだろうか?」

『なさりませんよ。主も、二百年前自らを抑えられなかったことを深く悔やまれておいでですから。それに、阿丈様を宥めるために白公子があれこれ手をつくされていることは真実です』

 

 渋い顔で、鵲梁は頬をかいた。

 過去の話がねじ曲がって美談になるのはよくあることと思っていたが、己が当事者になったことはなく、何度聞いても慣れない。

 鵲梁は阿丈と関わったことで神となったのは確かなので、彼女の世話を今でも焼いてしまうのだ。

 だが、阿丈を嫌ったことはない。

 二百年前の伝説は、真実ではないからだ。

 

 二百年前の出来事をどうこう言う気は、鵲梁には既にない。

 無さすぎて、阿丈が何故二百年前暴れたかも実を言えば聞いていなかったし、知らなかった。

 それでも虚しさとも違ううそ寒さをまたしても感じ、青年は己で己の二の腕を撫でた。

 この寒さは、己を神たらしめる昔話を聞くたびに起こるのだ。

 もう一度よく見てみれば、木像はなんとも覇気の無い顔をしている。

 剣を持っているが、あまり強くなさそうな立ち姿なのだ。自分のことであるから尚更そう思う。

 まぁ男女を結び、子を授け子を守り子をあやす神が、武神のように恐ろし気な顔をしていても問題だろうが。

 軽くため息を吐いて、鵲梁はこめかみをかいた。

 

「童貞の道士に縁結びの神を任せた上、恋仲の人と龍を再び会わせる役目まで渡すなど、どうなっても知らんぞ」

『……しかし、阿丈様に親しく声をかけてくださる神はもはや青義道人であるあなたぐらいしか』

「わーかっとるわい。頷いたからにはやってみせようさ」

 

 これでも神ゆえな、と鵲梁はこんこんと無丈の柄を指で叩いた。

 この世、この中原の大地において、人は神となれる。

 道士は修行を積むことで神にも近い仙人になることを目指すし、事実仙人へ至った道士が神として信仰を集めている。

 

 天地開闢から存在する太古の神々や、龍の姿を持つ生まれながらの神もいるが、人から神へ至る者も増えており、とにかくこの世には多くの神々がひしめいている状態だった。

 しかも、この世にいるのは生者と神だけではない。

 

 怨念を抱いて死んだ人間が転じる【鬼】もいるのだ。中には神を打倒すほどの力を得た鬼もおり、彼らは地上に住んで人と関わり、害してもいる。

 さらには地の底に、死した人間の魂を管理するあの世、冥府もある。

 冥府には冥府の神々や鬼がいて、彼らが魂の転生という循環を回していた。

 大雑把に言えば、神と仙人が住まう天界、人と鬼が混ざる地上、神と死者が混ざる冥界、とこの世は三つに分かれている。

 だが神々の中にも龍神・阿丈のように地上に留まるもいれば、人の中に鬼を倒せるほどの力を持った道士もおり、地上は常に混沌としていた。

 鬼と人、人と鬼、鬼と神、神と人は混ざり合っているのだから、然もありなん。

 

 鵲梁は椅子からふと立ち上がり、無丈剣を振って手に馴染むかを確かめる。まさにそこで、廟へ入らんとする人間がいることに気がついた。

 鵲梁と同じか少し歳下に見える、背の高い黒衣の少年である。


 彼は、呆然と鵲梁の顔を見ていた。

 今の鵲梁は、神としての力を使って隠れている。並みの人の眼に彼の姿も無丈の姿も映らないはずなのだ。 

 だが彼は、しっかりと鵲梁を捉えていた。

 

 珍しい群青の瞳の中に、戸惑い顔の自分の顔が見えて鵲梁は我に返った。

 

 ───しまった。

 

 この少年、恐らく【視鬼しきの瞳】がある。

 死者の魂や隠れた神、鬼を見破る人間のことで、稀に人間の中に生まれる特異な能力者である。

 少年の眼には、廟の中で我が物顔で剣を振り回し、言葉を交わしていた奇妙な青年の姿がしっかり見えてしまっているのだ。

 

「すまない。この村の者か?俺は修行の旅をしているのだが、何か間違ったことをしてしまったのだろうか?」

 

 とっさに絞り出した言い訳は何とも不格好で、少年はその瞬間、鵲梁が怯むほど鋭く目を光らせ、一瞬で距離を詰めてくる。

 そうして、人間の腕ならば骨が軋むほど強く鵲梁の腕を握った。

 けれどすぐさま掴んでいた彼の腕を離し、少年はにこりと微笑んだ。

 

「兄さん、ただの旅の道士じゃないだろう。その帯の刺繍飾りは、随分古い時代のものだ。それにこの央山州で、青と鈍色の衣を纏う者はいないよ。旅人であってもね」

「何故だ?」

「何故って、青と鈍色はそこの青義道人の色だから。恐れ多くて皆避けるんだ。それに、兄さんは腕に脈がない。となると人じゃない。鬼か神だ。この廟に入って何食わぬ顔をしているんなら、神のほうだと思うけど」

「……やぁ、これは参った。降参だ」

 

 青と鈍色の衣がこの土地で使われない理由を、鵲梁は当然知っている。知っているが、つい流れで尋ねてしまったのだ。

 とうとうと語る少年に言い返され、両手を上げて鵲梁は肩をすくめた。

 

「俺は神のほうだ。鬼ではないよ。えらい神に命じられて人探しに来たのだ。お前はこの神の信者か?」

「似たようなものかな。僕は歌雲かうんしょう歌雲かうん。気ままに旅をしてるんだ」

 

 いきなり本名を口にした少年に、鵲梁はほぼ悲鳴のような声を上げて仰け反った。

 

「ぅおいっ!人でないものにほいほい名を名乗るなよ少年!悪しき神もいるだろうが!」

「なら、兄さんは悪しき神かい?」

「……人並みに悪いこともできる神だ」

 

 洒脱に構える、どうも調子が狂う少年から一度目を逸らし、鵲梁は空を見上げる。

 見上げて、そこで鵲梁は気づく。

 

 空から、黄金の光の柱が地上へ伸びている。

 

 その中にぼんやりと人の形をした何かが浮いているのが見えた。

 雲の向こう、空の果てよりも更に上にある領域から、何者かが降りてきたのだ。

 

 天からああして降臨するのは、まず間違いなく神である。しかし、他の神の領域にああも派手に降りるのは普通あり得ない。

 なぜなら、他の神の領域で神が力を大勢の人間に目撃されることは信仰を揺らがし、力を削ぐことにも繋がりかねない。

 神の力は捧げられる信仰の質や量で決まるために、ほとんどの神々は自らの信仰を保ち続けることに必死である。

 鵲梁も阿丈の領域へ踏み入ったが、そのときはこっそりと隠れるようにして行った。

 荒くれ龍公女阿丈の縄張り、央山に堂々と降りる神など、ここ数百年なかったはずなのに!

 

「少年、俺は行くところができたからもう行く。どこか宿を取ってそこにいろ。外へ出るな」

 

 言って鵲梁は光の方へ走り出し、すぐ後ろに少年がついて来ているのに気づいてぎょっとした。

 歌雲は、鵲梁にまた笑顔を向けた。

 

「面白そうだから、僕もついて行くよ。大丈夫、自分のことは自分でできるから」

「しかしな────」

「帰れって言っても、僕は帰らないから。絶対にね」

「……俺が帰れと言えば、すぐ帰れよ」

 

 走りながら、少年はやけに嬉し気に鵲梁の一言に頷いたのだった。

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