第50話 義脛、都落の事2

■文治元年(1185)11月

 西国に名高い月丸つきまるという大船に、五百人の家来を乗せて、財宝を積み、二十五匹の馬も乗せ、四国を目指した。

[訳者注――四国へ向かったのは、おそらく四国の地頭となった行家のためであろう]


 船の中、波の上の住まいは物悲しいものである。


 伊勢の海人の濡れた衣のように、乾く間もないほどである。


 入り江の葦の葉に繋ぎ置かれた藻苅舟もかりふねも、荒磯を漕ぎ分けて船を出せば、浜辺の千鳥の声が、悲しみを知るかのように鳴いている。

[訳者注――藻苅舟は藻を刈るのに使う小舟のこと]


 霞の中を漕ぐ時は、沖にかもめが鳴く声も、敵の鬨の声かと思えた。


 風に任せ、潮に従って進み行くほどに、左手に住吉明神(大阪市住吉区)が、右手を見れば西宮神社(兵庫県西宮市)が見えたので伏し拝む。

 蘆屋の浦(兵庫県芦屋市)や生田の森(神戸市生田神社の森)をよそに見て、やがて和田の岬を漕ぎ過ぎれば、淡路の瀬戸も近くなった。


 淡路の絵島の磯を右手に見ながら漕ぎ行くうちに、時雨の間より見れば、向こうに高い山がかすんで見える。


 義脛は船の中でこれを見て、


「あの山はどこの国の何という山か」


「あの山でございますか、なになにの山でしょうか」


 などという者ばかりで、どこの山とはっきり見定めた者はいなかった。


 武蔵坊弁慶は船端を枕にして寝ていたが、がばと起きて、船枻の平らな板に立って言った。


「そんなに遠くの山ではありません。遠くにあると思うから遠いと感じるのです。あれは播磨国の書写山です」

[訳者注――書写山といえば『書写山が炎上の事』にも出てくる。逃げ出した弁慶が焼いた場所である]


「あの山が書写山なのは知っている。わたしが気にしているのは、あの山の西の方より黒い雲が急に大きくなっていることよ。日が西へ傾けば、きっと大風が吹くだろう。風が吹き始めたら、どの島でも構わぬ。荒磯でもいいから船を急ぎ上げて、人の命を助けよ」


 それを聞いた弁慶はこう言った。


「あの雲の様子を見るに、普通の風雲ではないでしょう。わが君はいつの間にお忘れになられたのですか。平家を攻めた時、平家の君達の多くを波の底に屍を沈め、苔の下に骨を埋めましたが、その時に申されたのを今のように思い出します」

[訳者注――この辺りは屋島の戦いの場所に近い]


「あの時、『源氏は八幡大菩薩が護ってくださる。どんなことがあろうとも安穏である』と申されました。そして確かに無事でしたが、此度これは我が君にとって悪い風でございましょう」

[訳者注――あの時は義脛の神がかり的な行動もあり、平家を一気に討ち破ることができた]


「あの雲が砕けて船にかかれば、我が君が無事に四国へ渡ることはできますまい。我らも二度と故郷へ帰ることはできないでしょう」


 それを聞いた義脛は、「どうしてそんなことがあるだろうか」と言った。


「我が君はこれまでも度々、この弁慶が申し上げたことをお聞き入れず、後悔されたことがございます。ご心配でしたら、わたしが何とかしますからご覧にいれましょう」


 柔らかい烏帽子を押し被った弁慶は太刀や長刀は持たず、白箆の弓に白鳥の羽を取り揃え、舳先に立った。


 そして誰かに向かって語り掛けるように、かき口説くような調子でこう言った。


「天神七代、地神五代は神の御代。神武天皇より四十一代の帝のこのかた、保元、平治の乱という二度の合戦に及ぶ戦はなし。これら二度の戦に鎮西八郎為朝殿は、五人張りの弓に十五束の矢を射て名を上げた。それより後は絶えて久しい。ならば源氏の家来の中に、この弁慶も形のごとく弓矢を取る者として、屈指の者と言われております」

[訳者注――鎮西八郎という名前でも有名な源為朝は強弓を扱うことでも知られていた]


「これより風雲の方に向かい射かけますが、あれが風雲ならば射ても消え失せることはない。だがあれが平家の死霊ならば一溜まりもないはずである。もし霊験がなかったならば、日頃から神を崇め奉り、仏を尊び参らせることも意味がなくなるであろう」


「わたしは源氏の家来ではあるが、由緒正しき侍である。天津児屋根の子孫、熊野別当弁生べんしょうの子、西塔の武蔵坊弁慶なり」


 そう名乗りを上げて矢継ぎ早に次々と矢を射ると、冬空の夕明かりの中で海の水面が光り、どこに矢が落ちたかはわからなかった。


 だがどうやら死霊だったようで、かき消すように黒い雲はなくなった。


 船に乗っていた人たちはこれを見て、


「ああ、恐ろしい。武蔵坊がいなければ、大事になっていたところだ」


 と言い合った。


「漕げ、者ども」


 と言って漕ぎ進む。


 淡路国水島の東をかすかに眺めながら進むと、さきほどの山の北の中ほどに、また黒雲が車輪のような形で出てきた。


 義脛が「あれはどうか」と弁慶に訊ねる。、


「あれこそ風雲です」


 と言い終わらぬうちに強風が吹いてきた。


 季節は十一月上旬のことだったので、霰が交り、東西の磯もはっきりと見えない。


 山の麓はさらに風が激しく、摂津国の武庫山むこやま(六甲山の別称)おろしは日が暮れるにしたがってさらに激しくなった。

[訳者注――いわゆる六甲おろしである]

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