第42話 土佐坊、義脛の討手として京に上る事4
■文治元年(1185)10月
武蔵坊弁慶は義脛の館に人がいないのではないかと思い、酒盛りの途中で宿所に戻ってきた。
義脛は弁慶を見てこう言った。
「よいところへ来た。たった今このような事があったのだ。江田を使いにやったのだが、土佐坊が返事をするままにのこのこ帰ってきおった。だから江田は勘当した。お前が行って土佐坊を連れて参れ」
「わかりました。はじめからこの弁慶に命じられておればよろしかったものを」
そう言って、弁慶はすぐに出て行こうとする。
「侍を何人か連れて行け」
「人が多くては相手に警戒されましょう」
そう言って弁慶は、直垂の上に黒革威の鎧、
そして義脛が大事にしていた
中庭の縁の際まで馬を寄せると、縁にひらりと下りる。
簾をざっと打ち上げてみれば、土佐坊の家来たち七、八十人が座敷に並んで、夜討ちの打ち合わせをしている。
弁慶は多くの兵たちの中を挨拶もせずに踏み越え、土佐坊が座っているとなりに憚りもせず鎧の草摺を押し付けて座った。
[訳者注――服が触れあうぐらい近い距離である]
そして座敷を睨み廻し、その後に土佐坊をじっと睨んだ。
「たとえお主がどんなお人の代官であれ、京へ来たのならまずは堀川の判官殿を参って関東の様子を申し上げるべきである。今まで参らなかったのは無礼にもほどがある」
土佐坊が言い訳をしようとしたので、弁慶は言葉を遮った。
「言いたいことがあれば判官殿の御前で言うがいい。さあ来い」
そして土佐坊の手を持って引き立たせた。
それを見た土佐坊の家来たちは顔色を変える。
土佐坊が覚悟をしているのならば打ち合いをするつもりだったが、土佐坊は顔色を失って返答もままならないでいた。
結局、「すぐに参りましょう」と申すだけだった。
家来たちも仕方なく、
「しばらく待たれよ。馬に鞍を置きますゆえ」
と言うのを、
「この弁慶の馬がある、今まで乗ってきて疲れた馬に鞍を置いてどうなる。早く乗れ」
[訳者注――土佐坊たちは鎌倉から京都までかなり急いでやってきたこともあり、馬は疲弊していた]
土佐坊も大力の持ち主だが、弁慶に引き立てられて、縁の際まで連れ出される。
弁慶の雑兵は心得て、縁の際に馬を引き寄せた。
弁慶は土佐坊を抱え上げ、鞍壺にやあっと投げ乗せる。
弁慶も馬の尻にしっかり乗ったが、手綱を土佐坊に取らせてはよろしくないと思い、後ろから握った。
そして鞭と鐙の拍子を合わせて六条堀川に馳せ着き、土佐坊を連れてきたことを申し上げた。
義脛は南向きの広縁に出て土佐坊を近くに呼び寄せる。
酒が入っているせいか赤い顔をした義脛は京に上った訳を訊ねた。
「鎌倉殿の代官として熊野へ参るためです。明日の明け方に立つ予定ですが、今夜は風邪を患ったようで、こちらへ参らずにおりました。ところが重ねてお使いを受け、畏れ多くこうして参った次第でございます」
土佐坊は陳謝しつつ答えた。
「お主はこの義脛追討の使いだと江田が聞いたと言っていたぞ。もっとも、その江田はお主に軽く扱われたことを咎めて勘当したのだがな。どうして偽りを申すのか」
「まったく根も葉もない噂話でございます。きっとその者の讒言でございましょう。いずれにせよ義脛殿には関わりのないことにございます。熊野の権現も必ずや見ておられることでしょう」
「西国の合戦で傷を負い、いまだその傷も癒えない者どもが、生傷を負ったまま熊野参詣とは笑止千万だな」
「そのように傷を受けた者は一人も連れておりません。熊野の三つの山には、山賊が満ち満ちていると聞いております。そのため若い者たちを少々連れておるのです。それを誤解されたのでしょう」
「お主の供の者どもが『明日、京都は大戦となるであろう』と申したと江田が言っておったぞ。それも偽りと申すか」
「そのような他人に無実の罪をきせる者の話を申し付けられても、わたしには陳謝のしようもございません。どうかご容赦いただきたく存じます。それでもお疑いでしたら起請文を書かせていただきます」
「神は非礼を赦しはしないという。よくよく考えて起請文を書くがいい」
そして熊野の牛王の裏に書かせた。
「三枚は八幡宮(京都府八幡市にある石清水八幡宮)に納め、一枚は熊野に納め、残る三枚は土佐坊の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に納めよ」
と申して、起請文を焼いて土佐坊に飲ませた。
[訳者注――起請文に書いた内容を破れば神仏の罰が当たると当時は考えられていた。起請文を焼いた灰を水に入れて飲み干すのは、神々もこの誓いに立ち会っていることを意味する]
この上はと土佐坊を赦免した。
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