第36話 義脛平家の討手に上り給ふ事1

■元暦二年(1185)3月

 義脛は寿永三年に上洛して、平家を京から追い落とし、一ノ谷、屋島やしま壇ノ浦だんのうらのところどころで忠義を尽くし、先陣を駆けて身を粉にして、ついに平家を攻め滅ぼした。

[訳者注――たった一行で平家の滅亡が語られている。まさに行殺である]


 平家の大将軍である前内大臣・平宗盛むねもり父子(平清盛の三男、宗盛とその嫡男、清宗きよむね)を生け捕り、三十人の捕虜を引き連れて凱旋した。


 そして後白河院と後鳥羽天皇にお目にかかって後、さる元暦元年(1184)に検非違使の五位の判官になった。

[訳者注――元暦元年は寿永三年と同じ年である]

[訳者注――検非違使は京都の治安維持を預かる役職で、今でいえば警察庁長官のような役目である]






■元暦二年(1185)5月

 義脛が宗盛親子を引き連れて、腰越(神奈川県鎌倉市)に着いた時に梶原景時が頼朝にこう言った。


「義脛殿が前大臣殿父子を連れて腰越にお着きになりました。頼朝殿はいかがなさいますか」

[訳者注――梶原景時は義脛以外とも確執が多かったとされる。とはいえただの嫌な人物というわけではなく、文武に優れた武士だったのは間違いない]


「義脛殿は野心を持っているようでございます。その理由ですが、一ノ谷の合戦で庄三郎しょうのさぶろう家長いえながが、本三位ほんざんみの中将を生け捕り、三河殿の手に渡りましたが、義脛殿はこのことをたいそうお怒りになりました」

[訳者注――本三位の中将は清盛の五男である平重衡しげひらのこと]

[訳者注――義脛の兄である源範頼は生まれ育った場所から蒲冠者かばのかじゃと呼ばれるが、三河守に任じられてからは三河殿とも呼ばれていた]


「『三河殿には一応の指揮をとっていただいただけのこと。中将はこの義脛に渡すべきところではないか。これは越権行為に他ならぬ』そうおっしゃって家長を討とうとしましたので、この景時が取り計らって土肥どいの実平さねひらの手に本三位の中将を引き渡したことで、ようやく義脛殿の怒りも鎮まりました」

[訳者注――一ノ谷の合戦で範頼は東から大手軍を率いて敵主力と戦い、西から義脛の搦手軍が奇襲をかけて勝利している]


「その上、『平家を討ちとったならば、逢坂の関より西は義脛が賜るべきである。天に二つの日はなく、地に二人の王なしと言うが、これからは二人の将軍がいることになろう』と申しております」

[訳者注――この発言が事実であれば天下を二分する立場に義脛が立つことになる。野心ありと見なされても仕方がない]


 義脛はまさに武功をあげる達人であった。

 今まで一度も経験したことのない船戦でさえ、義脛は風波の危険を恐れず、舟べりを鳥のように走り回った。

[訳者注――船上での戦いどころか、義脛には軍を率いて戦った経験すらなかったが、数々の戦功を上げた。身軽さについては六韜を読んだことが関係しているのは間違いない]


 一ノ谷の合戦では、城は難攻不落であり、平家は十万騎余りいた。対する源氏方は六万五千騎余りでしかなかった。

[訳者注――義仲追討の隙に平家は西国で勢力を立て直している。数の上でも質の上でも互角以上の戦いができる準備ができるあたり、平家の勢いは侮れないものがあった]


 城を守る側が少なく、寄せ手が多勢であればこそ城攻めでは勝負が決まるのだが、一ノ谷の合戦では城を守る側が多勢で地の利があり、寄せ手は数が少なく、地理に不案内の者ばかりであった。

[訳者注――城攻めの場合は3倍以上の戦力が必要とされる。攻め手の数が少なく、地の利もない源氏が勝てる道理はなかった]


 だから容易く城が落ちることはないと思われていたが、鵯鳥越ひよどりごえという鳥や獣でさえも通るのが難しい険しい道を少人数で越え、平家を遂に追い落としたのは凡人の所業ではなかった。

[訳者注――有名な鵯越の逆落としである]


 屋島の戦でも大風が吹いて波は激しく、船を出せるような状態ではなかったが、わずか船五艘で渡ってしまった。

 そしてたった五十騎余りで、躊躇することなく屋島の城に押し寄せて、平家数万騎を追い落としてしまった。

[訳者注――大嵐で舟を出すことすらできないという状況で義脛は四国へ渡り、屋島を攻めて落としている。まさに神がかった戦功であった]


 壇ノ浦における最後の戦まで弱気を見せることはなかった。


 大陸にも本朝にもこれ程の大将軍がいただろうかと、東国、西国の兵たちは皆一同に義脛を崇めた。

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