第四巻
第34話 頼朝が義脛と対面の事1
■治承4年(1180)10月
義脛は浮島が原に到着した。
頼朝殿の陣の手前、三町(約330メートル)ほど下がったところに陣を張り、しばらく息を休めることにした。
頼朝殿はこれをご覧になってこう言った。
「あそこに源氏の白旗白印をつけた、さっぱりした武者が五、六十騎ほど見えているが、誰なのかがわからぬ。信濃の者たちは木曽義仲に従って動いてここにはおらぬはず。甲斐の殿原は二陣である。どういう人なのだ。本名実名を聞いてくるのだ」
[訳者注――源氏の旗は白で、平氏の旗は赤であった]
部下を控えさせ、弥太郎が一騎進み出て申し上げた。
[訳者注――史実では堀弥太郎は比較的早い時期から義脛の郎党であったとされる]
「ここに白印付けておられる方はどなたであろうか。本名実名をお聞かせ願いたいと鎌倉殿に命じられて参りました」
その中から年の頃が二四、五あたりの色の白い品のいい男が、赤地の錦の直垂に、紫裾濃の鎧に
[訳者注――ここでも義脛の容姿や身なりが優れているところを描写している]
「鎌倉殿も知っておられる者です。幼名を牛若と申しましたが、近年は奥州に下っておりました。御謀反を起こしたことを聞き、夜を日についで急いで馳せ参じました。鎌倉殿にお会いできれば嬉しく思います」
堀弥太郎は、鎌倉殿のご兄弟だと知って馬から飛び降り、義脛の乳母子である
弥太郎は一町(約100メートル)ほど馬に乗らずに下がった。
こうして頼朝殿の御前に参上し、このことを伝えると、頼朝殿は善悪いずれであれ騒がないお人であったのだが、今回は殊の外嬉しそうにこう言った。
「ならばここへ連れて参れ。会おう」
弥太郎はすぐに義脛のところへ参り、このことを伝えた。
義脛も大いに喜び、急いで頼朝のもとへ参上した。
佐藤三郎継信、弟の四郎
頼朝殿の陣は、大幕を一八〇町(約2キロ)も引いており、その内側は関東八か国の大名小名が居並んでいる。
おのおのは敷皮(毛皮の敷物)を敷いていた。
頼朝殿は畳を一畳敷いてあったが、その上ではなく敷皮を敷いて座っていた。
義脛は兜を脱いで小姓に持たせ、弓を取り直して、大幕の際に畏まっていた。
すると頼朝殿は敷いていた毛皮から立ち、自分は畳の上に座った。
「それに腰掛けよ」
と言って、義脛に敷皮をすすめられる。
義脛は何度か辞退したが、結局、その敷皮に座った。
[訳者注――頼朝が義脛に対して格別の扱いをしている描写である]
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