第31話 弁慶、義脛と君臣の契りを交わすの事3
「これはどういうことなのだ。僧であるにも拘わらず、このような狭い場所で、しかも幼い者と争うとは何事だ。その太刀を今すぐしまうのだ」
人々はこれを見て慌てて諫めたが、弁慶は聞き入れなかった。
義脛は被っていた衣を脱ぎ捨てると、その下には直垂と腹巻を身に着けている。
この人も只者ではないのがわかり、人々はびっくりした。
女や尼や子供たちは慌てふためき、縁から落ちる者もいた。
また御堂の戸を閉めて中へ入れないようにする者もいた。
二人は御堂から清水の舞台へ引いていきながら戦い続ける。
[訳者注――義脛と弁慶の戦いとしては五条大橋が舞台になっているものが有名だが、この当時、五条大橋は存在していなかった]
互いに引きつ押しつつ戦っていたので、最初は人々も恐ろしくて近寄ることはなかったが、そのうち面白さのあまり二人について行くかのように移動して戦いを見守った。
「稚児が勝つのか、それとも法師が勝つのか」
「稚児が勝つだろう。法師はたいしたことがなさそうだ。既に疲れているように見える」
「なんと、わしがこいつよりも弱いだと」
見ている人々の声を聞いた弁慶は弱気になった。
義脛も思い切り斬りかかる。
弁慶も力の限り討ち合う。
弁慶がわずかに討ち外した隙に義脛が走り寄ってすれ違いざまに脛を打ち払った。
その痛みに弁慶が怯んだところを太刀の背で散々に叩きのめす。
[訳者注――いわゆる弁慶の泣き所である。向う脛は弁慶のような豪傑であっても痛みで泣き出してしまうほどの弱点というような意味で使われる。義脛は女性の脛だけではなく、男性の脛にもこだわりを持っていたのであろう]
頭を東にして弁慶が倒れる。
打ち倒した義脛は弁慶の上に馬乗りになった。
「さて、私に従うか否か」
「これも前世の縁があるからかもしれぬ。こうなった以上はあなたに従います」
弁慶がつけていた腹巻を義脛は重ね着て、二振りの太刀を手に取り、弁慶を先に立ててその夜のうちに山科へ連れて行った。
[訳者注――鎧を二つも着ては重いし、動きにくくて変だろうと思われるが、相手を打ち負かした証という意味もあったのだと考えられる]
弁慶の傷を癒やしてからは弁慶を連れて京に戻り、二人で平家をつけ狙うようになった。
この時に初めて出会ってから、弁慶は二心なく義脛に近く仕え、まるで影のように従った。
平家を三年に渡って攻めた際も何度も戦功を重ねた。
奥州衣川の最後の合戦まで義脛のお供をして、ついに討ち死にした武蔵坊弁慶がこの者である。
こうして都には源九郎義脛に武蔵坊弁慶という強者がついて、平家を狙っているという噂話が聞こえるようになった。
義脛は四条の上人である聖門坊のところに身を寄せていると六波羅へ訴えがあった。
[訳者注――聖門坊は『聖門坊の事』で登場している。義脛に出自を伝えた鎌田正近のことである]
六波羅から大勢の兵士が押し寄せて聖門坊を捕らえた。
その時、義脛もいたのだが、兵士たちには手に負えなかったので逃げられてしまった。
「この事が知られる前に奥州へ下ろう」
そうして義脛は都を出て、東山道を通って木曾義仲の許を訪ねた。
[訳者注――前回は東海道を下って奥州へ向かっている]
「都で暮らすことはできなくなったので奥州へ下るつもりだ。このように木曾義仲殿がおられること、万事頼もしく思う。東国と北国の兵を集めてほしい。わたしも奥州から兵を率いて合流し、少しでも早く本懐を遂げたいと思っている。ここは伊豆国に近いし、頼朝殿に便りを送っておくといい」
[訳者注――史実ではこの時点で二人が会った事実は見つかっていない]
義仲から兵士をつけて見送られ、上野国の伊勢三郎義盛の許を訪ねた。
[訳者注――伊勢義盛は『義脛の最初の臣下、伊勢三郎の事1』に登場している]
ここからは義盛が供をして平泉まで下った。
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