第24話 弁慶、比叡山を出る事

 鬼若は桜本僧正が自分のことを憎んでいると聞いた。

[訳者注――手に負えないぐらい素行が悪かった弁慶にも原因はあるはず]


 頼りにしていた師の僧正でさえそう思っているのに比叡山にいても仕方がない。

 こうなった以上は誰の目にもつかない所へ行こうと思い立って延暦寺を出た。

[訳者注――思い立って即行動に移すのは義脛とよく似ている]


 しかしこの格好ではどこへ行ったとしても延暦寺の鬼若と言われるに違いない。


 学問に不足はないのだから、法師の姿になってどこにでも行こうと思いついた。

[訳者注――勉強がよくできたのは『弁慶、生まれる事』でも描写されている]


 そこで剃刀と法衣を取り揃えて、美作の治部卿じぶきょうという者の湯殿に走って行き、たらいの水で自ら髪を洗い、髪を自分で剃り落した。


 たらいの水に姿を映して見ると、頭は綺麗に丸められている。

 こうなっては元に戻ることはできないぞと思い、戒名をどうしたものかと考えた。


 その昔、この比叡山に荒事を好む者がいた。

 西塔の武蔵坊と名乗り、二十一歳で悪行を始めて、六十一歳で死んだが、最期は端座たんざ合掌がっしょうして往生を遂げたという。


 自分もこの名にあやかって武蔵坊の名を受け継げば、剛の者になれるであろう。

 よし、これからは西塔の武蔵坊と名乗ろう。

[訳者注――わざわざ乱暴者だった人物の名前を付けようというセンスに疑問を持たれるかもしれないが、強い者への憧れだと思えば理解はできるか]


 実名は父である熊野別当が弁生べんしょうと名乗り、その師匠は寛慶かんけいといったので、弁生の「弁」と寛慶の「慶」を取って、弁慶と名乗ることにした。

[訳者注――史実における湛増の先代の熊野別当は範智というので、弁慶という名前からさかのぼってつけられた名前であろう]


 昨日までは鬼若だったが、今日からは武蔵坊弁慶と名乗るようになった。


 比叡山を出て大原(京都市左京区)の別所という所には山法師が住み荒した坊があった。

 誰かに引き留められたわけではないが、しばらくは高僧のふりをしてそこで暮らしていた。


 しかしながら、稚児であった頃ですら見目が悪く、気性も荒かったので、他の人たちはもてなすこともなく、まして訪ねて来る人もいなかった。

[訳者注――つまりボッチだった]


 大原で暮らすようになってほどなくどこへともなく出歩くようになり、ついには諸国修行でもしようと出ていった。


 摂津国せっつのくにの川を下り、難波潟(大阪湾)を眺め、兵庫むこの島という所を通っていった。


 明石の浦(兵庫県明石市)から船に乗って、阿波国あわのくに(徳島県)に着いて、焼山寺山しょうさんじやま(徳島県名西郡)や剣山を拝んで、讃岐国さぬきのくに(香川県)の志度道場(香川県さぬき市の志度寺)、伊予国いよのくに(愛媛県)の菅生すごうを巡り、土佐国とさのくに(高知県)の幡多はたもお参りした。


 こうして一月の末になると、弁慶は阿波国に戻った。

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