第32話 追憶
雷雲が立ち込めるその小さな島国に存在する唯一の街で、三人は狭い病室の中で身を寄せ合っていた。一人はベッドにその身を横たえて深い眠りに沈んでおり、一人は脇の椅子に座り、もう一人は壁際にもたれかかっていた。二人の目線は眠っている人間に注がれている。
「フレデリックの怪我はどう?」
「あまり……私の魔法でもこれ以上癒すのは難しそう」
力なく首を左右に振るエルリーンを見てイザベラは肩を落とす。
「雷竜があれほどまでに強力だと思わなかったわ」
「せめてあと一人、フレデリックのような前衛がいれば状況は変わったかもしれない」
今更過去を悔いても仕方がないとはいえ考えずにはいられない。驕りが出たとでも言うのだろうか。今まで三人でどんな死線もくぐり抜けて来たという自信が判断を狂わせ、結果として大切な仲間の一人が深手を負う羽目になった。
両手で顔を覆ってエルリーンが項垂れる。もうまる十日はつきっきりで看病し、ありとあらゆる治療を施しているのだ、憔悴しきった様子にイザベラはエルリーンの肩を優しく叩く。
「少し休まないと、あなたまで倒れてしまうわ」
「けれどフレデリックの状態は予断を許さないのよ。体内の魔素も生命力も日に日に減っていっていて……最低限の補填をし続けないと、明日にも死んでしまいそうで」
震える唇から声を振り絞るエルリーンの様子は悲痛そのものだった。
魔素と、生命力。
その時イザベラの脳裏にあるアイデアが閃いた。
「ねえ、エルリーン。魔素と生命力があれば……もしかしたら助かるかもしれない?」
「それはそうだけれど、膨大な量が必要になるわ。フレデリックの肉体と精神を支えるほどの量なのよ? 並みの量だととても足りない」
エルリーンは左右に首を振ってイザベラの言葉を否定する。それでもイザベラは負けなかった。
「でも私の使役する魔物の特徴を利用すれば、かなり効率良く魔素も生命力も集めることができる。魔素吸収も生命力吸収も、霊体系の魔物が得意とする技よ」
イザベラの言わんとしていることを理解したのかエルリーンはハッとした表情でイザベラを見つめた。その瞳には驚愕と希望、わずかな迷いが宿っている。
「……魔物使いが故意に人族へそれらの技を使役することは禁止されているわよ、知っているでしょう」
「そんな事この緊急時に構っていられるものですか」
「バレたらあなたは禁固刑の上に称号剥奪よ」
イザベラは肩をすくめる。
「仲間の命を失うくらいなら、私一人が捕まるのなんて大した問題じゃないわよ」
「でも、イザベラ、あなた……」
「ねえエルリーン、時間が惜しいわ。計画を立てましょう」
食い下がるエルリーンの意見をイザベラは強引に却下する。ベッドに横たわる、かつてないほどに弱り切った姿のフレデリックを見て、イザベラの覚悟は瞬時に決まっていた。ずっとずっと冒険者としてともに行動し続けていたフレデリックをこんなところで失うくらいならば、罪を犯して投獄されるくらいなんという事もない。むしろそれくらいでフレデリックを助けられるのであればお安い御用だとさえ感じる。
久遠の光は、三人で一つのパーティーだ。かけだし冒険者だった頃からずっと三人で組んでやってきた。意見が割れる事も、衝突する事もあったけれど、かけがえのない仲間だ。こんなところで彼を失うわけにはいかなかった。
二人は額をつき合わせて計画を練っていく。
「ここエルネイールで集められるならいいんだけれど……住民は雷竜の脅威に怯えて憔悴しているし、正直あまり質が良くない。何千人もの人から魔素と生命力を奪い取るのは怨みを買うだろうし、フレデリックがこの状態である事を考えるといざという時に逃げられないのは危険よ」
イザベラは置かれた状況から一つ一つ、実現が可能な事柄を確認していく。
「少し時間がかかるけれど、グランドゥール王国まで戻って集めた方が効率が良さそうだわ」
「でも王都で無差別に魔物をけしかけたりなんかしたらそれこそ大事じゃない」
エルリーンの指摘にイザベラは人差し指を顎に当て思案する。
「……エア・グランドゥールなら……うってつけかもしれない。一般人はまず立ち入りしない場所だし、集まるのは高位の冒険者や貴族の護衛ばかりだから濃度の高い魔素の生命力が手に入るわ。飛行船で往復するととんでもなく時間がかかるけれど、集めた力を使役している最上位の魔物に持たせればもっと早くにエルネイールへ到達することができる」
「エア・グランドゥールで?」
「そうよ。雲の上に隔離されている空港なら事件が起こったとして、騎士や聖職者の応援が来るのにも時間がかかる。まごついている間にさっさと奪うものを奪って、持って行かせればこちらのものだわ」
そうと決まればあとは早い。二人は空港で円滑に必要な力を奪うための手順を組み立てていく。
「イザベラ、あなたが空港に現れたと同時に霊体系の魔物が暴れたとあってはよくないわ。事態の沈静化に駆り出されるか、すぐさまあなたに疑いの目が向けられるかのどっちかよ」
「王都に着いたら偽の身分証を作ることにしましょう。それから、外部の魔物がおびき寄せられたように見せかけないと……アリアに協力をお願いしましょうか」
「手紙を書くわ。必要なポーションは幽冥の誘薬?」
「そうね、できるだけ沢山。レシピは以前に知り合いの錬金術師に教えてもらったから覚えているわ、一応手紙にも調合内容を書いておきましょう」
手紙を書いているエルリーンを見ながら、さらなる計画を立てて行く。
空港内の戦力を把握しておく必要があるため、一度幽冥の誘薬を空港内で使用して様子を見る事にする。万が一空港内に対霊体系魔物に優れた聖職者が複数人常駐しているようなことがあれば、こちらに不利な状況となる。
魔素も生命力も相手の命を脅かすほどに吸収するつもりはないが、相手の迎撃次第ではこちらとしても本気を出さざるを得ず死傷者を出してしまうかもしれない。そうなれば、イザベラに降りかかる罪状は重いものとなるだろう。
「いなければいいんだけど」
「そうね」
「私は本気で心配してるのよ、イザベラ。貴女、時々ものすごい無茶するんだから」
「大丈夫よ、罪のない人を殺すような真似はしないから」
かといって、必要な量が確保できなければ意味がない。最悪の場合をなるべく考えないようにしつつ、懸念点を潰していく作業をする。イザベラは額をペンで掻きながら言葉を発した。
「囮役は……アリアね。彼女も随分人が良さそうだったから、事情を説明すれば引き受けてくれるでしょうけど一度捕まる事になるわ。まあ、結局真犯人が私だと判明すれば上級冒険者に脅されて従わされたって事で解放してもらえると思うけれど」
魔物に挑んで瀕死となった仲間一人の命を救うために、大勢の人間を巻き込んで事件を起こそうとしている。身勝手な計画だとは自覚しつつ、それでもフレデリックを助けたいという思いの強さが二人の理性のタガを外していった。
仲間を失う。それは耐え難い苦しみだ。それに比べたらわずかな罪を重ねることなどどうという事もない。誰も殺すつもりはないのだし、丈夫な人たちからちょっと魔素と生命力を貰うだけだ。有り余っているそれを、数々の功績を立てた人物の一命を取り留めるために使うのであれば、むしろ皆喜んで差し出すべきだ。
追い詰められた二人はいつしかそのように考えるようになりーーそして、おそるべき速度で準備を整えたイザベラは単身王都へと戻った。
イザベラ・バートレットではなくソフィア・ブライトンとして。
「待っていて、フレデリック。必ず貴方を助けるから」
見据える瞳は決意に満ちていた。
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