第5話 村人はどこへ消えた?

 泣き腫らした顔を洗いに行ったハンナを見送ったエドワルドは、お手洗いに立てこもっていた。


「やばいって、つい調子に乗って超絶有能上司アピールしちゃったよ! 僕も雰囲気に飲み込まれた愚か者だよ」


 トイレに籠ったエドワルドは、頭を抱えながら自己嫌悪に陥っていた。


「なにが『先に僕がお手本を見せてあげるから、付いてくるんだよ』だよ。散々汚してしまった手で、彼女みたいなを育てられる自信が無いよ」


 エドワルドはどんな顔をして出て行ったら良いのか分からなかった。あんなにカッコつけた手前、トイレを出るのが怖くて仕方がないのだ。


「やってしまったなぁ……彼女、僕に対して期待の眼差しがすっごいことになっていたよ」


 彼は彼女の泣き腫らしながらも希望に満ちた瞳を思い出していた。


「どうしよう、完全に洗脳の域に達しちゃうよ。今更僕が綺麗になれるか、無理だろう!」


「村長さん! なかなかトイレから出て来ないのですが、調子が悪いのですか?」


 落ち着いた彼女が、トイレに引きこもった彼に声を掛けた。男子トイレの前で美女が呼びかけるやばい図が役場内で完成だ。彼は籠っている理由が理由なだけに、罪悪感の加速がすごかった。


「大丈夫だよ、すぐに戻るから仕事をしていて!」


「はい、もし調子が悪いのであればすぐにお呼びください」


 彼は廊下を歩く彼女の足音が遠くなっていくのを聞いて、心を落ち着かせた。


「大丈夫……ああ、大丈夫なんだ。普通の仕事をすればいい。そう、普通に過ごせばただの気の良い上司で終われる」


 彼は自分に自己暗示をかけるように言い続けていた。覚悟が決まった彼は、処刑台に向かう気持ちで事務所に戻っていった。


「ハンナ、そう言えば村の人達が挨拶に来てくれるって聞いたけど、いつ頃になるのかな?」


「はい、もうすぐお昼時ですので、集まると思いますが……驚くことになるかもしれません」


 先ほどまで泣いていたハンナは、しっかりと顔を洗ってきたのだろう。スッキリとした顔でエドワルドに答えた。


「なんで言い澱むところがあるのさ」


「実際に見られた方が良いかと思いまして」


「村人におかしな人でもいるの?」


「いえ、見るのは現実です。心の準備だけしておいてください」


 彼女は少し儚げな顔をして答えた。悲しみの混じった笑顔とは、今の彼女の顔の事を言うのだろう。


 彼はそれ以上追及することはなかった。人が集まるまでに時間があったので、大きなカバンから荷物を取り出して整理していた。母から仕事を始める時にもらったプレゼントや、仕事をする記念に買った物が色々と詰め込まれていたカバンは、彼にとっての宝箱だ。


(仕事中毒だな、僕は。もらった瞬間の喜びはあったけど、すぐに仕事に意識を切り替えていたからね。僕も意地を張れていたら、違う人生を送れただろうか)


 ずっと忙しかったせいで、視界に入っても思い出にふけることすら出来なかった。彼はひとつひとつ手に持つと、その当時の思い出が蘇り、懐かしく感じていた。


「村長さん! 村人の皆さんが全員集まりましたよ」


 物思いにふけていたらかなりの時間が過ぎていたようだ。目の前には心配そうに声を掛けていたハンナの姿がある。


「意識がどこかに飛んでいたような気がしますが、御気分はいかがでしょうか?」


「うん、大丈夫だ。少しだけ懐かしい気持ちになっていた、ただそれだけだよ」


(辛い時間は長く感じて、楽しい時間ほどあっという間に時間が過ぎていくってどっかの天才が言っていたな。ヴァリアントで仕事をしていた時は、時間が足りないくせに、1日がやたらと長く感じていたもんだ)


「かしこましました、では役場の正面玄関までお越しください。皆さんがお待ちです」


 彼らは事務所を出て正面玄関へと出た。役場の前の光景は、彼の想像と異なる様相である。


「ハンナ、代表者だけ集まったの?」


「いえ、ダスターランド村民の全員です」


「おうおう村長さんよ、あまりの少なさにビビっちまったかい?」


 大工のダドリエルがエドワルドに声をかけた。相変わらず野太く豪快だ。


「村長、本当は事務所の中で話すべきだと思いました。ですが、信じてもらえないだろうと考えました。申し訳ございません」


 彼女は悲しそうに頭を下げて言った。意図は汲めるが、やはり事前に言ってはもらいたかった。体裁を保つのに必死だ。


「確かに信じないだろうね、真実を言われても。ただ……ハンナの回してきた決裁資料を見る限り、100人以上はいることが推測される村なのだけど?」


「ハッハッハッハッハ! アタイらここにいる村人以外は全員逃げちまったよ! あんたも逃げるかい、村長?」


 小ぶりな弓を持った真っ赤な長髪をした女性が話しかけてきた。鼻に横一線の傷が入っているが、それを気にしていない明るい太陽のような元気さを感じさせる。背も高く、男勝りと言ってもいいだろう。


「アタイの名前はセシルって言うんだ、あんたも不本意で来たタチだろ? 名前は覚えなくてもいいぜ、どうせすぐにいなくなるだろうからな」


 軽く挑発するように言ってのけたが、エドワルドは不愉快に感じなかった。ダドリエルと似たように、悪意をそこまで感じ取らなかったからだろうか。陰気臭いのは苦手だ」


「そんなことを言わず、仲良くしましょうよ。せっかくのご縁ですし」


「最初からいた仲の良かった連中は全員逃げたよ。アタイに信じてもらえたいなら、行動で示して欲しいよ。まだアタイは役人って奴も、他の村の連中も信じられねえ。あんたも本音では早く帰りたいんだろ?」


(本当に、ゼロからスタートするのではなく、負の遺産の清算から始まるんだな。過ぎて何も感じなくなってきたよ。自分に降ってきた案件で、まともに始まったことなんて一度もない)


「いえいえ、ここに骨を埋める覚悟ですよ。もし気に入らなかったら『出ていけ』と仰ってください。そう上申しますから」


 エドワルドはセシルに手を差し伸べたが、彼女が彼の手を取ることは無かった。彼は手を引いて、話を続けた。


「分かりました。ところで、何故みんな逃げてしまったのでしょうか。生活が苦しいからとか?」


「それもあると思うけど、ここって森からモンスターが襲ってくるんだ。最近はモンスターが大量に村に入ってきて暴れまわっちまって、ビビった連中が徒党を組んで逃げたんだよ。あの根性無し達め!」


「ああ……と言うことは、やっぱり残っているのは……」


「大工の俺と!」


「案内人の私!」


「狩人のアタイと!」


「漁師のリョウって言うっス、川魚相手に漁をしているっス! 短い付き合いにならないように祈っているっス!」


「わ……私は山菜取りのメリーと言います。薬草と……何か食べられるものを集めています。みんなの治療もやっていますが……死人は治療できませんので……死なないでくださいね」


「そして私、出納係のハンナです。以上6名、村長を含めて7名のダスターランドです」


「そうかそうか、僕を含んで7人の村人か」


「大丈夫ですか、村長? 顔色があまり良くありませんね」


 彼は皆に背を向けて少し歩んだ後に両手を広げて空に向かって叫んだ。


「ふ……ふざけるなああああ! こんな人数の村、村って呼ばねえよ! ただの寄り合いだよ、まだ井戸端会議の奥様方の方が人数が多いわ! どこ行った! あと93人ぐらいはどこに行った!」


 突然キレたエドワルドに驚いた狩人のセシルは驚きながらもが改めて説明した。


「だからさっきアタイの言った通り、みんな逃げた」


「わ──────かってんだよ、そんなこと! ここは本当に村って呼んで良いのか分からないよ」


「落ち着かれましたか?」


 顔を覗くようにエドワルドの顔を見ようとしたハンナは、ズレた眼鏡をくいッとしながら声をかけた。


「残ってくれたみんなの顔が視界に入って冷静になった。みんなの方が悔しいよね、後から来た僕よりも。しっかし、これは不味い。予想外過ぎて計画が狂うよ」


「村長、やっぱり厳しいですか?」


 ハンナが心配そうに声をかけた。


「だってさ、さっきの決裁資料で分かったけどこの村の税金って人頭税じゃないよ。村1個単位で税金を取られている。分かる? 単位だからで変動していないんだよ」


「そう言えばそうでしたね。淡々と数字を積み上げていたので気が付きませんでした」


(役人の悪い所だな、数字から色を読み取ろうとしない癖がある。この子は後で教育です)


「つまりだよ、1人で10人分以上生産したとしても間に合わないの! 収益って言っても、交易商人に魚の干物とモンスターの毛皮とかを売った利益だけだよ。あまりに厳しすぎるよ」


「大丈夫だ、村長の手腕でなんとかなるって」


「根拠は?」


「ねえ! 難しいことは分からん!」


 大工のダドリエルは白い歯を見せながら満面の笑みで答える。筋肉の神にでも魂を売ったのか。


「村長、私も村長を信じております。村長は私を認めてくれる優しい上司です。私達のために、何とかしてくれますよね? 村長なら大丈夫ですから」


「根拠は?」


「ありません!」


「胸を張って言うな!」


「えへへへへへ……」


 ハンナは恥ずかしそうに頬をかいていた。そんな様子を見てか、モリーも嬉しそうに聞いてきた。


「村長さん! 村長さん! きっと大丈夫だよ!」


「ふふっ。モリー、からかっているな。根拠は?」


「ないもーんだ!」


「ハハハハハッ……ああ、なんだか大丈夫な気がしてきたよ」


 彼はモリーの可愛らしい姿に思わず笑みがこぼれていた。落ち着いた彼は心の中で計算していた。


 どうせいつものように地雷案件を投げられているのだ、普段と何も変わらないのだと。絶望的な状況の中で、彼は比較的に余裕だった。為せば成る。

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