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ジョンという名を」への応援コメント

  • ジョンという生き方はそれほど社会では珍しく無いとは思われます。

    自分の身内にもいるのですが、群衆の内ではパニックになり易い性格。その精神気質については身近にいるからそう思うだけなのだろうか。
    比較的生活に困窮していない経済的に恵まれている環境。いやそれ以上に裕福な生活を謳歌出来る環境に於いて、(個人の社会性は多様ではあるだろうが)個性として没交渉となる者も多分にあると思うのです。
    精神性として意欲や向上を望まない心裡は、社会的没交渉によって己と他者の比較が頻繁に行われないとなると、現状に不満を生む要素が寡ないから出来上がるのではないか。
    だが、ジョンの場合は完全に社会から隔絶された環境ではなく、他者のいる社会を識っている為にかえって不安は増すのかなとは思う。ジョンが他者を深く洞察するには材料が少ないと思える。見識過小。それは不安を生む。

    要は「幼児」みたいなのだと思えるのでよ。
    幼稚だとは思わないが、精神が揉まれていないというか、事業をしている大人としてはかなり成熟の度合いが足らないのではないか。too youngにも至っていない。

    犬のジョンにしてもたいして変わらない。繋がれた生活以外を知らなかったのだから、拘束から放たれた状況で適正な行動がどの様なものであるか分からず判断を誤ってしまい無残な身となってしまった。

    経験不足なのだと。


    「名」とは共通認識でしょう。他者とのコミュニケーションを察る為に必要な極初歩の認識。他者と接触しないのなら要らない事だ。2人だけの世界ならひたすら代名詞で呼び合っても構いはしない。視線を送るだけでもいい。墓とか葬いは社会性だ。他者の目を気にしたからこそジョンは「墓に犬と刻むのは滑稽だ」と思うのだ。「名付けの重み」「起業の理由」
    「理由付け」はジョンにとっての社会性なのだ。というよりそれが社会なのでしょう。
    吠える事は不安の表れ。舌の活動は生存の表れ。
    「逃れる為の鎖」とは孤立への不安から逃れる為の社会へのより強い帰属願望であるのかもしれない。
    「歯痒さ」は思い通りにはならない世界との齟齬の感触なのかもしれない。

    犬のジョンは死ぬ前に生存の確証を得る事が出来た。
    死は誰にも理解出来ない。死んだ後に「名』を刻まれて更に人との社会に近づいたが、どうでもいい事だろう。


    順調に思えた犬とのコミュニケーションは終わってしまった。時間と距離が広がる事で得るものも増えるはずだった。リグレットはリグレットのままリードに繋がれている。ジョンは痛みを乗り越えた後の新たな出会いと共生を望まないのだろう。憂うつは続く。白いままの息となって。


    彼は何か発病している様子ですね。
    死ぬ前に人生を活きるのだろうか。


    〈 純文ぽかったので感想というより独断によるとりとめもない考察になってしまいました 〉

    作者からの返信

     返信内容を考えていたら、もう夏休みが明けそうです……。ありがとうございます(*'-'*)